ハイムマンの手記 8
ブロキスが去ったあと一同は港に戻った。
精隷石を得ることは出来たものの、その程度の見返りのためにこんな所を経由したと考えると割に合わない気がした。
オタルバはロブの背を見つめながら真意を考える。
おそらくロブはブロキスにリオンと会わせてやりたかっただけなのではないだろうか。
ロブが過去の事をブロキスに聞いた時、オタルバは失望しかけてしまった。
ブロキスから発言を引き出すためのいい口実としてリオンを利用したのかと思ったからだ。
しかしそれは当事者を前にしてつい口をついてしまっただけだったのだろう。
そもそも未だ凄惨な過去に囚われ続けているロブの求めるものを非難できる資格などここにいる誰もがありはしなかった。
ロブはかつて地獄で非戦闘員の子供を手にかけてしまったという。
リオンを守ろうとしているのはその罪滅ぼしだ。
それが天涯孤独であり兵役からも離れ生きる目的を失った彼が生きる理由だった。
そう考えればロブの行動は一貫していた。
ラーヴァリエで暴走した直後の今のブロキスなら魔力は器に溜まりきっておらず蛇神が再度目覚める可能性は低い。
そしてここセイドラントの地なら他に誰もおらず邪魔する者も勘繰りをいれる者もいない。
ロブにとってブロキスは敵であるし独善で多くの人命を奪った大罪人だが蛇神の呪いを受けた同士でもある。
自我を蝕む呪いに抗おうとするあまり孤独の道を選びがちになる身としてブロキスには常に同情の念を抱いていたのだろう。
邪神が目覚めればブロキスの意識は乗っ取られる。
それを封印出来るのはリオンだけだが封印してもブロキスの意識が戻るという保証は現時点では不明だ。
つまりこれが今生の別れだったのかもしれないのだ。
それにしては随分あっさり別れたものだった。
ブロキスも自身のことなのだからロブの真意を理解したうえで来たのだろうに。
いや、そうせざるを得なかったということか。
ブロキスがリオンに真実を告げなかった理由はオタルバにも理解できた。
万が一の事があった時に罪の意識を持ってしまうかもしれないからだ。
そうならないためにもブロキスは多くを語らなかった。
リオンが教皇の話を信じていたことを確認出来たことでブロキスの懸念は消えた。
これであの男も独りになった。
心置きなく呪いに身を委ねることが出来るというわけだ。
だが。
「ねえロブ、これで良かったのかい?」
知っている者が黙っているということは騙しているのと変わらないのではないか。
確かに自分たちが黙ってさえいればリオンは酷な運命を知ることなくブロキスと対峙出来るだろう。
もちろん伝えたところでリオンをただ悩ませるだけだということも分かっているのでオタルバはどうすることも出来ない葛藤にやり場のない苛立ちを感じていた。
それをロブにぶつけるのも見当違いだったがロブは確かな口調で断言する。
「何が最善かなんか誰にも分からないことだ。封印によって奴自身がどうなるのかもな。だが奴は何も言わなかった。それが奴の望んだことなら俺たちがとやかくいう権利はない」
「リオンはどうなるんだい。リオンの気持ちは」
「それは巫女の力を得てから分かることだ。真実を話すのはその時でも遅くないだろう」
「何もかも不明だから実感も湧かないだろうけどさ、わたしゃあの子が不憫だよ」
「今はまだ誰も救われない。俺も奴の口から真実を聞くことが叶わなかった。何のために戦友たちは死んでいったのか。邪神を封印出来た時に奴に問い直せることを祈るばかりだ」
ルーテルたちに何が起きたかを話すリオンを遠巻きに見つつオタルバは掌の精隷石に目を落とした。
各々がもっと素直になれたらこんなにも拗れないだろうに。
皆が皆、己の中に譲れないものを抱え過ぎなのだ。
そのすれ違いはもう修正出来ないほどに開ききってしまっているのかもしれなかった。
ブロキスの助言通り一同はジウへの帰還を急ぐことにした。
ジウまでは一週間もかからないだろう。
順調に行けば年末の三日前くらいにはアルマーナ島だ。
一行を乗せた船は北に舵を切った。
セイドラントを出航して暫くした後の海上。
甲板でリオンは景色に浸っていた。
考えてしまうのはブロキスの言葉だ。
ブロキスはリオンの両親を殺したと確かにその口で言った。
だがやはりリオンの心には何も響かなかった。
いくら覚えていないからと言って、自分の両親の死に心を痛めることも出来ない人間が人々を救う巫女など務まるのだろうか。
ブロキス自身に怒りをぶつけられなかったことがこのような奇妙な感情を生み出しているのかもしれない。
巫女になるまではもう会わないと思っていたのに。
改めて見ても彼の顔は夢に出てきそうなほどに醜悪だった。
下瞼と頬は弛み、灰色に近い紫色に変色し、吹き出物からは膿は流れていた。
それが十年強のあいだ、自ら毒をあおり瀕死の状態で生きながらえて来たからだと知ってしまったからには憎むに憎めないのだ。
蛇神の依り代に望むべくしてなったわけでもない彼は自分たちと同様の立ち位置にいるはずなので、今はアスカリヒトを封じた時にブロキスはどうなってしまうのかが気がかりだった。
新年まで残り十日あまり。
短いようで長い。
悩んでもどうすることも出来ないのは分かっている。
大きく溜め息をついたリオンはくよくよしている自分が腹立たしくなって両手で頬を叩いた。
「あーもう!」
「いきなり……どうしたリオン?」
近くに座って変なお守りを生産していたラグ・レが突然の音に驚いて見上げる。
「なんでもない!」
「……根詰めるなよ。私たちは支えてやることしか出来んが」
「え? ああ、うん……ありがとう……」
「まあ、もう少しでお守りが出来るからな。待ってろ」
「そうなんだ。ありがとう。でもいらないかな……」
遠慮はするな、と屈託のない笑みで笑うラグ・レの手元では常に持ち歩いている牙狼の牙と、セイドラントで採取した木の皮や布切れで作られた変なものが完成しつつあった。
ラグ・レはあの類のものを作るのが好きなようで、一度貰ってしまうとどんどん押し付けてくる性質がある。
見ていると興味を持たれたと思われかねないのでリオンは再び海に目を戻した。
そして、それを見つけたのは本当に偶然だった。




