帝国の戦女神
「ブランク……」
ロブ達がコーエンに連れられてやってきた隧道の先で男たちと共に地図を見ていたブランクが顔を上げた。
かつての若々しさは失われているがその顔立ちには懐かしい青年の面影があった。
やはり知り合いだったのかと喜んだコーエンだったが自分の手柄を誇る前に空気の違和感に気づいた。
ランテヴィア解放戦線の一隊を取り仕切る幹部、ブランク・エインカヴニの表情がロブを見ても晴れないのだ。
「ロブ……?」
ブランクは眉間にしわを寄せて目を細めた後、信じられないものを見たかのように目を見開いた。
「生きてたのか……!? なにしに……」
突然下っ端が連れて来たニ人組に周囲の男たちが警戒し取り囲む。
クランツが笑った。
危険を察知したロブはすぐさまクランツの前に出て場を諫めた。
「待て。俺たちはブランクの知り合いだ。話をしに来た」
「こ、この人たちはすげえぜ! あのロブ・ハースト軍曹と酔いどれクランツなんだ! 俺に、ブランクさんに会わせてくれって頼んで来たんだぜ! 本物だぜ!」
得意げに胸を張るコーエンの言葉に皆驚きの声をあげた。
しかしすぐにブランクが拳を机に叩きつける音で静かになる。
ブランクは怒りとも喜びともつかない複雑な表情をしていた。
「ロブ・ハースト……そうだな。変わらない。あの日のままだ。だが十年だ! あんた、どうして……今まで、何で、どこにいたんだ!? あんたがいなくなってみんな、みんな……滅茶苦茶だ! 滅茶苦茶になっちまったんだぞ!!」
拳を打ち付けられた机は粉々になり隧道の奥に轟音を木霊させていく。
剛腕のブランクの二つ名で恐れられるこの男は異常なまでの怪力で有名だった。
元々ブランクがジウの住人であり虎の亜人の血を引いているということを知っているのは解放戦線の首領のみで他の者たちは誰も知らない。
ブランクはあくまでも人間として、現帝政に苦しむ弱者の代弁者として戦っていた。
ロブは言葉に詰まった。
確かに十年は長かったかもしれないが色々理由があったのだ。
だがそれを語るだけの時間など待ってはくれないだろう。
ロブは端的に答えた。
「社長……ザッカレアの世話になっていた。あの武器商人だ、覚えているか? 逃亡の手助けをしてくれた礼に俺たちは彼らの仕事を手伝っていた。ノーマゲントにいて、ロデスティニアにも行った。あの大陸は広く十年は……あっという間だった」
「全て捨てて、か」
「あの時は俺がいないほうが良かったんだ」
「馬鹿な。ジルムンド・レイトリフを、大転進記念祭を覚えているだろう」
勿論だ、とロブは頷いた。
ジルムンド・レイトリフとは今から十一年前、地方の国事に赴いたブロキス帝を殺害し王座を奪還せんと企んだ男の名だ。
東部バエシュ領の領主にして帝国軍バエシュ方面軍大将を務めていた彼はジウとの接触を果たし政変の援助を取り付けた稀代の梟雄だった。
しかし計画は事前に皇帝に漏らされており、同じく皇帝の命を狙っていたラーヴァリエ信教国の間者の暗躍も相まって梟雄は逆に暗殺されてしまった。
そのレイトリフにジウからの援軍として協力した実働部隊がロブ、ブランク、オタルバだ。
国事が大混乱に陥り皇帝暗殺どころではなくなった際、ロブは武器商人に助けられブランクたちの元を去った。
それは国家機密の持ち出し、二枚舌外交、皇帝の側近の部下の殺害と三重の重罪を犯した状態で逃げ込めばジウに多大なる迷惑をかけるだろうと考えたロブの独断だった。
だが事態は当然だがロブの逃亡でうやむやになるほど簡単な話ではなかった。
「あの後バエシュ領は皇帝直轄の兵隊で占拠された。表向きは領主不在の暫定的な執政だが真実はレイトリフが政変を企んでいた証拠を明るみにするためだった。テルシェデントでは怪しいと判断されただけで誰もが連行された。ノーグタンの炭鉱夫もだ。だけど証拠は出なかった。レイトリフは物証を残さなかったんだ。それでも皇帝は逮捕した人たちを執拗に拷問にかけた。でも誰も吐かなかった。誰もが打倒皇帝の先頭に立って散ったレイトリフの遺志を継いでいたんだ。俺はそれを知って、俺だけ逃げ隠れしてなんかいられなかった。だから俺はみなと戦うことを選んだんだ! それなのにあんたは……」
ジウを捨ててまで一人戦いに赴いたということか。
ロブは額を掻いた。
自分のせいであることは間違いなかった。
年若い彼を理想に燃える野心家の熱に当て放置してしまった結果、彼の人生は狂ってしまったのだ。
「……皆は、ノーラたちは元気か?」
「決別してね、もう十年は会ってない。当然俺から向こうに迷惑をかけるつもりはない。実際今までうまくやってきた」
「…………」
「それで? あんたは何しに来た? 仕事が一段落着いたからお里帰りを楽しんでるのか? いいご身分だな。道中感じなかったか? この国の格差が以前にも増して開いているのを。汗水を垂らして働く人々が泥をすすり、皇帝におべっかを使う貴族たちばかりが優遇される、理不尽を! もはや限界は超えているんだ。誰かがやらなければならいことを、俺たちがやるんだ。分かったか? 分かったなら帰れよ、ノーマゲントに。あんたの故郷はそっちなんだろ」
「ブランク」
「帰れよ! あんたは信用に値しない人間だ。あれだけ関わっておきながら、渦中にいながら、自分の国を捨てた人間に居場所なんかない!」
「ブランク、聞いてくれ」
「うるせえ、臆病者が!」
「リオンを連れている」
感情がこもり肩で怒りを露わにするブランクの動きが止まった。
「……なに?」
「色々あってな。リオンをジウから連れ出すことに成功したんだ」
「リオン……なぜリオンが出てくる。……まさか……手土産のつもりか?」
「違う。聞け。リオンは鍵を握っているんだ。これは気脈に、世の不文律の行く末に大きく関わってくることなんだ」
「不文律……懐かしい言葉だな。そういえばあんたも見られるんだったな、気脈を。ついに奴らと同じになっちまったか? はははっ……人間を超えたつもりか!」
ゆっくりと近づきロブの周囲を歩いていたブランクが急にロブに殴りかかった。
ロブはこうなることを予測していたので避けたが間にクランツが割り込んできた。
ブランクの両手首を掴み顔を突き合わせるクランツ。
その余裕の表情を見たブランクは更に激高した。
「おおい。いきなり殴りかかるのってどうなのよ!」
「てめえ邪魔すんじゃねえ! 話し合いの途中だろうが!」
「いいね! 俺も好きよ、こういう話し合い!」
「クランツ、お前も昨日帝国の奴にいきなり殴りかかってなかったか?」
ブランクの全身に血管が浮き、瞳孔が細くなる。
本気の姿となったブランクに解放戦線の者たちは怯んだ。
全力を出したブランクの怪力は不用意に近づけばただでは済まないことを皆知っている。
だが信じられないことにクランツはそれでもブランクの腕を捕らえたままだった。
「嘘だろ……あのおっさん、ブランクさんと力比べしてるぜ……」
「あり得ねえ! すげえ!」
「へへーん、もっと褒めて」
「な……余裕ぶっこいてんじゃねえぞ、じじい!」
急に腕を離されブランクの体制が崩れた。
そのまま顔面にクランツの膝が入る。
あっと周囲から叫び声があがり地面に鼻血がこぼれた。
膝をついてしまい慌てて見上げたブランクだが、そこには強烈な殺気を放つニ人の悪魔がいて唖然としてしまった。
殺気が収まる。
隧道の冷えた空気が一層凍り付いたようだ。
誰もが言葉を発せない中でクランツがあーあと伸びをした。
悪魔はよく見れば元の人間に戻っていた。
「なんだよー。解放戦線の幹部とかいうから期待してたのに。こんな手に引っかかっちゃうの」
「ブランク、話を聞いてくれ。見ただろう。話を聞かないとこいつが嬉々として暴れるぞ」
「そんな人を聞かん坊みたいに言うなよー。仕掛けて来たのはこいつだぜ? てことは正当防衛だ。つまりこのまま全員ぶっ潰してもよかったわけだ」
「お前な、腕が折れてるのを忘れるなよ」
「腕が……? 嘘だろ……」
「それでブランクさんと互角だって……?」
「なあ解放戦線さんよ。君たち十年間もなにしてたの」
「クランツやめろ。なあブランク。聞いてくれ。お前がこの国の民を想っている気持ちと俺の気持ちは一緒なんだ。俺は気脈を見る者として世の不文律を守る宿命を感じている。俺が守りたいのは世界なんだ。だから俺はリオンを連れ出した。あの子を利用しようとする者たちからあの子を守らなければならないんだ」
「……あそこにいれば安全だろうよ。今更戻れないけど守りたいからって連れ出したのか? ずいぶん自分勝手な話じゃないか」
「ブランク、さっきお前は言ったな。人を超えたつもりかと。お前はそれを感じたからあそこを出て行ったんじゃないのか」
「……それが?」
「そういうことだ。俺は知ってしまったんだ。あの方がリオンを受け入れた本当の理由を」
「本当の………理由」
「数え年十五でリオンの魔力は完成する。それを待っていたのはブロキス帝だけじゃなかった。これから先あの子に待ち受けているのは苦難だ。一人でも多くの力が欲しい。ブランク、手を貸してくれないか」
ロブは膝をつくブランクに手を差し伸べた。
ブランクはただじっとその傷だらけの掌を見つめていた。