誰が為の力 4
「ジウに帰りたいか。ならば手を貸せ」
水を差す声が聞こえた。
和気藹々と盛り上がっていたリオンとエーリカの笑顔が強ばる。
見ればブロキスが這いつくばった姿勢で瞳だけこちらに向けていた。
背骨を折られて動けないものの、もう目覚めるとはなんという生命力だろう。
「もう起きてる! 私は三日かかったのに!」
「リオン様、私の後ろに!」
「安心しろ。魔法を使えるほどには回復していない」
ブロキスは本来は拘束系の魔法を使う。
眼力で相手を束縛したり目に見えない糸のような物を操る魔法だ。
炎の魔法は蛇神の呪いの副産物でしかない。
つまり今は何も出来ない状態にあった。
「俺に治癒魔法をかけろ。時間がない」
「は? そんなことできるわけないじゃない」
「取引だ。代わりにジウに帰してやる」
リオンたちは顔を見合わせた。
「なに、あなた私たちを助けてくれるわけ?」
「今はな」
「解せませんね。あなたはリオン様を攫いに来たんでしょう?」
「所在を隠されたくなかっただけだ。ジウに戻るならばそれでいい」
「なによ。結局私が巫女の力ってやつを手に入れる頃にまた攫いにくるって言ってるようなもんじゃない」
「察しがいいな」
「……ねえ、あなたの目的ってなんなの? 教皇はあなたを倒すために私を必要とした。じゃああなたは何で私を狙うの?」
「教皇から聞いていないのか」
「あなた本人の口から聞きたい」
「……巫女の力と蛇の力は対になる。蛇を倒すために作られたのが巫女の力だからだ。蛇を剣とすると巫女は鞘。俺はこの呪いを解きたい。それだけだ」
皇帝の口から語られる真実。
それはいたって単純なことだった。
皇帝自身も呪われた力から解放されることを願っていたのだ。
しかしそれならば何故ジウや教皇と対立する必要があるのだろう。
「なによそれ……一緒じゃない! おじいちゃんだって気脈の安寧を願ってる。教皇だって平和を願っている。そのためには蛇の力を封印すればいい、それだけのことなんでしょ? 私にその力があるなら頑張るわよ。それなのに……なんで喧嘩してるのよ?」
「一緒ではない。……時間がないな」
「なによ」
「俺は蛇の呪いと共に真名の誓約にも囚われている。本来ならば今の俺は存在していない。だが、二つの呪いの狭間で生じた微睡みの中でかろうじて意識を保っているのだ。蛇の目的は世界の破壊。そして真名の誓約は……復讐だ」
「まな? 復讐?」
「俺はアシュバル王家の血を引く一族の末裔だ。かつて俺の祖先は政争に敗れ島嶼に逃げ堕ちた。その復讐を果たすために先祖は代々名前に誓約をかけた。いつの日かアシュバルに返り咲く事を願ってな。誓約の条件は三つある。一族を表す名をつけること、元服を果たすこと、そして一族の長になることだ。真名の誓約が発動した者は定めに従い次代の育成とアシュバルへの侵攻に心血を注ぎ生きるようになる。だが俺は先王がいる段階で蛇の呪いにもかかった。二つの呪いは俺の中で奇妙な共存をするようになった」
「巫女を殺すという邪神の意思とアシュバル人に復讐するという祖先の遺志が合致したということでしょうか」
「蛇の意思がそうでもあなたはそれに抗えてるんでしょ。だったらやっぱりあなたはおじいちゃんたちと目的が一緒なわけじゃない」
「時間がない。それはいいだろう。早く俺に治癒魔法をかけるんだ」
「言いなさいよ。言わないと協力してあげないわよ」
「流石リオン様……皇帝相手にも強気なのですね」
「……教皇、奴は教義に憑りつかれたただの哀れな狂信者だ。奴はお前を使って俺を殺せば自分が救世主になれると思っているが事態はそんなに単純ではない。奴にはそれが分かっていない。そんな奴とは協力など出来ない」
「どういうこと?」
「時間がないと言っているだろう。詳しく聞きたければ後にしろ」
「ああもう、時間がない時間がないって、治癒魔法で元気になったらあなた絶対裏切るでしょ! ルビクたちはまだ帰ってくる気配はないわ。だから喋りなさい!」
「そういうことじゃない。俺の中の蛇神が動けない俺を自死させ無理やり蘇生させる恐れがあるということだ。蘇生に伴う間、俺の意識は蛇神に乗っ取られる。そうなったらただの惨状では済まない事態になるぞ」
ブロキス帝の言葉を信じてよいものか。
リオンは悩んでエーリカと再び顔を見合わせた。
二人はアスカリヒトの本当の力を知らない。
緊張感はなかった。
同時期にゴドリック帝国バエシュ領はテルシェデントで蛇神の分身の呪いを暴走させたロブがいる。
ロブとロブによって汚染された大地を浄化するのにジウの大賢老は莫大な魔力を要した。
ここで一瞬でも蛇神本体が覚醒したらおそらくエンスパリ全域が穢れた地となってしまうに違いない。
その判断を出来る者がこの場にいなかったことが事態を悪化させた。
「じゃあ……おじいちゃんと何で協力出来ないか。それだけは言いなさいよ。もしかしたら協力できるかもしれないでしょ。目的は同じなんだから」
「目的が同じ……か。そうとも限らん。奴からは何か別の目的を感じるのだ。本当に蛇神を封じたいのであればお前に巫女としての責務を話しておくはずだろうにお前はそれを知らなかった。そうだろう?」
「…………」
「伝説が本当なら奴はおそらく……蛇神を封印しようという気などは全くない。蛇神の力が増せば対となる巫女の力も増す。その強大な魔力で奴は……虚ろなる山を探し出しそこに眠る時に会おうとしているのだろう」
「虚ろなる……山?」
「島嶼に残る繋世の巫女の伝説だ。お前の先代の巫女は大賢老の協力を得るためにジウへ渡ったという話が残っている。大賢老はその時、巫女に協力する代わりに気脈の果てにあると言われる虚ろなる山への行き方を聞いたという。その後、蛇神は巫女によって封じられた。だが奴が虚ろなる山に行ったという話は残っていない。おそらく奴は虚ろなる山に行くことが出来なかった。その夢を今に託しているに違いない」
「なによ……じゃあつまり、おじいちゃんはその山に行くために私に蛇神を封印されると困るってこと?」
「…………」
「もっと分かりやすく説明してよ!」
「……時間切れだ。なるほどな、こうなるのか」
周囲の少女たちの亡骸が動き出した。
消し炭となった皮膚が剥がれ、その下から鱗が覗く。
「リオン様!」
リオンを教皇の元に下がらせるエーリカ。
邪悪なる気配に気づき、再び生き残っていた少女たちが動き出した。
少女の遺体は膨れ上がり蛇の顔を持つ巨大な怪物となった。
鱗の隙間は黒く赤く煌めき高温で燃えていることが分かる。
蛇神の炎に当てられ死した者は蛇神の分身として復活する。
分身の一体が薙いだ腕により立ち塞がった少女たちがいとも容易く肉片をぶちまけて飛び散った。
「ぐ……くそ……体が熱い……早くしろ! 動けるくらいでいい、治癒魔法をかけろ、はやく!」
歯噛みするブロキスの前に蛇神の分身が立ちリオンたちと対峙する。
分身とはいえその魔力は恐ろしいほどに莫大で、リオンたちはまるで燃え盛る家屋の中に取り残されたかのような錯覚に陥った。
後悔しても既に遅い。
ブロキス帝とは違い話すら通じない悪夢が咆哮を上げた。