帝国の戦女神 6
ランテヴィア解放戦線の行動が開始された。
秘密基地からアルテレナ軍道を通り東海岸に至る。
軍道の終点からテルシェデントまでを縦断するには間にエキトワ領方面軍の基地があるので大人数では行けない。
少人数ずつ商隊に扮し、三日かけてテルシェデントに入る。
先にテルシェデント入りした隊は街中でランテヴィア解放戦線の噂を流す。
ティムリートが五日後と設定したのはその日が亡きジルムンド・レイトリフ都長のテルシェデント就任日だからだ。
生誕祭や忌日のように記念日にはなっていないが今でもレイトリフの治世を懐かしむ市民たちはこの日にささやかな黙祷を捧げているという。
ティムリートはそこに目を付けた。
解放戦線が襲撃を企んでいるという流言は自分たちの首を絞めかねないが市民に周知させるのが目的だ。
特に貿易により辛酸を舐めている漁民や職人を味方につけるのが勝敗の鍵となる。
いきなり奇襲をかけて市民が損害を被れば自分たちはただのならず者になってしまう。
大義名分はあくまでも不当に偏った現政権からの解放なのだ。
六十人の精鋭たちは奇襲組、囮組、誘導組とに分かれた。
まず囮組がテルシェデントの街中で帝国兵と一戦を交え存在を知らしめる。
同時にティムリート率いる誘導組は市民に扮して市民を安全な場所に避難させる。
そしてブランク率いる奇襲組が混乱に乗じて敵主力部隊のいる郊外の兵舎に攻勢を仕掛けるという寸法だ。
軍道の終点に着いた一向は野営を張る。
この時点でもエキトワ方面軍に見つからないように最大の注意が必要になる。
ロブとクランツはこの間に一度ヴリーク湾にいるウィリーに現状を伝えるため隊を抜けた。
社長には先にリオンを連れてノーマゲントへ行ってもらっていたほうが良いだろうと判断したためだ。
しかしそこでニ人は驚愕の事実を知った。
何者かによってリオンが連れ去られてしまったというのだ。
ただ謝ることしか出来ないウィリー。
ロブは暫く自身の魔力を消していたことを悔やんだ。
ロブは盲目である。
昔、帝国を脱走しようとした時に追手の兵士に目を薙ぎ切られたのだ。
だがそれをきっかけに魔力が発現したロブは魔力を目に宿すことによって万物から生じる気脈を光として視認することが出来るようになっていた。
ただしリオンのように強い魔力を保有する者に対しては眩しすぎて逆に何も見えなくなるためロブは彼女の魔力の範囲内では魔力の流れを調整し内に秘め、敢えて盲目の状態に戻っていたのだ。
魔力を操り内に秘めるという技は高位の魔法使いにしか出来ない高度な技術である。
一方でロブは十年も盲目をしているのである程度暗闇の状態でも動けるよう訓練はしていた。
だが見えるならば見えたほうが当然ながら動きやすい。
カヌークの漁村で足場の悪い浜辺に参戦しなかったり銃弾が掠ってしまったのはこれが原因だった。
ウィリーの話を聞き、空間の歪みからいきなり現れた大柄の女性と聞いてロブたちはすぐにラーヴァリエの三人組だと確信した。
ロブは彼らがアルマーナ島で魔力の気配を消していたことを思い出していた。
反魔法の極意を知った彼らはおそらく魔力の発動と共に外側に反魔法の障壁を張ったのだ。
だからロブが気配を感じ取ることが出来なかったのだろう。
空間転移の魔法使いの魔力の向きをどうやって知ったのかは分からないが、ラーヴァリエの本拠地には気脈までは見ることが出来ずとも個人の魔力の流れ程度は見ることが出来る者がいるのかもしれない。
おそらく教皇だ。
しかし解せないことがある。
縮地法は術者の記憶にある場所にしか行けないという制約があったはずではないだろうか。
襲われた場所はウィリーの船の上であり彼らが知る由もない場所だ。
更にリオンの魔力が全く感じられないことも不可解だ。
あれだけの魔力がある少女なら例え千里の先にいても気脈を辿って見ることが出来るだろうに、一切何も感じられない。
魔法使いの魔力を感じなくなる時といえば魔力が根源から枯渇した時であり、それは即ち死を意味する。
リオンは殺されてしまったのか。
考えられなかった。
ラーヴァリエにとってもリオンは価値がある存在のはずだ。
手に入れられないのであれば殺してしまえと思うような状況でもなしに、そのような暴挙に走るとは到底思えなかった。
いずれにせよラーヴァリエの魔法使いたちがリオンを攫ったのなら連れて行くところは当然ラーヴァリエだろう。
あの娘が十五の数え年を迎えるにはまだ日があるが、それでもラーヴァリエまで奪還しにいくとなれば時間がない。
しかしこのまま解放戦線を離れウィリーの船でラーヴァリエを目指すのは義理がない。
ラーヴァリエもリオンを無下に扱ったりはしないだろうがロブは速攻でテルシェデントを陥落させると闘志を燃やした。
テルシェデントはランテヴィア大陸東部バエシュ領のエキトワ領側にある港町だ。
古くから栄えているそこは近年では交易の集積地として、南のリンドナル領への船渡し場として更に重要な拠点となっていた。
しかし昨今はラーヴァリエとの停戦で島嶼に平和が戻ったことにより貿易港としてのお株はリンドナル領ダンカレムに完全に奪われる形となっていた。
リンドナル・帝都間の街道の整備が進みいちいちテルシェデントを経由しなくて良くなったこともバエシュ領の衰退に拍車をかけていた。
帝都から派遣されているバエシュ領方面軍は町のすぐ外に基地を構えており、港には軍艦がいくつも泊っている。
以前はバエシュ領方面軍の総司令が都長であるレイトリフの兼任であったため軍に対する不満は起こらなかったが今は違う。
現在の総司令は帝都から派遣された貴族でありしかも代行である。
そして平和かつ不況という状況にも関わらず兵士の俸給が一定水準を約束されていることが市民の嫌悪を集めていた。
ある日の朝、人々は奮発して買ったお茶の葉を御香のように炊いていた。
町中がお茶の香りで包まれる。
これは前都長レイトリフがお茶を好んでいたことに因み、誰ともなく始まった慣習だ。
人々は哀悼の念を捧げると共に微かな期待を胸に秘めていた。
ここ数日妙な噂が流れていた。
巷をたびたび騒がせているランテヴィア解放戦線がテルシェデントの兵士を襲撃しようとしているという噂だ。
そして解放戦線の代表は十年前に乱行が原因で勘当されたブランバエシュ家の長男ティムリートであるという。
それが本当ならティムリートはレイトリフの都長就任日である今日になにか行動を起こすのではないだろうか。
人々は疑っていた。
町の住人はティムリートがレイトリフと共に行動していたことをよく知っている。
レイトリフは彼を優秀だとして重宝していた。
そんな彼が放蕩で家を追われるなど誰も信じていなかった。
当時レイトリフが現帝政に対し謀反を起こそうとしているのではないかという流言が広まっていた。
後に彼は反帝組織によって殺害されてしまい疑いは晴れるのだが、ブランバエシュ家当主ナダルは息子のティムリートがレイトリフに酔心していることを快く思っていなかったという噂もあった。
ティムリートの勘当は自分も帝政に疑われることを恐れたナダルによるでっちあげではないか。
そう分析していた人々はティムリートを腐敗政治による被害者と憐れんでいた。
そのティムリートが私兵を率いてやってくる。
十一年の時を経てテルシェデントに戻ってくる。
するとあの噂の真相が知れるかもしれない。
レイトリフは反帝組織によって殺されたのではなく影響力を恐れた帝政がどさくさに紛れて彼を暗殺したのではないかという噂の真相が。
夕方になり兵士の業務が終わる。
夜勤組との交代の時間帯だ。
往来にバエシュ領旗が立った。
何事かと注目を集めたその旗の下で、商人風の男が叫んだ。
「我らはランテヴィア解放戦線である!」
戦闘の火蓋が切られた。