楽園 6
ルビクの休憩が終わり更生という名の拷問が再開されるので、加わる気がないのならばとリオンは部屋の外に出された。
まだ目覚めてから少ししか時間が経っていないがこの国というものが分かった気がする。
ここはとても美しい国なのだ。
ある一握りの者たちにとっては。
何かを考え命令するのは上の地位にある者で、下の地位にある者はそれに無条件で従わなければならない。
責められるべき事は全て下の地位の者が被る。
下の者が現状から脱け出すには来世に期待し上の者に盲従するのが最善とされる。
理不尽だと破綻しないのは死後という未知の世界を決定づけて不安を煽っているからなのだろうか。
ジウとは真逆だ。
所変わればこうも思想が変わるものなのか。
ジウでは古参も新参も平等だった。
自分が出来ることをやり、辛いことがあったぶん今を安らかに生きようという思想だった。
それ故に最近の大賢老たちが思想を違えてまで自分に外出禁止を命じてきた時には猜疑心を膨らませていたリオンだったが、ようやく分かった。
大賢老はリオンを利用すべく動き出したブロキス帝や教皇という存在からリオンを守ろうとしていたのだ。
出生や親の死の真実を隠していたのはリオンが傷つくと思ったからか。
あるいは他に理由があるのかもしれないが跡継ぎにしたいからという理由だけではないだろう。
「刺激が強かったね。誰だってあんな穢れたものなど見たくはないから君の反応も当然のことだろう」
肩を抱きリオンを思いやりながら教皇が申し訳なさそうに囁く。
「だがねリオン、償いを求める者のために敢えて見たくないものを見、やりたくないことをやることも必要なことなんだよ」
リオンを傷つけたことがエーリカの罪ならば、エーリカにその命令をしたルビクや、ルビクにその命令をした教皇は何故罪に問われないのか。
疑問はあるがここで反発しても意味がないことはよく分かったのでリオンは恭順したふりをすることにした。
根本の価値観が違う者相手にはそうやって割りきることも大切なのだと痛感する出来事だった。
「うん。あんなの見たの初めてだったからびっくりしちゃったけど、落ち着いたから理解できるよ。これも愛……だよね」
「おおリオン! やはり君は素晴らしい子だ!」
惚れ惚れとリオンを慈しむ教皇。
この人も悪い人ではないのだろう。
ただ単に教義に忠実なだけで。
恵まれた純粋な善人というものは時に悪人よりも邪悪になるのだとリオンは思った。
ひととおり聖堂を案内してもらったリオン。
リオンのことは既に誰もが知っているらしく会う者全員が恭しく頭を垂れてきた。
明日は集会を開き国民にも周知するそうだ。
自国の神に似た迷惑な蛇神を倒せる存在なのだ、いわば救世主扱いなのだろう。
夕食は神職の重鎮を招いた豪華な立食会だった。
色んな種類の食べ物が出ていたのでリオンの口に合うものも沢山あったに違いないが時間の殆どは重鎮たちとの挨拶に費やされた。
リオンは興奮し涙を流す神官たちとの会話は上の空で、時おり隙を突いて食べ物を服の中に隠した。
会食は始終朗らかな雰囲気で遅くまで続いた。
深夜。
誰もが寝静まった頃にリオンが動き出した。
背中に包みを背負い窓から外に出て器用に壁を降りていく。
聖堂の間取りは昼の案内でだいたい覚えたので目的地まで一直線だ。
塔の上から雨どいを伝い、煉瓦の出っ張りに指をかけ、飾り彫刻を飛び越えた先に格子窓が見える。
中は更生室だ。
格子の隙間に顔を押し込んで内部を見下ろすと床で眠りについていたエーリカが気配で目を覚ました。
エーリカは自分の治癒魔法で傷を癒し新しい服も貰ったようだ。
昼間に見たときは髪の毛にも血がこびりついていたというのに意外なほどに清潔が保たれていた。
湯あみが許されたのかもしれない。
リオンはひとまず安心した。
エーリカは驚きの声をあげた。
「リオン様……!? なんで外に」
「静かに! 外壁を伝ってきたんだよ」
ジウの大樹でラグ・レなどから逃げる際に木の上を子猿のように飛び回っていたリオンには聖堂の外壁を伝うことなどわけもなかった。
リオンの意味不明な行動力にエーリカは呆れた。
「制裁を加えにいらしたんですか?」
「何よそれ……お腹すいてると思って食べ物持ってきたんだよ。受け取れる?」
「えっ?」
「この格子、はずれないね。やっぱり投げ入れるしかないかな。受け取れる?」
「いやあの……そんなところから来なくても扉、空いてますよ」
「えっ」
「えっ?」
「……見張りとかいないの? なんで?」
「なんでって……そりゃあそうでしょ。あと二日懺悔すれば罪が許されるんですから。逃げたりするわけないですよ」
「えっ」
「えっ?」
「…………」
「…………」
「……ちょっと待ってて。今そっちに行くから」
元来た壁を少し戻り開いている窓から聖堂内に戻ると確かに誰の気配もしない。
当然エーリカの言う通り更生室の前にも門番はおらずすんなりと中に入れて拍子抜けするリオンだった。
「来たよ。鍵もかかってないんだね」
「はい、まあ。鍵がかかってたら厠に行けないですからね」
「厠に行って、で、またここに戻ってくるの?」
「そりゃあここで用を足すわけにはいきませんし。更生中は基本垂れ流しですけど、あれは無意識に出ちゃうやつですからね」
「うーん……」
「ええと、何がお気に召さないんでしょうか」
いまいち話がかみ合わない。
いくら罪が許されるからとはいえ、あんな拷問を受けてずっと部屋に居続けるなんてエーリカはおかしい。
自分ならすぐにでも逃げ出すだろう。
だいいち許すとか許されるとか、首を折られた当事者であるリオンは蚊帳の外なのに誰に許しを請うというのか。
「まあいいや。はい、ご飯。服の中に隠せるやつだから果物とかしか持ってこれなかったけど」
「あー。えっと、食事なら摂りましたけどこれはいったいどういうことでしょう」
「うそぉ?」
このような扱いなのだから食べ物も満足に与えられていないと思っていたが違うのか。
更生と拷問はどう違うのかリオンには区別がつかなかった。
実際に見たことはなかったが話にはよく聞いていたはずなのに。
アルマーナの領域に勝手に足を踏み込んでしまうとアルマーナの民に捕まりぼこぼこに殴られ、ご飯も満足に貰えずに弄り殺されるんだよ、と受けてきた注意の状況によく似ていると思ったのに。
「あの、リオン様。何故こんなことを?」
「何故って、エーリカがお腹を空かせてるかと思ったからだよ。あんなひどい怪我もしてたし。治るとはいえさ、心配じゃんか」
「…………」
「何この沈黙」
「……ええと、私がお腹をすかせていたり怪我をしていたりするとリオン様が心配してくださるって意味で合ってますよね?」
「それ以外の意味なんかないでしょ」
「そんな間柄じゃないですし、復讐しにいらしたのかとばかり」
「そんな事しないよ!」
リオンはエーリカの傍の壁を背にして腰かけた。
立っていたエーリカがリオンを見下ろしてはいけないと目の前で座り手をついたので床をとんとんと指で叩いて隣に腰かけるように促す。
エーリカは少し躊躇したが根負けしてリオンの隣に移動する。
二人は堅い床の上で横並びになった。