時が満ちる前に 6
全体合議の後でリオンは大賢老の元を訪ねていた。
島内に潜伏する何者かをアルマーナの亜人たちが捕らえるまでジウの住人全員が大樹の中に籠るという決定を抗議をするためだった。
ジウの大樹の内部には湖が広がっておりその真ん中にある島に大賢老はいた。
いや、大賢老はそこに在った。
大賢老のために建てられた神殿の中には玉座があり石でできたその椅子は寄生植物によって覆われ一見すると木そのものに見える。
重なる根と枝の中には人影が見えた。
人影はよく見ると人間の枯骸だった。
それこそが大魔導士ジウの正体であった。
ジウは自身と大樹を繋ぐ寄生植物の根によって大樹そのものと同化した太古の賢人である。
人としての生命はとうに終えていたがその膨大な魔力で魂を現世に繋ぎとめていた。
そのため彼の声は魔力を知る者にしか聞こえない。
全体合議でオタルバが声帯を提供したのはその為だった。
「おじいちゃん、さっきのあれはなに!? すごく薄情だったよ!」
神殿に到着するや否やリオンは大賢老に詰め寄った。
リオンは怒っていた。
大賢老の判断はまるで今いる住人だけが無事であればそれでいいとでも言っているかのようだ。
ジウに籠り誰も浜辺を確認しない状態が続いたとき、仮にその間に同胞が浜辺に辿り着いたとしたらその同胞を見殺しにしてしまうかもしれないという可能性は幼いリオンにも予想できることだった。
リオンには理解できない。
最近の大賢老は様子がおかしかった。
リオンを外に出さないようにし、今度は住人全員を大樹に閉じ込めようとしている。
その意図が知りたくてもどうせ教えてくれないので不信感は募るばかりであった。
――リオンよ、わかってくれ。
「わからない! おじいちゃんは大賢老でしょ!? 世界中からおじいちゃんを頼ってくる人がいるんだよ!? 今更、救わないってどういうこと!?」
――聞きなさい。我は気脈を見守ることしか出来ぬ。自ずから救いの手を差し伸べられるほど力はないのだ。
「そんなことないもん。みんなおじいちゃんに救われてここで暮らしてるんだから。私知ってるもん。そんな嘘つかないで」
――嘘ではない。我が自ら救いの手を差し伸べたことなどはない。世界から逃げこの島に辿り着いた者の手を引き大樹の中に住まわせる行為を始めたのは我ではなくオタルバだ。我の力も、イエメトの力も、共に進んで人を助けられるものではないのだ。
「なにそれ。でもそうだとしてもさ、皆をここに閉じ込めておくのは酷いよ。皆オタルバに倣ってさ、毎日浜辺とか森の先の入り江とか見に行ってるのはおじいちゃんも知ってるでしょ? ここを頼って逃げて来た人たちがいるかもしれないってさ、アルマーナの人たちに殺されないように頑張ってるんだよ? それが出来なくなるだなんて、もしその間に誰か殺されちゃったら悔しいよ。それに変な人だってもしかしてジウを頼りに逃げて来てさ、今も一生懸命逃げてる人かもしれないじゃんか」
――仮にそうだとしてもその者はアルマーナの誇りを傷つけた。我は受け入れることが出来ない。
「……魔力がないからでしょ」
――リオン?
「おじいちゃんってさ、魔力がない人には冷たいよね」
――そう思うかね。
「うん。だってさ、ゴドーさんの時は何も言わないでさ、皆が入り江に行って見つけてきたでしょ。でもルビクの時には浜辺に来るから助けに行けって予言したじゃん」
――気脈を見ることが出来るようになれば分かる。魔力を持たぬ者は見えない。魔力が僅かな者も大いなる流れに飲まれて見えぬ。ルビクはその中でも僅かに見ることが出来たのだよ。
「ふうん、だからお気に入りなんだ」
――ここに暮らす者には公平に役目を与えている。その能力に見合った役目が誰にでもある。
「じゃあ私は役立たずなんだね。なにもさせてもらえないんだから」
――リオン……。
自分で言っていてリオンは鼻の奥がつんとした。
リオンは魔法が使えない。
魔力を見ることは出来るのにそれは嘘だと皆に言われる。
自分は大賢老の孫というだけでジウにいさせて貰っているだけで本当はいてはいけない存在なのだ。
「私もお母さんたちみたいに、流行り病で死んじゃえば良かったね」
リオンは走って神殿を後にした。
戻ってきなさいと大賢老の声が頭の中で響き続けるがリオンが自室に駆け込む頃には聞こえなくなっていた。
そのあとすぐにオタルバが部屋を訪ねてきたが中には入れてやらなかった。
どうせ大賢老の弁明を代弁しに来たに違いないからだ。
リオンは泣いた。
大賢老の孫という立場にありながら大賢老は自分の言葉を一切聞き入れてはくれない。
自分が不自由を強いられ、今度は皆が不自由を強いられる。
それを改めさせて皆の役に立つことさえ自分は出来ないのだ。
歳の近いルビクは有望だと言われた。
そのせいで自分は出来損ないだと暗に言われている気がした。
ルビクもシュビナも十五の数え年を迎えるにあたって何もなかったのに自分は監視されねばならないということもその思いを助長させた。
心に寒さを感じたリオンは物心つく前に死別したという両親の愛を想像し寝台の上で身を屈めて泣き続けた。
……リオン、リオン。
声が聞こえたので目を覚ますとあたりはすっかり夜になっていた。
泣き疲れて寝てしまったようだ。
扉の外から聞こえる声はルビクのものだった。
リオンは少しだけむっとした。
「ルビク?」
「ああ。昼間に君が神殿から駆け出すのを見た。そのあとだいぶ長い間オタルバが君の部屋の前に立っていたのもね。何かあったのか?」
「優秀なルビクには関係ないことだよ」
「優秀? そうかな」
「別に褒めてないし」
喜びを隠せない声色のルビクにリオンは観念した。
結局自分が拗れているだけでルビクには何の罪もないのだ。
あからさまに大きな溜め息をついたリオンは扉の閂を外して少しだけ開けた扉からルビクを睨んだ。
「別になんでもないよ。って、なにその恰好」
ルビクは夜を過ごすための軽装ではなく昼間に活動する時の恰好をしていた。
「ちょっとお願いがあってさ。イェメトの魔法の場所と、魔力の向きを教えてくれないかな」
「どういうことよ?」
「ほら、今日の決定で明日からみんな外に出られなくて困るだろ? だから僕、考えたんだ。僕がその侵入者を見つけに行こうってね」
「あなた馬鹿なの?」
リオンは呆れた。
良い人もここまでくると怖いくらいだ。
アルマーナの獣人たちが見つけられない存在をどうしてこの華奢な青年が見つけられるというのだろう。
しかもルビクは治癒魔法しか持たない非力であるし、もしも侵入者に気づかれ襲ってこられたらどうするつもりなのだろうか。
「馬鹿じゃないよ、大真面目さ。もちろん僕だって捕まえられるとは思ってないよ。言ったろ、見つけにいくんだって」
「意味が分からない」
「説明するからちょっと中に入れてよ」
「夜だし仮にも女の子の部屋なんだけど」
「問題ないよ」
「なんかむかつく」
リオンが部屋の中に招くとルビクは時間がないと言わんばかりにすぐに計画を説明し始めた。
ルビクが着目したのは侵入者が焚き火を残すという点だった。
侵入者はどうやって知ったのか分からない。
しかしその大胆ぶりはアルマーナの住人が如何なる場合でも夜は住処に帰るということを理解しているかのようだった。
暗い森の中では焚き火はとても目立つ。
必要以上に近づかなくても明かりさえ見えればおおよその居場所は分かる。
相手もまさか夜に外を徘徊する者がいるとは思わないだろうから油断しているはずだ。
見つけたらすぐさまジウに戻りオタルバに知らせるというのがルビクの作戦だった。
問題は夜にイェメトの魔法を破って外に出るという禁忌を犯すということだったが正義感の強い青年はついでに自己犠牲の精神も持ち合わせているようだった。
ルビクは皆のために自分の得た信頼を擲とうとしていた。
リオンはルビクを馬鹿だと思いつつも自分の昼間の中途半端な行動を心の中で恥じた。
自分は大賢老の孫であるという立場に甘えていたに過ぎなかったのだ。
「分かってくれるだろ、リオン? なんとかしたいんだよ。侵入者がいつ捕まるのか分からないのに待ち続けるなんて出来ない。その間に僕みたいな人間が島に辿り着くかもしれないだろ? 頻度はそんなに多くないらしいから大賢老も決断したんだろうけど、でも皆無じゃない。辿り着いてすぐに拾って貰えた僕だってすごく不安だったんだから、ずっと待たせてしまうかもしれない状況を指をくわえて見ているわけにはいかないんだ」
「私に言って、私が反対したらどうするつもりなのよ」
「君は反対しないよ。だって君自身が一番知ってるだろ。理不尽に押さえつけられる辛さをさ」
リオンはルビクの返答に自身の心が震えるのを感じた。
自分が優秀さに嫉妬していた青年は、邪険にしてもずっと自分を認め続けてくれていたのだ。
リオンはその気持ちに答えたくなった。
出来ることはそう多くはなかったが、友のためならばなんだって出来る気がした。
「反魔法使えるの?」
「原理は簡単だって言ってたろ? 魔力を逆向きに流せばいいって。でもその流れを見ることが出来ないから反魔法は術者しか使えない魔法だって言われている。でも君は魔力が見える」
自分の言葉を信じ切っているルビクの言葉がリオンには嬉しかった。
リオンはくすりと笑うと自身も決意した。
「わかったよ。じゃあイェメトの魔法の魔力の向きを教えてあげる。その代わり……」
「私もついていくわ」
ルビクは一瞬だけ躊躇したがすぐに大きく頷いた。
リオンの気持ちをよく理解していたからだ。
二人はジウを抜け出した。
新月の森は真っ暗で何も見えず恐怖は殊更であったが、信頼できる者と共にいるという安心感が二人の足を進める勇気となっていた。