ハイムマンの手記 4
結局捕虜にした部族の男は役に立たなかった。
有益な情報は何も持っておらず、ただ自分たちの安寧のためにリオンを攫おうとしていたに過ぎなかったからだ。
そのような者たちには蛇神を封印するための合力を要請することも出来ない。
彼らはあくまでも自分たちの生活に結び付けた考え方しか出来ず、目先の損得でしか動けないからだ。
治療を施してやり適当な島で男を下ろして一同は西進を続ける。
その後も複数の部族がザッカレア商船に襲い掛かって来た。
しかし動く要塞ともいえる最新式の船の前では竹やりなどの原始的な武器などあってないようなものだ。
数をものともしない個々の武勇も相まって、とりあえず旅は順調に進んでいった。
「わ。すごい音した。大丈夫かな」
ロブ達が戦っている間リオンは船室でビビと一緒に船酔いしたルーテルを看病していた。
皆の心配はしておらず、どちらかと言えば敵の方が大怪我しないか心配だ。
最初は自分のせいで皆が戦っていると気にしていたリオンも今では開き直っている。
巫女の力は自分で望んだものではないし、自分を責めてもどうしようもないからだ。
どうせなら早く力を習得したい。
皆と一緒に戦いたい。
それなのに力が元日に授かるということ以外は今のところ何も分かっていない。
誕生日に夢に出てきた不思議な女性もあれから一向に現れていなかった。
果たして具体的にどんな力が使えるようになるだろう。
力を得た瞬間その使い方が分かるとか、都合の良い設定なのかもしれない。
物心ついた時から反魔法が使える素質があったということはそれに準じる力なのだろうか。
リオンも記憶と経験から自分なりに巫女や蛇神についての情報を調べていた。
そこで思い出されるのが大聖堂でのブロキスの台詞だった。
ブロキスは蛇を剣に、巫女を鞘に例えた。
盾ではなく鞘だ。
剣の対になるものならば普通は盾のような気もするが、なぜ鞘なのだろう。
珠の巫女とも言っていたが鞘と珠の類似点も不明だ。
ブロキスともう少し話がしたかった。
少なくとも世界で一番神話について知っているはずのジウよりもリオンの質問に答える気があったように見えたからだ。
ロブも、ジウがまともに真実を話そうとしないと諦めているからこそセイドラントに行き僅かでも情報を集めようとしているのだろう。
この期に及んで語ろうとしないのは不審を通り越して腹立たしくもあるが、今はどういうわけか眠ってしまっているとのことなのでリオンは帰ったら枯骸を揺らす勢いで叩き起こしてやるつもりだった。
弱々しくもぞもぞ動き出したルーテルが桶に胃液を吐く。
往きの船でもこんな感じだったらしい。
確かに他の仲間たちと違ってルーテルは船に慣れていない。
正直役に立っていなかったが、それでも助けに来てくれた気持ちは嬉しかった。
てきぱきとルーテルに水をやるビビ。
リオンも手伝いルーテルの口元を拭いてやった。
ビビはその間に汚物の入った桶を外に捨てに行く。
船をよじ登ってくる敵に最悪の攻撃をして、何事もなかったかのように船室に戻る。
「ねえビビ。今更だけどさ、ビビたちってなんで私を助けてくれるの?」
一段落ついたところでリオンはビビに聞いてみた。
ウィリーにも質問したが世界平和に貢献したいだとか、社員であるロブの意向だからという漠然とした答えしか返ってこなかった。
一方でロブは全く理由を語ろうとしない。
ラグ・レは何か知っているのか、罪滅ぼしだと一言だけ教えてくれたが要領は得なかった。
「ふぁ? ふぁあーあーああふぁああ」
ビビはザッカレア商隊でも古参の部類に入る社員だ。
彼女は元々戦場看護師だったが敵襲に会い重傷を負って打ち捨てられていたところをウィリーに拾われたらしい。
その時の傷を隠すために顔には常に防塵面をつけている。
上手く喋られないのもそれが原因らしい。
「世界平和ってさあ、それほんとに信じてる?」
「ふぁ。ふぁあああふぁあーああ」
「ふうん……。でもウィリーって武器売ってるよね?」
「ふぁ。ふぁーふぁーふぁふぁふぁふぁふぁあああ、ふぁああーあふぁーあああ」
「共通の敵? それが蛇神ってことね」
「ふぁっ、ふぁあーあーふぁああ」
「理想論……」
やはり社員のビビでさえウィリーの世界平和の夢は理想論でしかないようだ。
確かにビビの言う通りだろう。
共通の敵が現れた時でさえ人々は自分の利を優先させる。
今の状況が如実にそれを示していた。
ナバフ族のようにすぐに協力してくれる者など稀だ。
逆の立場になってみればそれも当然と言えるかもしれない。
死を司る蛇神が蘇りそうだから世界平和に手を貸せなどと言われたら果たして自分ならすぐに協力できるだろうか。
もしかしたらかつての繋世の巫女の伝説がジウ以外では殆ど風化しているのもそういうことだったからなのかもしれない。
「ていうかさ、ビビは自覚ある? 世界の平和を守るために活動してるって」
「ふぁっし」
「だよね。私も! 巫女の力とか意味わかんない」
「ふぇふぇふぇふぇ」
「……なんなんだろうね。時々それっぽいことは身の回りに起きるけどさ、それにしては全然予兆とかないし、どうすれば蛇神を封印出来るのかとか未だに全然分からないんだもの。あと半月だよ?」
巫女の力を得るまであと二週間。
その後は一年内のどこかで目覚める蛇神をいち早く倒さなくてはならない。
あれが本当に目覚めたら確かに世界は大変なことになるだろう。
一日でも遅れればそれだけ多くの命や土地が穢れた炎で焼かれていくのだ。
「分かってるのに心構えが出来ないっていうか、未だにふとした瞬間に他人事に思っちゃう自分がいるの。おかしいよね。私のせいで犠牲になっちゃった人もいるのにさ」
自嘲するリオンの頭をビビが優しく撫でた。
「ふぁーふぁーふぁああっああーあ」
「うん。ありがとう。ま、焦ってもどうにもならないけど頑張るよ。私が世界を救って見せる! なんてね」
「ふぇふぇふぇふぇ」
「あ、救うで思い出したけどそういえばブロキスって蛇神が目覚めたらどうなるんだろう?」
ふと気になって首を傾げるリオンに合わせてビビも首を捻った。
ブロキス自身も呪いからの解放を願いリオンに救いを請うた。
しかし未だ本腰を入れてリオンの捕獲に乗り出さないところを見ると今はまだ接触しては不味いのだろう。
ラーヴァリエに現れた時もリオンを連れに来たというよりは教皇を服従させるためにそれを餌として偽って挑発したといった感じだった。
今接触してしまうと、効力が切れかけているとはいえ封印中にも関わらず微睡みの状態で出現した時のように中途半端な状態で暴走してしまうのかもしれない。
順当に考えれば蛇神が復活したらブロキスの意識は乗っ取られるに違いない。
ということはブロキスを救うには巫女の力が発現する元日から、先代の巫女が封じた日までの間ということになる。
それが何月何日の出来事なのかなど歴史には残っていないし、下手をすれば巫女に会ったジウですら正確な日にちなど覚えていないかもしれない。
ある意味これは余命宣告のようなものだ。
そう思うとブロキスが少し哀れに思えてくる。
話に聞けば彼は毎日毒を飲み、朦朧とした状態で生きていたとのことだ。
それが蛇神の意識に抗う唯一の策だとしたらこの十余年が絶望の毎日だっただろう。
両親の敵とはいえリオンはブロキスに同情を禁じ得ないのだった。
「ふぁー」
「ん? ああ、戦いが終わったのかな。静かになったね」
「ふぁっふぁふぁーふぁーふぁあーあ、ふぁああ!」
「だね! 大丈夫だとは思うけど」
「ううむ……やはり俺様には何を言ってるかさっぱり分から……ん」
「ぶっし!」
暫くしてロブ達が帰って来た。
案の定誰も怪我などしていなかった。
取り敢えず今の襲撃で近海の部族は全て振り払うことが出来たらしい。
ということはつまり、船はいよいよセイドラントの海域に入るという事になる。