帝国の戦女神 4
ヴリーク湾に浮かぶ船籍不明の船。
それは世界を股にかける商人、ウィリー・ザッカレアの持ち物だ。
ウィリーは裏世界では名の知れた男だ。
紛争地帯に武器を売りさばく死の商人である。
かつてウィリーはゴドリック帝国内で内紛の機運が高まっていることに着目し帝国で活動していたことがあった。
その折に巡り巡ってロブと出会った。
ロブから人間的な資質を感じたウィリーはロブを手助けし、帝国から指名手配されている彼の国外逃亡を危険も顧みずに手助けした。
それに恩義を感じたロブは以来ウィリーの会社の社員として行動を共にしていた。
今回ウィリーはロブの里帰りにあたって様々なことを聞いており全面的に協力していた。
商人としての活動は暫く休止しロブのために動くのだ。
ウィリーは世界平和を信条としていた。
そしてリオンを守ることがそれを体現できると確信したのだった。
甲板では手すりにつかまったリオンが浜のほうをじっと見ていた。
ロブ達が帰ってきたらジウに連れて帰る約束を信じているのだろうか。
嘘をついたことは良くないことだがここで暴れられても困るから仕方がない。
あの娘は帝国でもなくジウでもない、全くの他国であるノーマゲントで預かったほうがあの娘の為にもなるのだ。
「リオンさん、お腹がすきませんか? おいしい料理があるんですけど」
「いらない」
「そう警戒しないでくださいよ。ノーマゲント名物、アムラ牛の香草焼き柑橘仕立てなんてどうですか?」
「別に警戒なんかしてないわ。お腹がすいてないだけ。あむらうしってなに?」
「牛を知らないんですか?」
「牛? あ、知ってる。余計いらない……」
「そうですか……」
人見知りというわけではなさそうだがずっとこんな感じだ。
嘘を勘で察しているのかもしれない。
ウィリーは商売上、人となりを見抜くのが得意だ。
リオンは純粋だが聡明な子だった。
ウィリーがどうやって心を開かせようかと思案している時だった。
リオンの背景がずれたような気がした。
目がおかしくなったのかとウィリーは目を細めた。
その時不思議なことが起こった。
「リオンさん!? あぶない!」
「えっ?」
リオンの後ろの空間が歪み、中からに筋肉隆々の女性が現れた。
女性はリオンが降り向く間もなく後ろからリオンの首に腕を回す。
刹那、ごきん、と鈍い音が響いた。
首の骨を折られたリオンの目から光が失われ、現れた女性はリオンを抱えたまま歪みの中に消えていった。
あっという間の出来事だった。
ウィリーは呆然と立ち尽くした。
今のはいったい何だったのだ。
目の前にいたはずの最重要人物が、いない。
「リオンさん……? リオンさん!?」
ウィリーは取り乱した。
あの女性、そして空間の歪み。
あれはロブが言っていたラーヴァリエの高位の魔法使いではないか。
何故居場所がばれていた。
リオンが連れ去られた。
連れ去られる前に、あれは殺されてしまったのか。
何故だ。
なんのために。
「ビビさん、カートさん緊急事態です! ああどうしよう! どうすればいい!?」
部下を呼びつけつつも狼狽するしかないウィリー。
相反して海は穏やかにうねっていた。
帝都ゾア。
ランテヴィア大陸の中央西寄りに位置するゴドリック帝国の首都だ。
皇帝の住まうエセンドラ城を中心にして放射状に延びる道と古い町並みからなる美しい都市である。
ロブ達がカヌークの漁村に現れてから一日後、マーロウ大尉の書簡を受けた諜報部ショズ・ヘイデン大佐は紙を握りしめながら城の廊下を急いでいた。
大きな腹回りに薄くなった頭髪の冴えない中年である。
一見すると優秀そうには見えないがその目は鷹のように鋭い。
ブロキス帝の即位から十年以上も傍に寄り添い宰相的な役割を担ってきた右腕中の右腕だ。
しかし家では妻にも娘にも相手にされていないらしい。
「陛下に火急の報せである。人払いせよ」
王の間に辿り着いたヘイデンは歩きながら扉の両脇に直立する親衛隊に命令し入室確認もせずに中へ入っていった。
荘厳な空間である。
大きな柱は技巧が凝らされており、天井から下がる緋色の幕は目に鮮やかだ。
見上げるほど広い天井の下で至る所に置かれた蝋燭の灯りが暗い空間を仄かに照らしており幻想的かと思いきや不気味だった。
それは王座に座る男の醸し出す空気がそうさせているのかもしれない。
疣だらけで青黒い顔色をした醜悪な男が背もたれに寄りかかりながら辛うじて息をしていた。
皺だらけで垂れ下がった頬は笑ったことなどないかのようだ。
ブロキス皇帝である。
「なんだよ、いたのか」
ヘイデンは目を丸くした。
普段は謁見の儀でもなければ王の間の奥にある自室にいるというのに。
たまには王らしくしてみたくなったのだろうか。
皇帝は静かに目を開くと煩わしそうに弱々しい声を絞り出した。
「報告を待っていた」
「現金な奴だな。こういう時ばっかり。マーロウ大尉から早馬が届いたぞ。大尉の隊は全滅。今はカヌークで村民に手当てを受けているそうだ」
「娘は」
「連れ去られた。誰にだと思う? ロブ・ハーストとアルバス・クランツだとよ。人相書きの通りで間違いないそうだ。奇襲をしかけられた上に圧倒的な強さだったと。何故言わなかった?」
「知らなかった。魔力について学んだのだろう。気配を消していたか。まだ十年……さほど魔法を使っていないのにそこまで会得していたか」
「感心している場合かよ。ここ数日で事態が急変しているぞ。ジウで生じた未知の魔法の気配、かと思いきや娘は瞬時にこっちに移動してきて、そこにはロブ・ハーストだ。奴はノーマゲントにいたんだろう? あそこからカヌークまで娘の気配の移動を感じ取ってから動いたんじゃ間に合わない。奴はこうなることが分かってたのか? 十年以上鳴りを潜めていて、なんで今なんだ? お前の言う期日はまだ先なんだろう? どういうことなんだ?」
「サロマの国境警備隊は」
「なんの報告もない。なあ、ロブ・ハーストは縮地法が使えるのか?」
「奴の魔力の質は縮地法を会得できる魔力とは異なる」
「出来ないか。……今は娘がどこにいるかわかるか?」
「カヌークの北西。おそらくヴリーク湾だ」
「……妙だな? あれから一日経っている。ロブ・ハーストたちが縮地法を使っていないのなら船で来ているはずだよな。だったら今頃ヴリーク湾に留まっているはずがない」
「国内の反政府勢力は」
「共謀の線か? なるほど。一応ニつある。一つはランテヴィア解放戦線だ。大層な名前を名乗っている割には帝都行きの商隊を襲うくらいしか出来ない失業者どもの寄せ集まりだな。もう一つはザリマン・オレクト。冷夏で農作物が取れなかった農民どもの一揆衆だ。裏で有力者が扇動している痕跡はない。双方ともロブ・ハーストが共謀するには弱いな」
「……テルシェデントの湾岸警備隊に警戒水準を上げるように通達しろ。エキトワ領沖にも範囲を広げるように」
「ジウからの救援を待っているのかもしれないということか。分かった。エキトワ方面軍にもバエシュの越権行為ではないと通達しておくぞ」
「計画も早めるように」
「伝説の化身甲兵の復活ね。だが役に立つかどうか」
「ラーヴァリエとの決戦は近い。士気を高める餌にさえなればいい」
「分かった。すぐに手配しよう。ところで税収の件だが」
「任せる」
「官僚と私の癒着を疑わないでくれるのはありがたいがね。たまには書類に目を通して貰いたいもんだ」
「何度も言うがこの国の舵取りになど興味はない。ラーヴァリエさえ滅ぼすことが出来たら王座はお前に譲るんだ、現状は合理的だろう」
「象徴としての王、ね。まあ私としては王が承認したからで何でも通すことが出来るからありがたいっちゃあありがたいんだが」
「この関係もあと僅かだ。今のうちに時期政権でやりたいことの法案を通しておくといい」
「寂しいこと言うなよ」
「ショズ、お前には感謝している」
「よせやい」
ヘイデンは鼻で笑って踵を返した。
巷ではその醜悪な外見と異能から暴君や化け物などと揶揄されることが多いが一応は配下想いなところもあるのである。
その分興味のないもの、人に対する処遇はまるで羽虫を潰すかの如くだがそれも仕方がないのかもしれない。
財も時間も無限ではないのだから。
「ショズ」
「なんだよ行かせろよ」
苦笑いして振り返ったヘイデンはブロキス帝の顔を見てすぐさま真顔に戻った。
皇帝が立ち上がり遠くを見ている。
その目には重たく鈍い炎がちらついている。
なにか見たというのか。
「あの娘の魔力が……消えた」
ヘイデンは声が出なかった。
表情のない皇帝がこれだけ焦燥を覚えている様は久しぶりのことかもしれなかった。