楽園 4
「話を元に戻そうか。君は自分がどこで生まれたか知っているかい?」
「島嶼のどこかだって聞いたことはあるよ。でも覚えてないし、私の故郷はジウだから」
「君の親は我が国の自治領アシュバルの出身だよ。そこから移住したセイドラントという小国で君は生まれたんだ」
「セイドラント……なんだか聞いたことがあるかも。でもアシュバルは知らないなぁ」
「この大陸の北にある小さな島国だよ。アシュバルは昔から魔力を多く持つ者を排出する地域でね。そしてこんな伝説がある。破壊神アスカリヒトは死の化身。珠の巫女はこれを封じる宿命にあり、とね。……繋世の巫女は知っているかね? かつて世界の危機を救ったとされる伝説の人物だが」
「知ってる。暦にも使われてるもの。大昔におじいちゃんに会いに来たことがあるんだって」
「彼女もまたアシュバルの出だと言われている。そしてリオン、君はその巫女の力を引き継し者なのだ」
反応を待っているのか教皇は両手を広げて暫く黙った。
微妙な空気が流れる。
その間にリオンはお茶を飲んだ。
はちみつが入っていて甘くて美味しい。
「美味しいね、このお茶。そういえば、ねえあなたたち。あなたたちはご飯食べたの?」
「現実が受け入れられないかね」
「まあ、そんなこと言われても飲み込めないわよね、普通。繋世の巫女って私の御先祖様なの?」
「いや、巫女は血筋ではない。蛇神が目覚める周期に合わせてアシュバル人の中から無作為に巫女の力が発現するのだ。そして今の世に選ばれたのが君だ。それも、生れ落ちると共にね」
「……私がアスカリヒトから世界を救うの?」
「君はなんて聡明な子だろう! その通りだよ。君はその莫大な魔力を身に宿し、魔力を見ることが出来る。つまり、気脈から魔力を拝借せずとも自力で強力な反魔法を唱えることが出来るのだ。反魔法こそアスカリヒトに対する唯一の対抗手段。近代化が進み魔法の力が薄れつつある今生とはいえ未だ蛇神の力は脅威だ。君の意思こそ尊重されなくて哀れだと思うが、君は選ばれた以上は蛇神を鎮めねばならない運命にあるのだよ!」
「……運命。でも、世界の危機なんでしょ? だったら私を攫うような真似なんかしないでみんなで協力しあえばいいじゃない」
「それは出来ない。特にジウとゴドリックとはね」
「何でよ」
「約束の地へ行けるのは選ばれた民だけだからだ」
「約束の地? 選ばれた民? 何言ってるの」
「気脈の波は人の心にも影響を及ぼす。強大な力によって気脈に乱れが生じれば人の心も平穏を失うのだ。今、世界がいがみ合い戦争に明け暮れているのはその為だ。だが我ら神の子だけはこの時流にありながら信仰により秩序を維持している。教義を護り、慎ましく生きる我らこそ、アスカリヒトを退けた後の平和を享受するにふさわしい選ばれた民だと思わないかね?」
「わかんない。ジウも平和だったけど」
「ジウは駄目だ、残念だがね。信仰を守ろうとしない。それどころか不遜にも人々を囲い誑かしている。彼が、彼らが自らの過ちに気づいて改心しない限り、彼らに救いの道が訪れることはない」
「…………」
「不機嫌になる気持ちも分からなくはないよ。だけど君もここで暮らし、毒が抜け客観的に物事を見ることが出来るようになれば異常に気付けるようになるはずだ。君は賢い子だからね。ジウが守りたいのは世の不文律の秩序であって人々ではない。その証拠が、君がジウにいるということに他ならない」
「どういうこと?」
「君は赤子の頃にブロキスによって一度ゴドリック帝国に渡っている。だが我らにそれを気取られたブロキスは我らを欺かんとして秘密裏にある策を練ったのだ。それは帝国の辺境の修道院に君を送り、ジウに君を攫わせるという策だった。ブロキスにとって君は脅威だった。だが君という存在が未知数すぎて手出し出来なかった。そのような手持無沙汰の状態でいるよりはジウに預けたほうが良かった。なぜならジウは君のその驚異的な魔力を、ただただ世の不文律を見守るためだけに使おうとするだろうからね。何か最近実感することはなかったかい? ジウが君を縛り付けようとするような、理不尽を」
「最近……。最近、おじいちゃんはジウの外に出るなって」
「ああやはり。繋世の巫女は数え年十五でその真価を発揮するという。これは初代の巫女が十五でその力を授かったことに起因するらしい。ジウが君を自分の後継にしようとしていたのが分かったかい? 彼はそのつもりでブロキス帝の策に乗ったふりをし、君が十五になるのを待っていたのだ」
「おじいちゃん、言ってた。十五歳になると魔力が安定するんだって。その前後は魔力が最も不安定になるから、だから何があってもいいように大樹から出ちゃ駄目だって。でも他の子にはそんなこと言わなかった。だから変だなって思ってたんだ」
「彼は本来ならとうに天寿を全うしているはずの存在だ。生きている以上終わりは必ず来る。きっとそれを感じたのだろうね。彼は後継が欲しくなり、そこで君に目を付けた。君が巫女の力を正式に発揮できるようになる十五の数え年の節目が、君を自然に洗脳へ導く好機だったのだろう。リオン、君自身はそれを望んでいるのかい?」
「え……望んでないわよ」
「美味しいものを食べることもない毎日がいいのかい」
「いやよ」
「走って遊ぶことも出来ない毎日が」
「やだってば」
「体が朽ち果てても続く、気脈を見つめるだけの千年……」
「いやだって言ってるでしょ!」
「ああそうだとも。嫌だろう。そもそも、気脈を見守るとは何なのだろうね。必要ないことだと思わないかい? 教義を守り慎ましく生きれば気脈に影響さないということは我らが証明している。世の不文律を見守り乱れを正そうとするだなんて、それこそがおこがましいのだよ。気脈の変動を乱れと称し、手を加えることの正統性は誰が認めているのか。彼は神になったつもりなのか」
「…………」
「彼は自身の矛盾を棚にあげている。自身の後継を手に入れるためにブロキスを見てみぬふりしていた事がその最たる例だ。だがそろそろ彼らは君を巡って争い出す。今まで巫女の加護に守られていた君は、十五を迎えたら君自身がその力を制御せねばならないからだ。ジウが不安定になるといっていたのはあながち間違いではない。力の勝手が分からない十五になりたての君が一番殺しやすいのだ。だがね、そんなことはさせないよ。私が君を守ってみせるからだ」
「それが私を攫った理由……?」
「そうだよ」
「でもなんで? なんでブロキスは私を殺そうとするの?」
「分からないかね。ブロキスがアスカリヒトの力を得ているからだ」
「あ……」
「君はかつてブロキスと会っている。その時にセイドラントは一夜にして滅びた。だが君は無事だった。巫女の加護に守られていたからだ。傷を負ったのはブロキスのほうだった。一夜にして何もかもを失ったブロキスはもはや君だけに執着している。だから彼は君をジウに預け、今日までずっと機を伺っていたのだ」
「待って。セイドラントが一夜にして……滅びた?」
「本当にジウから何も聞いていないのだね……。いや、言えなかったか」
「じゃあ……じゃあ私のお父さんとお母さんって……」
「その通りだリオン。辛い現実だが君は真実を知っておかねばならない。君の母の死は船の事故などではない。彼女は最期まで君を愛し、君を守ろうとして死んだのだ。そして……そんな彼女を国もろとも吹き飛ばしたのはセイドラント王、現ゴドリック帝国皇帝、ブロキスだ。ジウが君に真実を教えなかったのは、君の親の敵であるブロキスと暗黙の協定を結んでいたからだろう」
リオンは青ざめて口を押さえた。
ずっと、ずっと大賢老は自分に嘘をついていたのか。
嘘だと思いたかったが最近の出来事が教皇の言葉を補完する。
自分はジウという檻に飼われた彼の代替品だったのだ。
少女の一人が教皇に促されてリオンの背をさする。
手のひらの温かさにほだされて涙が出た。
自分はラーヴァリエという見知らぬ土地に連れてこられて一人ぼっちになったわけではない。
元から一人ぼっちだったのだ。