帝国の戦女神 9
それはまさに化物と呼ぶにふさわしい姿だった。
纏った黒炎に自らも焼かれつつ圧倒的な力で他の生命を蹂躙する怪物。
倒れ伏したサネス少佐を踏みしめピーク准尉の脇腹に指を入れ、装甲義肢もろとも少しずつ肋骨を剥いでいく。
准尉は悲鳴を上げたくとも想像を絶する痛みに息が出来ず血を吐くばかりだった。
ロブの頭部があったところから生えた肉塊はまるで蛇の頭部のようだ。
ぎょろりとした目の瞳孔は三日月のように細く、無機質で冷ややかだ。
しかし大きく割けた口は禍々しく笑みを浮かべ細かな牙を覗かせている。
圧倒的な悪意が大気を震わせた。
その時、怪物の耳に懐かしい声が聞こえた。
――ロブ・ハースト。世の不文律を曲げてはいけない。気脈の流れを守るのだ。落ち着いて……。
優しげな老人の声だ。
同時に清らかな風が怪物を中心に吹き荒れた。
呪いにより穢れ爛れた地面が元に戻っていく。
悶え苦しむ怪物が光の中に包まれ、後には元の姿に戻ったロブがいた。
ロブは意識を失っていた。
ピーク准尉も元に戻っておりロブの手から離れ膝から崩れ落ちる。
サネス少佐も化身装甲の中で元の大きさに戻っていたがロブによって放られた腕は少し離れた所に転がっていた。
ロブも化身装甲の上から滑り落ち、周囲で動くものは何もなくなった。
気がつくとロブは寝台に寝かされていた。
首から上が酷く痛み声を漏らす。
傍にはブランクがいたようで彼の声がした。
魔力は一時的に底をついてしまっているらしく何も見ることが出来ない。
「大丈夫か?」
「ああ……問題ない。すまん、気絶していたのか。どうなった」
「安心しろロブ、ここは兵舎の医務室だ。テルシェデントは取った。俺達の勝ちだ。勝ったぞ」
ブランクはロブの手を取って力強く握りしめた。
ロブは大きく息を吐きその手を握り返した。
丸一日寝ていたという。
ブランクたちがロブを発見した時は既に敵の姿はなく、動力の鉱石を抜き取られた化身装甲だけが残されていたそうだ。
「あんたがピーク准尉と戦ってる時にさ、俺たちは少将のいる指令室に向かったんだけど少将は逃げ出した後だったんだ。貴族は逃げるくらいなら人質になるって聞いてたんだけどな。俺たちは拍子抜けしたよ。でもその理由がすぐに分かったんだ」
「理由?」
「順を追って話すよ。俺らがここで戦ってるとき市街地ではティムリートの姿を見た市民たちが一斉にこっちに味方しだしたそうだ。都長もすぐさま傘下に加わったらしい。残された兵士たちは暫く兵舎の一角に立て籠ってたんだけど思わぬ報が入ったんだ」
扉が開く音が聞こえた。
噂をすればティムリートだ。
ティムリートはロブが目覚めていることに気が付くと功を労った。
なんの話をしていたのかと尋ねてきたティムリートはブランクの説明を引き継いだ。
「父上が我らと帝国側双方に使いをくださった。エキトワ方面軍が北海岸線に移動を開始していた、と。不審に思った父上が情報収集するとなんとブロキス帝が自らリンドナル領に向けて進軍を開始していたそうだ」
「なに? ブロキスが?」
「ああ、ついに動いた。色々きな臭い動きはあったがな、まさか皇帝自ら陣頭に立たんするとは誰も考え付かなかっただろう。それが本当なら一方的な停戦破棄以外のなにものでもない。条約違反は列強参戦のいい口実だ。エキトワ方面軍の移動は列強が報復措置を取ってきた時のための備えだったのだ」
「俺達の動きを察知出来てなかったのか、それとも元から相手にしてねえのか。なんにせよバエシュ領方面軍はいつの間にか孤立していたってわけだ。元々ほとんどが他の地域の寄せ集めだからな、命をかけるわけがない。総司令も逃げてるし援軍も来ないならって籠城勢も戦意をなくして投降したり逃走したりでなんとなく終戦したってわけだ」
「怪我人は出たが死者はいない。まさか100倍の兵力差でこんなに上手く事が運ぶとは。これは完全勝利と言っても過言ではないだろう。だがこれからが正念場だ。忙しくなるぞ」
「…………」
「ロブ?」
「……ピーク准尉とサネス少佐は?」
「分からん。俺たちがあんたの所に戻った時には既にいなかったからな」
「……そうか」
「聞いていいか? 何があった?」
遠慮がちにブランクが尋ねてきた。
ブランクからすれば謎だらけだっただろう。
装甲義肢使いの相手を任せて帰ってきてみれば何故か壊れた化身装甲がありロブは無傷で倒れていたわけである。
ロブはピーク准尉の後にサネス少佐が現れたこと、危機に瀕して呪いに身を飲まれたことを話した。
「死して呪いに肉体を乗っ取られるなど……にわかには信じがたい」
「暫く俺は首のない自分を見上げていた。だが視界が歪むといつの間にか視線は首の上に戻っていた。今までも何回か死んだことがあるがな、今回みたいに完全に首を落とされるのは初めてだったから呪いも修復に時間がかかったんだろう。まるで悪夢を見ているかのようだった」
「想像できねえ」
「ずっと意識はあるんだ。なのに止められなかった」
「その呪いは……その、普段は周囲に影響はないのか?」
「おいティムリート」
「あ、いや、すまない。いや、だが……聞いておかねばなるまいよ」
「すまないがそれは俺にも断言できない」
「でもさ、反魔法でなんとかなったんだろ? ぜんぜん燃え跡とか残ってなかったじゃないか」
「俺の反魔法でなんとかなる次元を超えていた。あれは大賢老のおかげだ」
「は?」
「大賢老が気脈を伝い俺に話しかけて来たんだ」
ロブが怪物と化した時に語り掛けてきた声はジウの大賢老のものだった。
大賢老は超大なる魔力によって万物の気を可視化でき、アルマーナ島の大樹の中に居ながら世界の全てを見ることが出来る大魔法使いだ。
大賢老は気脈の守り人である。
千年の昔から気脈に影響を及ぼすほどの異常が生じたときに陰ながら調和を成してきた存在だった。
「また気脈だの不文律だの言って首突っ込んできたのか、あの干物は。それしかすることがないのか?」
「そう言うな。助けられたことに変わりはない。馴染みゆえの温情なんかじゃないだろうがな。ただ今回は流石の大賢老でも著しく魔力を消費したはずだ。少し心配だな」
「大丈夫だろ。イェメトもオタルバもいるんだ。それにあの干物さ、弱ったとしても大樹と同化してんだぜ? すぐに根っこから魔力を吸い上げて元通りになるよ」
「だといいが」
今回の戦闘でロブは自身が役に立った実感がない。
しかし次の戦闘の前に今一度ティムリートに暇を貰おうと考えていた。
大賢老に会いに行きリオンの居場所を聞き出さねばならない。
前回は大賢老に対する不信から魔力を絶ち、気取られないように振舞っていたが状況は変わったのだ。
大賢老もリオンの魔力が急に消えたことに気づいているだろう。
魔力が消えた以上ロブにはもうお手上げだが、大賢老ならば何か知っているかもしれない。
そして大賢老は何か知っていても物理的に動くことは出来ない。
ならばお互いの利が一致するはずだ。
ジウは既にラーヴァリエの縮地法使いに土地を記憶されているのでリオンにとっての安息の地ではなくなっている。
ノーマゲントに連れていくことも許諾させられるかもしれない。
ブランクには悪いが帝国のことはクランツに任せ、自分はリオンを探しに行く。
ロブは無意識のうちに独りになる道を考えていた。