小国の記憶 7
エルバルドはナバフの女たちと共に島の中心へ向かっていた。
島の中心にはナバフの長老が住む聖域がありそこが避難場所となっている。
そこにリオンとシュビナを避難させたら周囲の警戒に当たらねばならない。
ダルナレアの船はおそらく陽動で、モサンメディシュの兵がどこからかリオンを狙って上陸してくるだろう。
長老の家に駆けこんだエルバルドたちは事の顛末を話した。
そして本当は言いたくなかったが敵の目的がリオンであることとリオンが巫女の力を有する存在であることも告げた。
長老は驚いた。
ナバフの長老でさえ蛇神や繋世の巫女の神話を遠い昔の創作だと思っていた。
彼らが信仰する土着の神カリュデクルオデとの真偽の差がどこにあるのかは分からないが、ラーヴァリエならばそんな昏倒無形な昔話を妄信していても不思議ではないと独り言ちる長老。
だが長老はエルバルドの言葉を信じダルナレアに引き渡すような真似は絶対にしないと信仰神に誓ってくれた。
もともとナバフがダルナレアと同盟を結んでいたのは遠交近攻の倣いでゴドリック帝国と同盟を結んだあとのついでであり特別な感情などなかった。
ナバフの神を邪神と罵り改宗を迫るラーヴァリエや漁場を荒らすモサンメディシュから土地を守るための政策に過ぎなかった。
ゴドリックやダルナレアが旧来の敵と手を組むならば同盟など破棄されたようなものだ。
人口僅か三千人程度の少数民族の代表は長いものに巻かれて生きるより誇りに殉じて戦うことを選んだ。
長老は家の前に立ちリオンは繋世の巫女の生まれ変わりだと声高に叫んだ。
そしてエルバルドたちを巫女を守る戦士だと称えた。
女たちは聞きかじった程度ではあるが繋世の巫女がジウを頼って島嶼を渡り歩いたという伝説を知っている。
封印から目覚めようとしている蛇神アスカリヒトの使徒がリオンを亡き者にしようとしている事に女たちは怒り、手や腿を打ち鳴らして鬨の声を上げた。
ナバフは戦闘民族だ。
女子供老人といえども戦士の誇りを持ち合わせている。
出来れば仲間にしたくなかったエルバルドだった。
何故なら彼らは形勢不利とみるやすぐに降伏したり島を渡って逃げてく他の民族とは違い、土地と誇りに殉じて最期まで戦ってしまう民族だからだ。
おそらく彼らは頑なにここに残るだろう。
エルバルドたちがジウに逃げた後も孤軍奮闘し続けるに違いない。
今までは地政学的に捨て置かれていただけで巫女に味方するとあれば敵は容赦しないはずだ。
そんなことが分からない筈はないのだがそれが彼らの美学なのだ。
女たちは武装して周囲に散開した。
リオンたちの看病にノーラを残し、エルバルドとラグ・レもそれぞれ別行動を取る。
エルバルドは敵がもっとも回り込みやすいであろう東の接岸地に向かった。
ラグ・レは次に上陸の危険がある南の接岸地に向かった。
南の海岸付近に辿り着こうとしていたラグ・レは妙な気配を感じた。
鋭く重い気配がこちらを見ている。
それは明らかに手練れが発する気配だった。
女たちに先に行くように促したラグ・レは周囲を警戒した。
もうモサンメディシュの兵が上陸したのだろうか。
確かに本命であるはずの部隊が三下のみとは考えにくい。
これが敵の主力か。
ラグ・レは弓に矢をつがえつつ矢を逆手に握り込んだ。
気づかれたことに観念したのか気配が動いた。
弓引きの死角に回り込む動きで草木が揺れる。
ラグ・レが放った矢を躱した相手が好機とばかりに襲い掛かって来た。
矢が避けられることを見越していたラグ・レは逆手に握っていた矢を敵に突き付けた。
刺したと思った。
だがその動きさえ読まれていたのか手を取られたラグ・レは地面に組み敷かれてしまった。
背中の鞍に隠していた短刀を取り出そうとするもその手も抑えられてしまう。
うつ伏せに拘束されたラグ・レは文字通り手も足も出なくなった。
動きに無駄がなかった。
相当な手練れだ。
殺そうとしないということは自分を人質にするつもりか。
自分の弱さを悔やむラグ・レに敵が口を開いた。
「原住民の戦士か。聞いてくれ。俺は敵じゃない。ここに女の子がいるはずだ。守りに来たんだ」
ラグ・レはその声を聞いたことがあった。
まさかとは思った聞き間違いではないだろう。
まさかこんなところで?
まさかこんなところで。
「……ロブ・ハースト?」
押さえつける手がびくりと動揺した。
「なぜ俺の名前を知っている?」
やはりそうなのか。
警戒を強めるロブの口調にラグ・レの胸が少し痛んだ。
そういえばロブは目が見えないのだった。
魔法の力で光の輪郭を視認出来るとはいえ十年も経っていればラグ・レも外見が変わり声だって異なっているだろう。
アナイの民の特徴である刺青も見えないためロブが気づけないのも無理はない。
それでも気づいて欲しかったと思ってしまうのは我儘だろうか。
「ずっと昔にな、お前にこんな感じで押さえつけられたことがある」
ロブ・ハースト。
「……イムリントか?」
私は大きくなったぞ。
「違う。私は……私はな、この体勢が、嫌いなんだっ」
ジウの有力な戦士にもなれた。
「組み敷かれて喜ぶ奴なんかいないだろうな」
私はお前だとすぐに気付いたというのに。
「……解放するから大人しくすると約束しろ。いいな?」
ラグ・レは笑った。
何故か涙が出て来た。
十年前に、一緒にジウに帰ろうと言ったのに黙って姿を消した戦友。
それがこんな形で再会するとは。
「な、泣いているのか?」
「泣いてない。というか、まだ気づかんのか。私だ」
「…………」
「あのな、私の尻の割れ目には短刀が隠してあるぞ。今では胸の割れ目にも隠せるようになった」
「どういう白状だ。色仕掛けか? 悪いが俺には通用しない」
「馬鹿か! 気づけ! 私だ、ラグ・レだロブ・ハースト!」
「ら、ラグ・レ?」
拘束の手が緩んだのをラグ・レは見逃さなかった。
反転し仰向けになり顎に強力な一撃を叩き込む。
今度はラグ・レが馬乗りになる番だ。
腹立たしさと悲しさと言いようのない高揚感が混ざり合い、わけのわからなくなったラグ・レは何度もロブの顔面に拳を叩きつけた。
ロブは抵抗せずそれらの全てを受け入れた。




