ハイムマンの手記 7
瓦礫の山は朽ち果て、とうの昔に自然と一体化していた。
そこにはかつての栄光はなく穏やかなまでに無常だった。
雨ざらしの十年で形が残っているものはほぼなく錆び付いた金属の調度品が転がるのみである。
一同に先んじて王宮に辿り着いたオタルバは精査するまでもなくここには何もないと悟っていた。
予想通りだが妙な魔力も感じられない。
せっかく回り道をして来たのに無駄骨だろうか。
ロブはここで巫女の力の手掛かりを探すと言っていたが、考えてみれば何年もゴドリック帝国の支配下にあったわけである。
滅ぼしたブロキスが自分に都合の悪いものを残しておくわけがないだろう。
遅れて皆も合流した。
先ほどロブから魔力の親和性の話を聞かされたリオンとラグ・レはオタルバにどのような顔をして良いか分からず引きつった笑みを見せてしまう。
余所余所しさを感じ、よもや自分の淡い気持ちが年頃の娘たちにばれたのではないかと冷や汗をかくオタルバ。
無理やり別の方向に話を持っていこうとした時に事は起こった。
「なあロブ、やっぱりここには何も……」
言いかけて息が止まった。
この地には普遍的な気脈が流れるだけで何もなかったはずだ。
それなのに急に生じたこの魔力はまさか。
オタルバが自分の後ろを見ている一同の視線を追うとそこには黒衣異相の男が立っていた。
「やはり来たか……ブロキス」
「すまんな、ハースト軍曹。場を設けた事、感謝する」
まるで示し合わせたかのようなやり取りをするロブと、ラーヴァリエにいるはずのブロキス。
飛び下がってリオンを背に隠し身構えたオタルバが牙を向く。
臨戦態勢を取ろうとしないロブとウィリーを見てこれは予定調和だったのだと気づいた。
オタルバは狼狽した。
「場を設けたって……ロブ、どういうことさね!?」
「奴はリオンの魔力を辿ることが出来る。そしてここセイドラントは奴の記憶にある地だ。俺たちがここに来れば必然的に奴も現れると思った」
「なんのためにだ、ロブ・ハースト!? 会わせちゃ不味いんじゃないのか!?」
「弓を下ろせ、アナイの民。俺は貴様らと争いに来たわけではない」
ブロキスの静かな制止の声にラグ・レは歯噛みした。
確かにここで争っても意味はない。
リオンに巫女の力が発現していない以上は蛇神を封印することは出来ず、徒にブロキスを傷つければまた蛇神が暴走しないとも限らない。
奇妙な話だが本来ブロキスとは協力しなければならない間柄なのだ。
ロブに促されてラグ・レは渋々ながらも弓を下ろした。
だが警戒は解かない。
巫女の気配を感じて蛇神が目を覚まさないとも限らない。
蛇神と巫女に関する知識がない以上はリオンを守るためには過剰なくらいが丁度良いのだ。
「さあ、時間が惜しい。今の俺には時間がない。アスカリヒトに心を乗っ取られる前に、やることが山積みだ。さっさと済ませよう」
そういうとブロキスは歩み寄ってきた。
動くだけで気脈が乱れるほどの魔力が迸る。
邪悪な魔力が異質な風貌と相まって圧倒的な威圧感を与えてくる。
自ら毒をあおり瀕死となっていないブロキスの魔力は本来ならばこれほどにまで強大だったのだ。
目の前まで来たブロキスは手に持っていた物を差し出した。
それは首飾りや指輪、木切れといった関連性のない小物だった。
だが小物からはあり得ないほどの魔力の内包が感じられた。
オタルバはすぐにそれが精隷石であると理解した。
「受け取るがいい」
「ど、どういうつもりさね?」
「帝国の兵器に使用していたものだが適合者がおらず俺が預かっていたものだ。魔法使いが身に着ければ大きな力を使うことが出来る。アスカリヒトとの闘いで役立てるといい」
「……なるほどね。なんだか妙な気分だねえ。あんたから援助を受けるなんてね」
ブロキスもまた蛇神の呪いからの解放を望む者の一人だ。
ラーヴァリエを手中に収め、目下敵対する勢力がいなくなった今だからこそ出来る協力なのだろう。
無言で佇むブロキスから三つの精隷石を受け取った。
横からすかさずロブが口を開いた。
「ブロキス。お前は昔、セイドラントを滅ぼしたのは精隷石の使い方を誤ったせいだと言っていたな」
「それがどうした」
「お前がアロチェット大将たちを無理やり刑死させたのは、お前が精隷石を使ってやろうとしていた何かを知ってしまったからか?」
「……またその話か。くだらない過去に引きずられているものだ」
「俺にとっては重要な話だ! 俺が軍を抜け、今まで戦ってきた意味はそこにある。臆病者の俺たちはお前のせいで未だこの島嶼の泥の中にいる。今でも、もうどこにいるかも分からない戦友たちが、故郷に帰りたいと嘆いている!」
「昔言ったはずだ。奴らはただの軍法違反だと。陰謀論に憑りつかれるのは止めることだな」
「では何故……!」
「じゃあ、お父さんとお母さんを殺すため?」
ロブたちの会話に口を挟んだのはリオンだった。
オタルバの腰から顔を覗かせるリオンを見てブロキスは目を細めた。
「……なに?」
「ロブから聞いたよ。あなたの魔法じゃこの国はこんな風には出来ないって。精隷石を使えばそれが出来るの? 私、てっきりお父さんたちがあなたに抵抗してこんな風にしちゃったんだと思ってた」
「…………そうか。なるほどな。それでいい」
ブロキスが醜い顔を歪ませて笑った。
質問を無視されてリオンは眉根を寄せた。
「なにがいいのよ。答えてよ」
「そうだ。その通りだ。お前が産まれた時、俺の中のアスカリヒトも動き出した。お前の両親は俺と戦って死に、国も滅びた。だがな、おかげで俺は死の淵にいれば自我を保てることを知った。お前の親には感謝している」
「……そっか」
「俺を憎むか?」
「べつに」
リオンは複雑な表情でか細く呟いた。
ブロキスの口から真実を聞けば感情も湧きたつかと思ったがやはり他人事のような気持ちは揺るがなかった。
どうしても故郷はジウで、大賢老が祖父でラグ・レは姉で、両親は船の事故で死んだという認識が強すぎる。
物心ついてから今までの記憶を改めるなんてきっとルビクの催眠魔法でだって無理なはずだ。
しかしそれにしても。
本当の両親は自分を守るために命まで投げ出したというのに。
これほどまで両親を想えないとは自分はなんて薄情な娘だろう。
自己嫌悪で唇をかむリオンを見てブロキスは寂しげに口元を緩ませた。
「ハースト軍曹、審判のオタルバ」
「なにさね」
「貴様らの取り計らいに感謝する。俺にはこれで充分だ」
「どういう意味だい」
「ブロキス、いいのか?」
「ああ」
「これが最後になるかもしれないんだぞ」
「ああ、充分だ。……リオン」
「なに?」
「俺の中の邪神が目覚めたらすぐに邪神を封印すると約束しろ。アスカリヒトは死と破壊の化身だ。一日でも封印が伸びればそれだけ多くの者が死ぬだろう。アスカリヒトを止められるのはお前だけだ。いいな」
「……わかってるよ」
「お前たちはここに何らかの手掛かりがあるのかと思って来たのだろうがな。そんなものは必要ない。俺は昔アシュバルで巫女についての伝説を聞いたことがある。が、巫女の力は期日を迎えれば自然と使えるようになる。だからそれまではジウで大人しくしていろ。強大な魔力の持ち主であるお前が戻ればジウも早く眠りから覚めるはずだ」
ブロキスは踵を返して少し歩き、久しぶりに見た故郷を懐かしんだ。
そしてふと、やはり言っておこうと決意したかのようにロブに向き直った。
「軍曹。今、帝国はリンドナル王族のヘジンボサムが仮の帝位についている。ヘジンボサム家と我が王家は古い付き合いだ。事が済んだらイムリント撤退戦の死者の遺骨を回収するよう一筆書いておこう。それと……ハイムマンたちは俺に責任を被せられて死んだと喧伝するがいい」
「どういう風の吹きまわしだ?」
「さあな」
「何が目的か知らんが一筆書く必要はない。お前もランテヴィア解放戦線の指導者が先帝の縁戚にあたるブランバエシュだと知っているだろう? 帝国の民はヘジンボサムよりブランバエシュを選ぶだろう。お前がいなくなった帝政など恐るるに足らん。帝国の革命は近いうちに成功する。俺も解放戦線には少し協力させて貰ったからな、政権掌握の暁には俺の望みは彼らに託させてもらう。……それにしても改めて思うが、こんな時に国を棄てるとはお前という奴には呆れるばかりだ」
「俺もそう思う。政は苦手でな」
「不器用な奴だ」
「お前ほどではないな。さあ、もう用は済んだだろう。次に相対した時には恐らく言葉は通じまい。後は任せた」
そう言うとブロキスは雨燕の首飾りを用いて再び消えていった。
セイドラントに再び穏やかな気脈が戻る。
ウィリーはロブの肩を叩き無言で労った。
何かの衝動を堪えているかように歪んだブロキスの顔がリオンの脳裏に焼き付いて離れなかった。




