鞘の巫女 5
繋世歴387年12月31日、未明。
初手はランテヴィア解放戦線による朝駆けから始まった。
外門外の民家が燃やされ思い思いの武器を手に取った集団が門に押し寄せる。
立ち昇る黒煙が狼煙となり帝都ゾアの各通用門は一斉に攻撃を受けた。
現政権側は奇襲を予期し各門の防衛に兵力を割いていたが楽観視していた兵士たちの怠慢により対応が遅れた。
一部外門は瞬く間に突破される。
そのため守勢はあっという間に内門への撤退を余儀なくされた。
一国家の中枢を守るにしては明らかにお粗末な体たらくであった。
帝都ゾアは巨大な城郭都市である。
外門と内門に守られた中心部にエセンドラ城がそびえる。
外門内には一般居住区や商業区があり、内門内には工業区や各種兵科各部の本部、政治中枢職の屋敷が並ぶ。
街並み自体も螺旋状になっており敵襲があった際には直線突破を許さない構造になっている。
一般居住区の住民は殆どがエセンドラ城まで避難していた。
それでも避難命令を拒み終末の饗宴に浸っていた者たちはごく少数だが残っていた。
彼らはようやく本当の後悔をしただろう。
けたたましくなる警鐘に起こされた時には既に遅かった。
汚らしい暴徒たちは怯える顔に容赦なく鍬を振り下ろした。
あるいは石で頭を割られ、あるいは生きたまま火をつけられた。
命乞いなどは意味を成さない。
彼らこそが自分たちの貧しさの根源であると信じて疑わない襲撃者たちの判決は死刑以外に選択肢はないのだった。
その様子をエセンドラ城の見張り台から見下ろす者たちがいた。
上下の装甲義肢を着こんだピーク准尉と軽装のサネス少佐である。
後ろには大きく太った腹回りにまばらになった頭髪を辛うじて整えた中年男性がいた。
ショズ・ヘイデン大佐……各地に解放戦線優勢の情報を流し帝国から離反させた張本人である。
「どうしてあんなところで戦端が……?」
「戦端ではないな。外門の兵の引き揚げは完了している。あそこらへんは一般居住区だ。開かれているのは一方的な殺戮だろう」
「奴らだ……何故逃げなかったんだ……!」
「そういう選択をした者もいた。それだけのことだ。准尉、手筈通りだぞ」
「大佐。司令官旗、確認できません」
「ふむ、やはりか……。君たちの出撃を警戒しているのか。それとも伝令がなくとも構わない戦略でも立てたか。または……この朝駆け自体が本陣の意図しない一部の抜け駆けということか」
風にあおられる僅かな頭髪を何度も押さえつけながらヘイデンは思案した。
寄せ手側には戦略に長けた軍師などいないはずだし、サネス少佐ら装甲兵の抑えにはロブ・ハーストやアルバス・クランツがいるはずである。
となると最も考えられるのは雑兵の暴走だ。
ヘイデンは満足げに頷いた。
「いい流れだ。恐らく敵はこれから慌ててハースト軍曹たちを投入してくるだろう。暴動を拡げないために最大戦力での突破を狙ってくるはずだ。帝都を囲うほどの有象無象が返って戦術の幅を狭めたな。逆に言えばこちらは軍曹たちを討ち取りさえすれば後はどうとでもなるということだ」
「本当に殺して大丈夫でしょうか……」
「また消えない炎とやらの心配か? そんなものが確認出来なかったことは偵察で証明済みだ。撤退してきた兵からすら証言が出ていない」
「私は……正常です」
「准尉、君の使命はなんだね?」
「新皇帝をお守りし帝都の被害を最小限に抑えることです」
「ならば手筈通りだ。出来るだけ早く軍曹たちを見つけ撃破せよ。これは圧倒的な力に速度、持久力を兼ね備えた今の君にしか出来ないことだ。そして少佐は此処で待機し万が一敵の主力が複数から同時に侵攻してきた場合に備えるのだ」
「了解しました」
「サネス少佐……?」
「さあ、もう時間はない。戦いは既に始まっている。私も敵の撹乱に努めよう。君たちの健闘を祈る」
そう言うとヘイデンは城内に降りていった。
ピーク准尉は口をつぐみ、敬礼にて背を見送ることしか出来なかった。
ヘイデンが城内の長い通路を歩いていると反対側に部下の諜報員が待っていた。
諜報員はヘイデンが傍まで来ると姿勢を整えて敬礼し、そのまま通りすぎるヘイデンの後に続いた。
「首尾は」
「問題ありません。脱出の準備も整っております」
「了解。敵に関所封鎖の知能がなくて助かったな」
帝都とリンドナル領の間にある関所はトゥルグト・ヘジンボサム=リンドナル都長によって閉鎖されたとの情報が入っていたがその他の関所はがら空きだった。
解放戦線には二枚舌の貴族たちから迎合する旨の書簡が届いているはずだがそれを有効活用しようとはしなかったらしい。
おかげでヘイデンは悠々と西海岸の貴族たちの元へ向かうことが出来そうだった。
計画は順調に進んでいた。
「さて。私は失礼するよ、ティムリート・ブランバエシュ。君の掲げる新世界は成立しない。始まる前からね。あの男が託した世界は君が指を加えている間に醜く崩壊を遂げるのだ。私はその様子をじっくり堪能させて貰うことにするよ」
あとは父の亡霊が絶望の中に潰えさえすればもう思い残すことはない。
生涯を復讐に捧げた男の夢が遂に完遂する時が来ていた。




