ハイムマンの手記 2
セイドラントはゴドリック帝国にほど近い小さな島国だった。
島嶼の中では比較的文明水準の高い王国だったと言われている。
かつてはリンドナル王国と同盟を結んでおり、リンドナルがゴドリックに併合された後はラーヴァリエの支援を受けて帝国の侵攻に抗っていた。
その最後の王がザニエ・ブロキスである。
リオンたちはセイドラントを目指していた。
本来ならば一刻も早くジウに戻りたいところだったがロブがこの機会に行っておきたいというのだ。
巫女や蛇神アスカリヒトのことを知る上で何か手掛かりがあるかもしれないという。
先代の巫女にも会ったことがあると言われるジウに聞くのが最善だろうにと皆は思ったがどうしてもこの時機でなければならないらしく、リオンも故郷に対して興味がないわけではないのでロブの意見を聞き入れることにした。
ナバフ族の島からセイドラントの海域まではウィリーの最新型の船で一週間ほどだ。
時間があるので一同は色々話をした。
目下、最も懸念されるのはブロキスがいつでもリオンの元に現れられる術を持っているということだ。
ブロキスは縮地法と呼ばれる空間転移魔法が使える精隷石を所持しており、かつ空間転移魔法の使い手であるサイラスなる魔法使いも陣営に加わっている。
空間転移は使用者の記憶にある場所にしか行けないという制約はあるものの、催眠魔法の使い手であるルビクはリオンと意識を共有させることでリオン自身を移動可能な拠点にせしめた。
先日リオンの夢にルビクが出てきたことからも分かるように彼は存命で皇帝の配下に加わっているとみてよい。
ロブはリオンに魔法を体内にしまい込むやり方を教えてはみたが元々の魔力の保有量が桁違いすぎるせいかなかなか成果が見られなかった。
今はまだ手出しをしてくる様子はないが、リオンが巫女の力を手に入れるであろう新年の前後までにこの問題は解決しておきたいところだった。
似たような理由でジウもまた常に危険に晒されている。
ルビクは大樹の中で住人として生活していた。
長年のブロキスの行動からすればブロキスが大賢老に危害を加えようとする可能性は今のところ低いが、それでもリオンを手に入れるためにジウの住人を脅かしたりしないとも限らない。
その懸念については体力を取り戻したシュビナがいち早くジウに戻りイェメトと共に対策を練ることになった。
船は進む。
航路はかつてロブがゴドリック帝国兵士だった頃の配属先に差し掛かった。
ロブの目はその景色を見ることは叶わないがウィリーに最寄りの島を聞けば情景が目に浮かんでくる。
あまり思い出したくないが同時に忘れてはならない大事な記憶でもあった。
「綺麗だね!」
潮風を嗅ぎ物思いに耽るロブの隣でリオンが元気にはしゃいだ。
実はロブがジウの住人であり、かつてラグ・レを助けて自分をジウに連れていく手助けをした男だったという話を聞いたリオンはロブに懐いた。
ラグ・レはリオンの姉のような存在だがそれでいうとロブは兄ということになるのか。
兄弟の設定にするにはリオンとロブは親子以上に歳が離れているが、年齢が当てにならないのはジウでは常識なのでリオンは気にせずロブに甘えた。
ラグ・レも久しぶりにロブと一緒で嬉しそうだった。
何となくむきになったオタルバもだいたいロブの近くにいた。
船旅中、四人は常に行動を共にした。
ルーテルはロブに殺意が沸いた。
「おいリオン、あまりはしゃいでいると海に落ちるぞ。まったく子供だな!」
「お前からその台詞が出るとはな」
「馬鹿にするなよロブ・ハースト。私はお前と最初にあった時から一人前だ」
「そうだな。分かっている」
「うむ」
「ちょっと、なに赤くなってんだい」
「なってないぞ!」
「あれ? 赤い変なのがある!」
「赤い変なのとはなんだ! ……ん?」
リオンが指をさした先には小島の浅瀬に赤茶けた像のようなものがいくつか並んでいた。
オタルバもラグ・レも分からずロブは見えないので当然分からない。
だが特徴を聞き、現在地と照らし合わせるとそれが何かすぐに分かった。
ロブの脳裏に当時の記憶が鮮明に蘇った。
「大砲だ。俺たちが逃げる際に置いていったやつだ。まだあったのか」
ロブは十三年の時を経て忌まわしきイムリント撤退戦の始まりの地に戻って来た。
古ぼけた鉄の塊はその記念碑のようにロブを出迎えた。
この地は直近までラーヴァリエとの戦闘のための軍用航路として使用されていたため様々なものが放置されている。
大砲だけでなく、未だ戦友たちもこの海に散らばる無数の島々で祖国へ帰る日を待っている。
「ふっ……救い、か」
「どうしたんさね急に」
「いや、な。ブロキスとはある意味利害が一致している。奴が蛇神の呪いから解放されたいと思う気持ちは俺にもよく分かる。だがな、イムリント撤退戦……あの惨たらしい地獄が起きたのは奴の責任でもある。そんな奴が責任も果たさないままここを置き去りにして自分だけが助かろうとしていると思うとな。無性に笑えてくるんだ」
「……ロブ」
「なあ、この海の色は何色だ?」
「ん? 透明だよ! 底が見えるの。すっごく綺麗! ジウの海岸よりももっと澄んでるよ!」
「そうか……それは良かった」
中途半端に話を聞いていたリオンが返答しロブは笑みを向けた。
だが通り過ぎていく砲台を見送ろうとリオンが船尾に走っていくと、ロブは小さな声で囁くのだった。
「俺には赤く見えるんだ……。これは戦友たちの……血の色だ」
ロブは変わらない。
未だ過去に囚われている。
果たして本当にこの場所に来てよかったのだろうか。
オタルバとラグ・レはかける言葉が見つからずお互いに顔を見合わせた。