ハイムマンの手記 6
王宮の様子は港を出た直後に分かった。
少しばかりの林を抜けるとなだらかな丘陵地が広がり遠くまで見渡せた。
そう、見渡せるのだ。
すぐ近くにあるはずの建造物が見当たらずあるのは崩壊した廃墟だった。
「……どこも……燃えていません」
ロブを見ながらウィリーが呟く。
ウィリーは蛇の炎がどのように大地を穢していくのか知っていた。
ロブもまた蛇神の分身の呪いによって徐々に体内に負の魔力が蓄積していく身であり、分身に体を乗っ取られないためには呪いを発散させねばならなかった。
そこでノーマゲントにいた時には僻地で魔法を使い魔力を消費していた。
邪悪な黒い炎雷は高い粘性で地面にこびりつき周囲を侵食していく。
防ぐには全力で反魔法をかけねばならず、僅かな範囲を元に戻すのでさえ体力を大きく消耗した。
セイドラント島にはどこにもその形跡がない。
ロブの心の中で憶測が確信に変わった。
「ブロキスじゃない? するとセイドラントをこんな有様にしたのは誰なんだい」
「……ロブさん」
「……ああ、おそらくだがラーヴァリエじゃないだろうか」
「ラーヴァリエ?」
「ブロキスはラーヴァリエに並々ならぬ執念で戦争を仕掛けていただろう。それは……自国を棄てざるを得なかったことに起因する復讐じゃないか。ラーヴァリエは十年前もリオンを連れ去ろうとして……失敗した。リオンの両親がラーヴァリエの魔法使いなら、情報はそこから流れたんだろう。そして……誰かがブロキスと戦い……こうなったんじゃないだろうか」
「お父さんかお母さんかも」
「リオン?」
「話したでしょ。教皇が言ってたって。私のお父さんはラーヴァリエの北方守護家っていう凄い家の生まれで、お母さんはアシュバルっていう魔法使いの国のお姫さまだったって。どんな魔法が使えたかは聞かなかったけど……でも、もしもそうなら……」
ここまでする必要があったのがろうか。
リオンは胸が痛くなった。
両親が自分の為に命を賭して戦ってくれた気持ちは分からなくもない。
親にとっては子の命が何よりも大切だったのかもしれない。
だがこの国にも百や千では済まない命が暮らしていたことだろう。
リオンは自分自身を顧みて自分の命の価値が数万の犠牲の上に成り立って良いものとは思えなかった。
もしそれが事実なら自分には世界を救う鞘の巫女の資格などないと思った。
「でもじゃあ、もしもそうならブロキスはそれを理由にラーヴァリエに戦争を仕掛けているはずじゃないかい? 確か別の理由を大義名分にしていたはずだろ?」
「それは……この時代に魔法で滅ぼされたなんて訴えを、誰が信じる?」
「そりゃあそうかもしれないけどねえ……」
「そうだリオン。残存する魔力の質で誰が使った魔法なのか分からないか? 出来そうな気がするが」
ラグ・レの提案にロブとウィリーが気色ばんだ。
その僅かな機微に気付いたオタルバだったが何故そのような顔をするのかまでは分からない。
リオンは少し考えてから意識を集中させてみた。
しかしそこには通常の気脈が流れているだけで異質な魔力は感じられなかった。
「わかんない。今のところ何も感じないよ。ごめん」
「いやいや謝ることないぞリオン。私たちなんか分からないことすら分からないのだからな」
「やんなっちゃうねえ。あたしなんてもう長いこと学んでるはずなのに未だ感じる事しか出来ないよ」
「それでも大したもんだ。見られるようになって分かったが、こんなものは学ぼうと思って習得できるものじゃない。よほど勘が鋭くなければな」
「ふん。蛇の呪いで見えるようになったあんたに慰められてもすっきりしないねえ」
「慰めてない。本当に大したもんだと思っている」
「…………うるさいねえ! ……先を見てくるよ!」
駄目押しのようにロブに褒められたオタルバは居心地悪そうに駆け出して行った。
ロブとしては素直な感想を言っただけだが素直に受け取れないオタルバだった。
その様子を見ていたリオンは少し嬉しそうにロブを見上げる。
ロブは何やら妙な寒気を感じた。
「行っちゃった。ねえ、ひょっとしてオタルバってロブのことが好きなんじゃない?」
「ぶっ!? な、何を言い出すのだ、リオンよ」
「おや? そういう話は興味ありますね」
「唾がかかったぞラグ・レ。気をつけろ。あとウィリー、興味を持つな」
「いやいや申し訳ありません。でもたぶん、みんな気づいていましたよ」
「誤解だ」
「相手の感情なんですから。素直に受け取ってあげればよいでしょうに」
「……はあ。いいかお前ら。いい機会だから言っておく。これは魔力を知る者の性質だ。魔法使いは同じような魔力を持つ者に親和性を感じるようになっている。おそらく俺とオタルバは魔力の属性が似ているんだろう。似ている者同士は惹かれ合う。だがオタルバはまだ魔力に対して理解は途中で親和性と好意を混同しているに過ぎないんだ。だから……まあ、俺だって気づいてる。気づいているからこそあの気持ちには応えることは出来ない」
「なんだロブ、分かってたの? だったら余計にオタルバがかわいそうだよ。分かってるなら教えてあげればいいのに」
「お前のその感情は勘違いだ、なんて言われたほうが傷つくだろう」
「言い方ってもんがあると思う」
「待てよ……。なるほど、だから剣と鞘か。合わせて一振りの得物になるということだ」
「なんの話?」
「巫女が蛇神を封印出来る理由だ。おそらく闇の女神とやらの加護と蛇神の魔力は属性が似通っているのだろう」
「ということはリオンとブロキスも惹かれ合う運命ということか?」
「ラグ・レ。話を飛躍させるな」
「ええー? やだぁ、わたしブロキスになんかぜんぜん惹かれなかったよ。おじさん過ぎるよ」
「…………」
「うちの可愛いリオンはあんな男にはやらん」
「あ、でもエーリカとはすぐに仲良くなれたっけ。あれも属性が似ていたからなのかな……」
思い出してしょんぼりするリオン。
対峙したことのあるロブは知っているがリオンとエーリカの魔力は似ていなかった。
年齢も近いわけではなさそうだったので恐らくは別の要因だろう。
単純にリオンの物怖じしない社交的な性格が相手に受け入れられただけに違いない。
「親和性はあくまでも一要因に過ぎない。同じ属性の者でも皆が皆仲良くなれるというわけでもない。お前は人懐っこくて優しい性格をしている。だからエーリカもお前のことが好きになったんだろう」
「……そうかな」
「ああ。見えない俺でもお前の笑顔は目に浮かぶからな。だからそんな声を出すな。僅かな時間だったとしても培った友情を信じてやれるのはお前だけだ」
「……うん」
「でましたよ、ロブさんの天然女たらし。聞きましたかラグ・レさん」
「ああ聞いたぞウィリー・ザッカレア。お前の笑顔が見えない目に浮かぶだと。よくもまあ、あんな背中が痒くなるような言葉を平気で吐くもんだな」
「なんだお前ら」
「魔力うんぬんが一要因に過ぎんのだとしたらオタルバが貴様に好意を寄せているのは貴様がそういう言葉を吐いてオタルバを惑わしたからではないか?」
「何を言っているか分からん。行くぞ」
「お前は誰かれ構わずそういう言葉を吐いているのか?」
「行くぞ」
「こっちを見ろロブ・ハースト。私に言う言葉はないのか!」
「言っているだろう。行、く、ぞ」
「おやおやこれはもしかして。もてる男は大変ですね!」
「お前らいい加減にしろ」
「あはは! ロブ、ありがとうね!」
やかましく騒ぐラグ・レを無視して槍を杖替わりにさくさく進んでいくロブ。
あからさまに困惑して逃げる背中がおもしろくてリオンは笑った。
その笑顔を斜め後ろからウィリーはじっと見ていた。
視線を感じ振り返ったリオンにウィリーはロブを指さしておどけて見せた。




