誰が為の力 3
ルビクが教皇の元に駆け寄り安否を確認する。
教皇は外傷こそないものの自身が長い年月をかけて編み出した最高の秘術をあっさりと破られた衝撃からか立ち直るのにはだいぶ時間がかかりそうだった。
立ち直ったとしてもブロキスを破った手立てが単純な肉弾戦だと知ったらはたしてどう思うだろう。
とりあえず今まずやるべきことは教皇を信じ避難に徹している人々に脅威は去ったと告げることだ。
そして誰かにサイラスの所在を聞かなければならない。
ルビクの話では、彼は二等国民なので普段はエンスパリの郊外で暮らしており要請がかかった時だけ聖堂に上がるとのことだ。
所在を知らないのはいただけないがもしかしたら騒ぎを聞きつけて向かってきてくれているかもしれない。
「でもさ……これってかなりの好機なんじゃないかな」
リオンの策を聞いてようやくルビクは理解した。
「サイラスの魔法でどこかに送り返すなんてもったいないよ。教皇様に頼んでリオンみたいに魔力を抑える魔法陣を体に描いてもらえば邪神の力を抑えることが出来るんじゃないかい?」
「人質にするってことですか?」
「そのほうがいいだろ。今や帝国軍はこっちの重要拠点を落とすくらいにまで迫ってきてるんだ。だったら交渉の道具にするべきだよ」
「そういうこと考えなきゃいけない人が今こんなになっちゃってるけど」
「……教皇様はずっと平和のための準備をされてこられたんだ。それがあんなことになったんだよ。お心を乱されても仕方ないよ」
「まさかブロキス帝も反魔法を使えたとは思いませんでした」
「ううん、あれは反魔法じゃないよ。無理やり魔法の拘束をねじ切ったって感じだった」
「そんなこと出来るのかい?」
「なんにせよエーリカが戦ってくれなかったらこうなってなかったんだからね。一番の御手柄はエーリカ。贖罪とかいうやつはもうなくていいでしょ?」
「それは……僕が決められることじゃないよ」
「あなたたちの信じる唯一神だってそう思ってるわよ」
「不敬だよ。今のは聞かなかったことにするから。……とにかく神官たちを呼び戻さなきゃ。リオンは教皇様を見ていてくれ。お前は皇帝を見張ってろ」
ルビクはそういうと壊れた扉を飛び越えて駆けて行ってしまった。
リオンは教皇を放ったらかしにして少女たちの亡骸の元へ歩み寄った。
「リオン様?」
「ちょっと待って。お祈りだけさせて」
リオンが死者を弔うとエーリカもそれに倣った。
二人は暫く目を瞑って手を合わせた。
自分の意思もなく操り人形のようになっていた少女たちが死んでしまったのはいつなのだろう。
ブロキス帝の炎に打たれた時か、それとも少女となった時か。
仲間の死が隣にあるのに前を向いたまま動かない少女たちを見てリオンは身震いした。
やはりこんな存在を創り出してしまうことに何の疑問も持たれないような国にはいられるはずもなかった。
「ねえエーリカ。これからどうなるかな」
「とりあえずブロキス帝を人質にしてゴドリック帝国に撤退を迫るのでしたらリオン様が急ぎ疎開する理由はなくなりましたね。教皇様もリオン様を手放したくないご様子でしたし、アーバイン家の使者は送り返されて後日御親族が直接エンスパリに参られるといった感じじゃないでしょうか。戦闘のせいでここも少し壊れてしまいましたし、数日はどたばたしていることでしょう」
「ちょっと予定は変わっちゃうけどさ、そのどたばたの間に逃げられるかな?」
「教皇様のこの心神喪失状態がいつまで続くか分かりませんが……混乱を突くよりも平素を突いたほうが逃げる時間は稼げそうな気がします」
「上手くいかないね。もう、どたばたしてばっかり! 早くジウに帰りたいなあ」
「ジウは……本当に良いところなんでしょうね」
「ん?」
しみじみというエーリカが印象的でリオンは聞き返した。
「私が準二等国民だと知ってもリオン様はルビク様たちと変わらずに接してくださいましたし、今も少女たちの死を人の死と捉えてくださっているじゃないですか。きっと、ジウはとても平等なところなんでしょうね」
「ラーヴァリエがおかしいのよ。虐げてもいい存在なんかないわ」
眉根を寄せるリオンにエーリカは力なく笑って首を振った。
「そういうわけでもないですよ。私も昔は虐げる側の人間でしたから」
エーリカは十数年前はモサンメディシュという都市国家の上流階級の生まれだった。
雑務をこなす使用人の傍らで贅の限りを尽くす嫌な子供だった。
しかしラーヴァリエに併合され教義が浸透するとそれまでの生活が一変した。
今度は自分が奴隷のように扱われ、自分のしてきたことの醜さを痛感したという。
「当時はリオン様よりも若かったですが今思い返してみるとそれはもう酷いことをしたものです。人を人と思わないような。そういうことに疑問を持てないような環境だったというのは言い訳にしかなりません。同じ立場になってからじゃないと気づけないなんて私は愚かでした。だから私は長く生きて長く罰を受けなければならないと、そう思ってました」
しかしリオンに会って意識が変わったという。
敵である自分に対しても同情し、おかしいと思ったら敢然と立ち向かうリオンの姿にエーリカは惹かれていた。
エーリカは夜にリオンが会いに来た時の会話を思い出していた。
確かにリオンの言うように、見たこともない来世に希望を持つくらいなら今を懸命に生きたほうが良いのではないかという意識が芽生えてきていたのだ。
ならば来世のために自ら罪を求め罰せられることを悦んでいた今までの人生のなんと無意味なことだろう。
それよりも互いを称えあい共に支えあって生きるほうがよほど徳が高い行為と言えるのではないか。
自分は図らずもそのための盾となるだけの力を得ていた。
リオンと共に行けば、その使い道をもっと知ることが出来る気がしていた。
「ふふふ」
「どうしました?」
「ごめん。大事な事喋ってるのに。なんかエーリカが私よりちっちゃかった頃が想像できなくて。想像するとどうしてもむきむきになっちゃうんだもの。なんでそんなに体を鍛えたの? せっかく顔は可愛いし、服も可愛いのに」
「か、可愛いですか? 本当に?」
「うん。とっても可愛いよ。服もさ、最初に会った時すごく可愛いの着てたでしょ。だからよく覚えてるんだ」
エーリカは真っ赤になって喜んだ。
そして泣き出しリオンを驚かせた。
「ははは、すみません。私こういう服が好きなんですよ。でもほら、私って治癒魔法の使い手じゃないですか」
傷を受けてもなかなか死なない便利な存在としてエーリカはよく荒事の最前線に出されていた。
しかし傷が治せるというだけで決して痛くないわけではなかった。
だからエーリカは初期は傷つきたくない一心でがむしゃらに生きた。
するといつの間にかこんな体になっていたという。
「でもこんなになっても……お洒落して、可愛い服を着たいって願望は、消えないものですね」
「ごめん」
リオンは失言を心から詫びてエーリカの頭を抱きしめた。
エーリカは何も言わずリオンを抱きしめ返した。
格調と幼女趣味を合わせたような衣装はエーリカに残された最後の自己認識だったのだ。
そしてきっと彼女の生涯は十数年前から時が止まってしまっているのだろう。
「そうだエーリカ。私、もうちょっとで誕生日なんだ。あなたの誕生日っていつ? お祝いしようよ!」
時が動かないのであれば動かすまでだろう。
十数年に渡り聞かれたことのなかった言葉にエーリカはしどろもどろになった。
「わ、私の誕生日は十二月の……十四日ですけど」
鼓動が蘇る。
「へえ! じゃあ私と同じ月だ! 私は何日か分からないけどたぶん十二月だろうって言われててさ、一緒だね!」
「一緒……!」
「ジウでは誕生日にみんなでお祝いするんだよ。三百人ちかくいるからその月が誕生日の人を月一でまとめてになるんだけどさ」
「うまく事が運べば……ジウに到達できるのは十二月手前くらいです……!」
「そうなの? うわ、じゃあ誕生日会できるじゃん! 良かったー!」
「わ、わぁあっ! いいんですか!? 私も!?」
「当たり前よ!」
そして、時が動き出した。