鞘の巫女 7
帝都一般居住区。
木戸が破壊される音や陶器の割れる音の合間に叫び声が響く。
ランテヴィア解放戦線の構成員が略奪を行っている。
それに抗う人々との間で小規模ながら戦闘が起きていた。
街中には意外と住人が残っていた。
僅かな家財に固執した者、城まで避難するのが億劫な老人などである。
中にはブロキスが去ったことを未だ信じずに不思議な力で暴動を鎮圧してくれるだろうと事態を軽く見て避難しなかった者もいた。
対外的には得体の知れない恐怖のように思われていたブロキス帝は、しかし城下の民には一定の信頼があったようだ。
そもそもブロキスは国政を文官に丸投げしていたので一般人が彼の脅威に触れることはなかった。
むしろ膝元では先帝と同等の評価があった節さえあった。
一方でランテヴィア解放戦線を率いるティムリートという地方貴族は反乱を起こしても不思議ではない生々しい存在であり、実際の脅威として深く帝都の住人に認識されつつあった。
そこでこの狼藉である。
分かりやすい現実的な恐怖は確実に刷り込まれていっていた。
そうならない為にも攻め手の各部隊は外門を突破した後は一気に内門前へと進軍しなくてはならなかったのに。
物欲に負けてしまった。
いや、そもそも途中から加わった無法者はこれが主目的だったといっても過言ではなかっただろう。
今さら兵を律しようにも綿密に決めたはずの布陣は既に滅茶苦茶になっており連携は分断されていた。
このまま先走り組を追いかける形で進軍しても余計に混乱が広がるだけだろう。
隊を編成し直すには今しばらく時間がかかりそうだった。
その空白を埋めるためにロブ達は渦中へと向かっていった。
同時刻、居住区大通り。
略奪品を自慢し合う荒くれどもを上目遣いで見つめながら所在なさげに家を背にして立つ少年たちがいた。
一番大きな少年は殴られて鼻血を流している。
大人たちに交じって盗みを働いたところ、少年の一人が大人の欲していたものを先に盗ってしまいその制裁をくらったのだ。
少年たちに男が近づいていく。
短刀を手に、傲慢な顔で少年たちの顔を流し見る禿頭を見て一番小さい少年が大きく震えた。
これから一体自分たちはどうなるのだろうか。
状況から言えば殺される可能性が高いが一番大きな少年は気丈にも男を睨みつけていた。
「おいおいそんなに震えるなよ。まるで俺たちが悪者みてえじゃねえか。むしろ感謝して貰いたいもんだぜ。小汚ねえ糞こそどろのてめえらに機会を与えてやろうってんだ」
「糞こそどろなのは一緒だろ。こういうのは早いもん勝ちだって、相場が決まってるもんだぜ」
「何度言わせるんだ、ラグナ。口の聞き方には気を付けろよ。なあ、また殴られてえのか? なあ? いいか餓鬼ども。組織に入ったなら規則ってもんがある。それは理解できているよな?」
「何が規則だよ。一気に内門まで攻めるって、作戦はどうしたんだよ」
「口の減らねえ餓鬼だ」
「コーエンさん! 丁度いいの見つけましたぜ!」
荒くれ者に襟を掴まれて無理やり引きずられて来たのは老人だった。
抵抗したのか頭から血を流しておりそのせいでか意識は朦朧としているようだ。
少年たちの前に投げ出された老人はまるで枯れ枝のように地面に転がった。
その頭の上にコーエンがどっかりと腰をかけると老人は苦しそうに呻き声をあげた。
「こいつぁいいな! よう餓鬼ども、てめえらは無料飯を食い過ぎた。働かねえ奴に生きる価値はねえってのになあ。で、見ろよこいつを。こいつもてめえらと同じ、働かねえ無料飯食らいだ。俺らが得るべきもんは全部、金も権利も、こいつらがみんな無駄に生きて、無駄に食って糞にしちまった! 許せねえよな?」
コーエンが放屁する。
咳き込む老人を見て周囲の大人たちは大笑いした。
「そういうことで、だ。おめえらを男にしてやるよ。さあ、狩りの時間だ! ここに糞野郎がいて、俺は短刀を持っている。あとはもう、分かるな?」
「コーエン……さん、俺、俺たち……」
「ああ、ああ、安心しろ。短刀は全員ぶん貸してやるさ。いいか、貸してやるんだぜ。俺たちはてめえら糞餓鬼に、男になる機会を与えてやって、しかも短刀まで貸してやるって言ってるんだ。分かるよなこの意味が? でけえぞこの貸しは」
コーエンはラグナたちに、組織の一員として認めてやる代わりに一生涯言う事を聞けと言っていた。
それが地獄であることなど容易に想像できる。
しかしここで言う事を聞かないと臆病者と見なされ虐め殺されるだろう。
最悪の選択だった。
こんな筈ではなかった。
炭焼きの村を滅ぼしたのがテルシェデントから逃げた帝国兵だと知った時、ラグナは子分たちと一緒に解放戦線の門を叩いた。
流石のティムリートも親を殺された少年たちに漁村で静かに暮らせと言えるわけもなく、雑務をこなす要員として受け入れた。
同郷で面識もあるということでコーエンがやたらと世話を焼いてくれたが猫を被っていたらしい。
一緒に行こうと誘われた時に着いていくんじゃなかったとラグナは後悔していた。
「遅せえなあ!? こうやって首を掻っ切ればいいんだよお! ほれ、ぎいこぎいこっ!」
躊躇うラグナにとうとうコーエンが苛立ちを爆発させた。
背中に尻を移したコーエンが老人の髪の毛を掴んで手刀を老人の喉に擦りつける。
本物の刃を当てらえたと勘違いした老人が悲鳴をあげた。
その光景を見て子供たちは恐怖のあまり泣き出してしまった。
色々犯罪に手を染めてはきたが人を殺すのは初めてだった。
それでも、殺すなら戦いの中が初めてだと思っていた。
コーエンは舎弟に促して老人を起こし両肩を支えさせるとラグナの前に立ち短刀を差し出した。
恐る恐る顔を見上げると夢に出そうなほど下卑た笑顔がそこにあった。
「早くやれよラグナ。着いてきたのはてめえだぞ……」
「首を掻っ捌くんだよ!」
「馬鹿いえ、まずは目だ! ほじくり出せ、男を見せな!」
「やっちまえ! やっちまえ!」
ずしりとした感覚を覚えて下を見ると自分の手にはいつの間にか短刀が握らされていた。
背中を押されて老人の前によろけ出る。
老人は震えながらか細い声で命乞いをしていた。
ラグナは老人に自分の母の姿を重ね合わせていた。
自分は自分の村を虐殺したテルシェデントの兵隊たちに復讐がしたかっただけで戦闘員ですらない帝都の老人をいたぶるために来たわけではない。
相手が兵士だったら死ぬ気で殺しに行っただろうし、逆に力及ばずに殺されても悔いはないと思っていた。
ここでコーエンに促されるまま老人を殺してしまったもう後戻りはできなくなる気がした。
粗悪な短刀がかちゃかちゃと鳴るほど震えたラグナの目頭から涙が溢れそうになった、その時だった。
「何をやっている」
悪党たちが慌てて声の方を見やるとそこには目隠しをした栗色の長髪の男が異様な二人を引き連れてやって来るところだった。
ロブ・ハーストである。
最強の兵士の来訪を見た男たちは罰が悪そうに意気消沈した。
まるでこの行いが正しい事かのように振舞っていたくせに調子がいいものだ。
「ろ、ロブさん……これはその」
「お前たちは兵士か。暴徒か。命を選べ」
「へ……へいぇ?」
「これが戦争ならば。非戦闘員への虐殺行為は一級犯罪だ。そしてこれが暴動ならば、お前たちの行為は強盗殺人に他ならない。お前たちが兵士ならば。軍法に則り銃殺に処す。お前たちが暴徒なら。今俺の手で処す」
ロブの全身から黒い炎雷が迸った。
その瞬間に周囲の空気が重くなる。
場を包んだのは圧倒的な殺意。
罪悪感を感じていた者すべてが漂う冷気に当てられて全身の毛が逆立ち、死を予見して崩れ落ちた。
「さあ、おまえたちは、なんだ」
力の抜けた足からぬるり、ぬるりと得体の知れない感情が這い上がってくる気配を感じたコーエンたちは声なき悲鳴をあげて失禁した。
 




