小国の記憶 9
戦後処理は迅速に行わなければならなかった。
ダルナレアとモサンメディシュの連合は兵力のごく一部だ。
追い返したとはいえ諦めるような手合いではないだろう。
第二陣が来る前に今後の決定をしなければならない。
女たちが戦士の亡骸を運ぶ傍らで負傷者の手当てはザッカレア商隊が買って出た。
突如として現れたにも関わらずウィリー・ザッカレアたちはナバフの歓迎を受けた。
挨拶もそこそこに船に積んであった医療品を惜しげもなく提供するウィリー。
護衛のビビは元従軍看護師の腕を活かし手際よく治療し、どういうわけかナバフの女たちはクランツの言う事をよく聞いた。
一方オタルバと合流したエルバルドは沈鬱な顔で倒れ伏した巨体を見下ろしていた。
牛の亜人は動かず、角は折れ額の裂傷から流れ落ちる血が凝固しかけていた。
ジウ随一の怪力も魔導を駆使した遠距離兵器の前には無力だった。
エルバルドは目を瞑り静かに戦士の名を呼んだ。
「ルーテル……」
黒い毛並みが潮風に吹かれそよぐ。
まるで穏やかに眠っているかのような表情だ。
オタルバは首を振り力なく笑った。
その顔には軽蔑の色が浮かんでいた。
「ふん……情けないねえ、こんなところで死んじまうってのかい」
「…………」
「まったく……ろくでもない奴だったねえ、こいつは」
「…………」
「人の話は聞かないし、単細胞だし助平だし」
「…………」
「いい加減にしないと怒るよ、ルーテル」
「…………」
「ああ、ああそうかいそうかい。じゃあ解体して食っちまおうか。エルバルド、剣」
「よし、ナバフ族にも振舞おうか」
「!! お、オタルバ……! そこは俺様を褒め称える流れだろ……う!?」
淡々とした声と抜刀音が聞こえルーテルは慌てて起き上がった。
牛の脳内では横たわる自分にオタルバが本心の愛を囁き、目覚めたところで感極まって抱擁し合う予定だったのだがどうしてこんな流れになってしまったのだろう。
オタルバは鬼の形相で牙をむき出しルーテルを威嚇した。
完全に間違ったとルーテルはようやく後悔した。
「不謹慎なんだよ、馬鹿が!」
顔面に前蹴りを食らって蛙のような姿勢で後ろにひっくり返る猛牛。
ルーテルがオタルバに認められるにはまだまだ長い年月を要しそうだった。
「さてと……」
ますます冷たい目になったオタルバが振り向いた先には正座をさせられているロブがいる。
隣ではラグ・レが同じく神妙な顔で正座していた。
ロブの弁明にラグ・レも協力してくれるというのだがどうだろうか。
馬鹿牛が余計なことをしてくれたせいで事態は最大限に悪化していた。
「オタルバ。聞いてくれ」
「気安く名前を呼ぶんじゃないよ」
毛を逆立てるオタルバはかつてないほどに殺気を放っている。
ダルナレアの雑兵たちに苦戦しているところを助けられてしまったので自尊心もぼろぼろだ。
決別したのだ。
その相手に借りを作ってしまうほど情けないことはない。
「審判のオタルバよ。ロブ・ハーストも色々大変だったんだ。見ろ、反省しているだろ。こんなにも小さくまとまってるじゃないか」
「自分勝手だったとは思っている」
「許してやればいいだろう。三百年も生きてるくせに尻の穴の小さい奴め」
「まだ二百五十年くらいだよ! いいからお前は黙ってな」
「なんだと寂しかったくせに。寝室の壁にロブ・オタルバって書いてたことばらすぞ」
「はぁ!? ばっ、馬っ鹿、馬鹿じゃないのかいこの馬鹿は!? でたらめ言うんじゃないよ!」
ラグ・レの余計な一言に体中の毛穴から汗が噴き出るオタルバ。
削って消したはずなのにいつ忍び込んでいたのだろう。
たしかに二百年以上生きているオタルバにとって十年という時間は他人にとっては短く感じるかもしれない。
だが実際は長い長い十年だったことは当人にしか分からないだろう。
「オタルバ」
「うるさい馬鹿だまれ馬鹿、馬鹿!」
「許してくれ。俺も俺なりにジウを守りたかったんだ」
「…………」
「俺がジウに渡ることで皇帝にジウ侵攻の糸口を与えたくなかった。だが今、皇帝はなりふり構わなくなりジウも中立ではなくなった。俺がジウを遠ざける理由もなくなったんだ。だから許してほしい。敵は多い。リオンを守るという目的が同じ者同士、仲違いしている時間なんかないはずだ」
「そんなことは! ……分かってるさね!」
「なら……」
「理解はしてる。だけど私は今、ちょっと、一人にさせておくれ……」
そう言うとオタルバは森に消えていってしまった。
エルバルドが黙って手を差し伸べて来たのでロブは掴んで立ち上がった。
「時間が解決するさ。ロブ、俺はあんたにこう言っておくよ。おかえり」
「すまないエルバルド……俺は」
「そういう時はたった一言。ただいまって言っておけばいい」
「…………すまない」
「さてと、なあロブ。あんたの言う通り時間がない。ザッカレアだったか? それとオロ。二人を連れて長老の元へ行くぞ。色々話し合わなければならない。状況は既にナバフの女性が伝えに行ってくれている。ラグ・レ、お前は死者の弔いと負傷者の治療を手伝ってやれ」
「分かった!」
手当の終わったオロとエルバルドに連れられロブとウィリーは長老の家を訪ねた。
長老の家ではリオンとシュビナが寝具に寝させられ、ノーラもいたが予想通りとても余所余所しい態度を取られた。
気を取り直し、見えないがあの時の赤ん坊はきっと立派な少女になっているのだろう。
当時を思い出しロブは感慨深く思った。
ロブは義肢使いに槍を投げた時以外は魔力を消し盲目状態になっている。
リオンの魔力が眩しすぎて世界が真っ白に見えてしまうためだ。
それでもリオンからは圧を感じる。
リオンが反魔法を覚えたらこれほど皇帝にとっての脅威はないだろうとロブは再認識した。
だがエルバルドたちと情報交換するとロブは自分が殆ど何も知らなかったことを知った。
巫女の宿命など聞いたこともなかった。
皇帝や教皇はリオンの魔力を己の覇権に利用しようとしていただけではなかったのか。
教皇はその認識でもあながち間違いではなかったようだがブロキス帝の事情はもう少し複雑なようだ。
果たしてブロキスがリオンに語ったという真名の誓約とは一体なんなのだろうか。
ブロキス自身も蛇神の呪いから解き放たれたいと願っているのなら話は早いはずなのに、その誓約が邪魔をしているということか。
大賢老に聞けば何かが分かるかもしれないと思ったがその大賢老も突如眠りについてしまったと知りロブは愕然とした。
その原因は紛れもなく自分だからだ。
ロブは話した。
テルシェデントで化身装甲と戦い自分は死んでしまった。
首を折られたり心臓を撃ち抜かれたりする程度の死ならばすぐに復活できるが、どうやらその時は超再生を要する死に様だったらしい。
宿主を蘇らせるために蓄積していた魔力を解放させた蛇神の分身はうっかり外に出てきてしまった。
大賢老はロブを救うために浄化の魔法を使った。
だが世界一の魔法使いの魔力を以てしても蛇神の分身を抑え込むだけで手一杯だった。
大賢老個人の魔力だけではなく大樹の根を介して大地の魔力を当てればこんなことにはならなかったのかもしれない。
しかし気脈の乱れを厭う大賢老にそのような真似が出来る筈もなかった。
蛇神に立ち向かうためには大賢老の知恵が必要だ。
リオンがジウに戻ればリオンの魔力を吸収し大賢老も目覚めるかもしれない。
兎にも角にもいち早くジウへ帰ることが目下最大の目標だ。
敵もそれが分かっているから全力で阻止してくるだろう。
一同はすぐさま策を練った。
途中でオタルバも加わった。
長老とウィリー、オタルバの合意で作戦がまとまる。
もしかしたら今生の別れになるかもしれないが一同の腹は決まっていた。
その頃浜辺では負傷者の治療も終わり、ラグ・レはザッカレア商隊の隊員たちと椰子の実の汁をすすって休憩していた。
ナバフの女たちは大きな葉で船を編んでいる。
あれは戦士を海に還すための乗り物だという。
ぼんやり見ていると今度は女たちが戦士の体を短刀で傷つけ始めた。
驚いた一同だったが一緒に死体を弄っていたクランツが説明してくれた。
ナバフは戦士の一族だ。
一族のためにたくさん戦い、たくさん傷ついた者ほど死後の世界で尊敬を受けるのだという。
今回の戦闘では銃撃によって倒れてしまった者が多く傷は小さな弾痕が殆どだ。
つまり女たちは戦士があの世で肩身の狭い思いをしないように死に化粧を施してあげているのだった。
クランツの説明を聞いてビビ、グレコ、ダグ、カートは感じるものがあったらしい。
加わって死者たちの肉を削ぎ、骨を折った。
ラグ・レは理解できなかった。
理解出来ないものの、せめてもの敬意を払い目を背けることはなかった。




