小国の記憶 10
その日、ダルナレア・モサンメディシュ連合軍の再襲はなかった。
油断出来ない状況ではあるが島では戦勝と鎮魂の宴が開かれた。
長老の祈祷の声が闇夜に吸い込まれ、かがり火に見送られた葉舟が波に消えていく。
戦士たちは母なる海に還っていった。
村では酒が振舞われた。
嗜む程度の量ではあるが共に戦った者たちが言葉を交わし合うには丁度良かった。
しかしそれ故にロブ達は心苦しい。
死地から去ることに後ろ髪を引かれる一同に戦士長オロは気にするなと笑った。
ザッカレア商隊の社長であるウィリーは商人である。
先のない無駄な投資はしない。
それでも流石に今回ばかりは島に出来るかぎりの薬や火器弾薬を置いていくと長老に約束した。
次来た時に請求しますから、と再会を祈りながら。
「俺も残る」
エルバルドが言い出した時に驚かない者はいなかった。
ナバフ族を巻き込んだことに責任を感じているのか。
皆は思い直すように説得したかったがナバフ族がいる手前では難しい。
お前の責任ではないと慰めることさえ逆説として捉えられそうで何も言えなかった。
反対意見は当のナバフ族から出された。
長老は首を振り、戦士長オロは気持ちはありがたいがと前置きする。
もともと因縁のある敵と戦っただけでむしろゴドリック帝国の傘下に加わり表向きの友好同盟を甘んじようとしたことがいけなかった。
戦士としての誇りを取り戻せたことに感謝する、とオロは満足げにエルバルドの肩を叩いた。
「なあに? 揉めてんの?」
その時アルバス・クランツが長老の家に入って来た。
そういえばクランツは暫く姿が見えなかった。
船に残って明日の準備をしているビビたちの所に行っていたのだろうか。
亜人たちが鼻をひくつかせ何かを察した。
「クランツ、お前どこに行っていたんだ」
「いやぁそれがねえ、なんかおじさんすっごくもてちゃって。今もちょっとね!」
「ちょ、ちょっと、なん……だ!? お前、まさかナバフの女たちと……」
「やだぁ牛くんの変態! おじさんをそんないやらしい目で見ないでっ!」
一同は引いた。
特にノーラは最大の嫌悪感を顔に浮かべた。
だが長老たちの表情は対照的だ。
例え夫や家族が亡くなった直後だったとしても優秀な戦士と交わることはナバフの女たちにとって至上の喜びであり義務だからだ。
「話戻すけどさあ、とかげさんがここに残るっつう話してたんでしょ? いやあ奇遇だねえおじさんも残ろうと思ってんだあ」
「おいクランツ」
「だってしょうがないでしょ? 一人一晩だとしてもさあ、あと何日かかるんだって話だもん。だろ? それにさ、戦争ができんだぜ? こんな天国は他にないだろお! はい、というわけでおじさんは今日からここん家の子になります。お世話しました社長さん元気でね」
「クランツさん……わかりました」
「ウィリー!」
「この人は止めたって無駄でしょう。その代わり、クランツさん。退社ではなくナバフの現地特派員としてあなたに辞令を下します。それでいいですね?」
「なんでもいいよー」
嘆息し受け入れるウィリーと納得のいかないロブ。
この男は本当に昔から勝手すぎる。
それでもウィリーの言う通りクランツが意見を曲げることはなかった。
結局エルバルドとクランツはナバフの村に残ることになった。
朝がきた。
穏やかな浜辺では波の音が清々しい。
水平線に黒い影がぽつりぽつりと浮かび、ナバフ族は使い方を教わったばかりの銃を握り急遽仕上げた塹壕の中でその光景を見た。
朝駆けは兵法の基本だ。
「さあてと。きたきた、きたねえ!」
「大艦隊だな。はやり周囲の海上を封鎖していたか」
「確証を得たノだな。アの娘はまダここにイると」
流石の大軍に皆は緊張の面持ちだ。
その中でクランツだけは懐かしそうに笑みを浮かべている。
「さあてどれだけ時間を稼げるかねえ」
「大砲ですぐさま全滅、なんてことにはなるまいな」
「そのための塹壕だよん。なあに、砲撃は上陸までの煙幕みたいなもんさ。向こうもリオンちゃんの生け捕りが目的なわけだし、やたらめったら無茶はしないでしょ」
「ばレてないダろうカ。昨夜は沖に灯りが見エたが」
「大丈夫だってば。明かりも付けずに浅瀬方面から抜けられるなんて敵さんも想定外だって」
リオンたちはザッカレアの船で昨晩のうちに島を脱出している。
敵もまさか小島が連なる南西方面を航路に選んだとは思わないだろう。
喫水の深い船で遠浅の海を渡ることは座礁の危険性が高く、まして夜など自殺行為だ。
それが可能だったのは、アルマーナの住人に気づかれないようにロブたちをジウに送り届けたり、国境警備隊に見つからないようにゴドリック帝国に移動したりと高い航海術を会得しているザッカレア商隊一の航海士の腕によるところが大きかった。
「それじゃあノーラ。上手くやってくれよ。リオンたちが少しでも長く逃げるにはお前の力が不可欠だ。だけど無理はするなよ。危なくなったらすぐに逃げるんだ」
「……あんたもね」
ノーラも島に残っていた。
頃合いを見て海獣船を出航させリオンを乗せていると誤認させ陽動するためだ。
重要な任務だが危険はさほどない。
いざとなったら海中に逃げれば良いのだ。
いよいよ敵の船の旗が肉眼で見える程になる。
ダルナレアとモサンメディシュの連合は総力戦の構えだった。
両国間の小競り合いの時よりも本気度は上である。
一度目の作戦でリオンを捕獲出来なかったのみならず、適合者の少ない貴重な義肢使いを消耗してしまっているので二度目はないと敵も必死のようだ。
「よーしそれじゃあな皆、戦士の弔い合戦だあ! ぶっ殺されるまでぶっ殺そうぜぇい!」
「我らの誇りヲ見せツけるゾ!」
「また会おう!」
オロは北海岸に残り、エルバルドは南、クランツは東の着岸地点の指揮に走った。
圧倒的戦力差の戦いが始まる。
遠く離れた船上でオタルバは黒煙が上がるのを見た。
ナバフは善戦して四日間耐え抜き、そして滅亡した。