小国の記憶 2
リオン奪還のためにラーヴァリエを目指していたジウの戦士たちは海上封鎖の呷りを食らい島嶼東部にあるナバフ族の島に身を寄せていた。
ノーラの操る海獣船はきっとどの船よりも速く強行突破しても追い付かれることはなかっただろうが、流石に紛争国を表立って刺激することは避けるべきだった。
領海を越える手立てを考える間、オタルバはジウから伝令に来ていたシュビナにラーヴァリエの偵察を頼んだ。
戻ってきたシュビナは単独でリオン奪還を果たしていた。
非力なシュビナのまさかの行動に驚いた一同だったが、ラーヴァリエでの話を聞き偵察で終わらせるなど悠長なことを言っていられる状況ではなかったのだと知った。
早急にリオンをジウに連れて帰りたかったがシュビナもリオンも疲労困憊の様子だった。
船旅は体力がいるため少し休ませる必要がある。
ラーヴァリエは首都が壊滅しゴドリックは内紛中という状況から休息の時間はあるだろうと判断した一同は逗留を継続することにした。
ナバフ族から宿として借りた竪穴式住居の中ではリオンとシュビナが泥のように眠っている。
集落は川の傍の開けた平地にあり、海からの入口である汽水域が見える。
住居の前で大男は海を見つめていた。
男はまるで獣のような外見をしていた。
巨大な角を持った牛の頭部に全身を包む漆黒の体毛。ただし胸部分は毛が薄く、人間の大胸筋と腹筋が見える。
牛の亜人であるルーテルはナバフ族たちからあからさまに警戒されていた。
ただしその警戒は敵意というよりは未知のものを見たときの恐怖からくるものだった。
昔は島嶼諸国のどこにでも亜人はいたという。
しかし時代が下るにつれ、様々な差別や偏見により外見がより獣に近い亜人たちは身を隠すことも出来ずに追いやられていった。
その終着点がウェードミット諸島北西部にあるアルマーナでありルーテルたちの本拠地ジウがある島である。
アルマーナの亜人たちが攻撃的なのは歴史を紐解けば当然の帰結なのかもしれない。
ともあれ、近世では獣らしい亜人はあまり諸国では見かけない。
仲間の一人である海獣使いノーラのようにほとんど人間と見分けがつかない者ならいくらでも出歩いているのだろうが、今まで表立って出歩いていたのはジウの外交官であるエルバルドくらいなものだろう。
そのエルバルドの伝手だとしても流石に複数の亜人の来訪にはナバフ族たちも大騒ぎした。
彼らもこの異常事態に何かを感じ取り探りを入れてきている。
ルーテルは気配を感じて振り返った。
豹の頭部に発達した上腕部の女性が歩いてくる。
オタルバだ。
本来はジウの門番の役目がある彼女も今回はリオンを連れ戻すために遠征に参加していた。
「宿泊延長の許可が下りたよ。療養が第一だから気にするなとさ」
「リオンについて……は?」
「言及なしだ。何かを察して泳がせようとしているのか、それとも純粋に体調を心配して詮索しないのか……わからないねえ」
明け方に目覚めたリオンはオタルバと会話した後に昏睡状態となってしまった。
教皇の魔法が解け再び魔力が体に溜まる速度が速すぎるのだろう。
魔力を感じ取ることの出来るオタルバはまるで暴風の中にいるかのような錯覚に陥るほどであった。
これがまだ巫女の力を得ていない状態だとしたら数え年十五を迎えた時にはどうなってしまうのだろうか。
「凄い勢いだ……もうジウを包んでいた時の魔力を超えているねえ」
「負荷がかかるほどの魔力回復とは本末転倒だ……な」
「魔法陣が消えた理由が女神に会ったことによるものなのか、教皇が術を解いたからなのか」
「教皇が死んだのだったらリオンを狙う馬鹿が一人いなくなるわけで歓迎すべき事なんだろうが……な」
「下手すりゃ敵が絞られるぶん厄介かもしれないさね。これからは全ての目がこちらに向くと思ったほうがいいね」
「どいつもこいつも。ウェードミットの信仰は巫女の神話を一部かじっておるのだ……ろう? 一丸となって蛇神に立ち向かおうという気はないの……か?」
「驚異を実際に見ないと分からないだろうさ。じゃあナバフの連中に、実はリオンは蛇神を倒す巫女なんだって打ち明けてみるかい? ……ふん、リオンとシュビナがああなってる今の状況じゃ危険は負いたくないねえ」
「それもそうだ……な」
島嶼諸国に蛇神復活の危機を訴えるには他にも問題がある。
まず一つは大賢老がこの大事な時期に眠りについてしまった事だ。
大賢老の精隷である慈愛のイェメトが眠りの理由を語らず鎖国に徹していることからも決して楽観視できる状況ではないことは推察できた。
すぐに利己に動いてしまう諸国の部族たちを束ねるには大賢老の威光は必要不可欠だった。
「それにしてもシュビナのやつ……め。人を運べるようになっていたとは……な!」
「火事場の馬鹿力ってやつだろうけどね、よくやってくれたもんさ。リオンの誕生日祝いもまだだし、二人の目が覚めたら存分に旨いものを食わせてやろうねえ」
もともと鳥の亜人は飛ぶために軽量であり非力だ。
そして梟の亜人は長距離飛行に向いていない。
にも関わらずシュビナはそれらを覆す働きを見せた。
今回の任務の勲功第一と言っていいだろう。
「お、戻ってきた……ぞ」
港に高速船が着いた。
接岸する間際、海面から巨大な獣が顔を出す。
ウェードミット海牛は海獣使いノーラが操る船の主動力だ。
船首にいる逞しい肉体と小麦色の肌をした女性こそが海獣使いノーラだ。
気だるげな表情で波がかった長髪をかきあげたノーラは一人で軽々と錨を担いで海に放り入れた。
乗組員はノーラの他にはいないが海牛と会話しながら船を動かしているので舵を取る必要がない。
その後ろにいる乗員はジウの外交担当と通行手形担当だ。
爬虫類の頭に尻尾を生やした外交官は名をエルバルドといった。
エルバルドは見たままのとおりとかげの亜人だ。
亜人はただでさえ差別の対象になりやすく、中でもとかげの亜人は特に忌避されてきた存在だ。
蛇に似ているからであるがそれでもエルバルドが使者として重宝される理由は彼が優秀だからだ。
エルバルドも大賢老に期待されている自負があり、それさえあれば偏見の目も気にならなかった。
もう一人の乗員は人間だ。
彼女はアナイの民という土地を持たない部族の出であり、国境間の移動を法で縛れない唯一の民族だった。
今回は悪用という形になるがオタルバたちは彼女を表に立たせることでその特性を活かし海上封鎖を突破させる策をノーラに授けていた。
が、見るからに首尾は良くなかったのだろう。
「オタルバ、ルーテル! 帰ったぞ!」
「おかえりラグ・レ。大丈夫だったかい?」
「駄目だ。どこも通してくれんし、外洋にはラーヴァリエの船がうようよいた。あんたらはどうだ? 何か他の策は浮かんでいるか?」
「おいエルバルドよ。オタルバは私に聞いたのだぞ」
「それなんだけどねえ。ラーヴァリエに行かなくても済んじまったよ」
エルバルドとラグ・レは顔を見合わせた。