リオン 3
エルバルドの言葉に驚いた一同だったが理由は聞くまでもなかった。
僅かな期間だが生死を共にしたことで強い絆を感じていた彼は偉大なる戦士たちを弔い続ける道を選んだのだ。
リオンはエルバルドの胸に飛び込むと何度も訪ねることを約束する。
現にリオンたちはこの後も足繁く彼に会いに行っていた。
ジウの有力な戦士の一人エルバルド。
墓守として島を管理していた彼は数年後に何者かの襲撃を受け生涯を終える。
犯行は彼を使徒に似ていると忌み嫌う無法者か信教国の残党によるものかと議論されたが結局見つかることはなかった。
有志により建てられた墓は墓標の島の中心にあり、毎年多くの人々が献花に訪れているという。
「あたしも残ってやりたいけどさ、でもジウを取り戻すために行かなきゃならないから。あんたもこっちに顔を出しなよ」
海獣使いノーラ。
リオンからよく信頼された彼女はランテヴィア海軍の顧問を務め、ジウの奪還戦では西海岸の攻め手として抜群の戦功をあげた。
共和国の陸軍将校であるブランク・エインカヴニとは腐れ縁であり、帰国後にばったりと出くわした彼女が彼を衆人の前で思い切りぶん殴ったという逸話は有名である。
その後は付き合ったり別れたりを繰り返すものの結局は別の男性と家庭を築くのだが、彼女の海獣を操る能力は特殊であり力を継承した一族は後の歴史にも深く関わっていくのであった。
「おじさんもたまには遊びにくるね!」
クランツとも固く握手を交わし、手を振るエルバルド。
見えなくなるまで手を振り返すリオンを乗せ船団は南側航路に舵を切る。
島嶼の南側航路は浅瀬が多く干潮時には歩いて島々を渡れるくらいになるところが多い。
そして思い出も多い場所だった。
行く先に見える島の浜辺に日を浴びて煌めくものがあった。
いくつか等間隔で並んだそれは錆びて赤茶けた鉄の塊だった。
旧リンドナル方面軍がイムリント要塞を攻めた時に残した砲台である。
そこはかつてロブやクランツが駐屯していた島だ。
複雑な心境である。
ラグ・レやオタルバ、リオンの心はざわついていた。
案の定その海域を告げる船員の声を聞いた時ロブが口を開いた。
ここで降ろしてくれないか、と。
「なんで?」
素知らぬ風を装って訪ねるリオン。
自分にとっての始まりの地であるこの場所にもう一度浸りたい、とロブは言った。
「構わんが、帰りはどうするのだ?」
声の震えをぐっと堪えて先の心配をしてみせるラグ・レ。
歩いて帰れる、と冗談を飛ばすロブに笑いを返してやりそれ以上は言及しない。
否。
ラグ・レは言及出来なかった。
普段通りに振る舞おうとしているロブの嘘に付き合ってやらねばならない。
彼の思いを無駄にはしたくない。
次に口を開けばきっと嗚咽が漏れてしまうだろう。
「じゃあロブさん、先に行っていますね」
ウィリーが梯子を下ろしてやり島の砂を踏むロブ。
一緒にクランツも降りた。
誰も止めなかった。
最後に皆で叫ぶ。
「ロブ! あたしゃねえ、あんたのそういう勝手なところが大嫌いさね! 十年前もそうさ。そうやって勝手に離れて行っちまってさ。もう二度とあたしの前に現れるんじゃないよ。次に会ったら引き裂いてやるからねえ!」
「ロブ・ハーストよ、オタルバはこんな事を言っているが気にするな! お前はこれからも我らに必要だ! また前みたいに帰って来なくなるんじゃないぞ! 必ず帰って来い! 一緒にジウに帰るんだ! お前は私の相棒だということを、忘れるなよ! 忘れるんじゃないぞ!!」
「ロブ、ありがとう! あなたのおかげで私、ここまで来れた! だから……ううん、またね、待ってるから、待ってるからね!」
ロブは笑っていた。
船が離れていく。
二人の男が遠くなった時、リオンたちは我慢をやめて大声で泣いた。
またなんてものがないということを、知っていたから。
魔力というものは生きとし生けるものの活力である。
動けば消費するが時間を置けば体内から湧き起こり、または気脈から享受したりして回復するのが普通だ。
しかし使徒の力を失った者は消費こそすれ回復はしなくなる。
何故なら使徒は蛇の炎に焼かれて元の肉体を失い再構築された存在であるからだ。
いわば死人だった。
故に残存する魔力がなくなれば崩壊して消え去るだけだ。
アスカリヒトを封印したその日からロブは徐々に衰弱していた。
当人が誰にも覚られまいと振舞っていたから皆気づかないふりをしていただけで、リオンやオタルバは魔力の気配で否が応にも理解しており徐々にそれは誰の目から見ても明らかになっていった。
ロブは嵐の夜の大時化に飲まれて命を落としているはずの人間だった。
それが偶然にも使徒に似た力を得、十余年も呪いを抱えて生きたことは奇跡だった。
ジウの大賢老に呪いとの付き合い方を教わって魔法使いとなり、リオンを守るための戦士となったことが彼を生き永らえさせたのだろう。
だがその役目も終わっている。
ひび割れていく身体には力が入らない。
それでもロブは満足していた。
彼女の成長を見守る事が出来なくてももう充分だった。
あの子ならきっと皆に支えられて上手くやっていくだろうから。
穏やかに口元を緩ませて腰を下ろし、潮風に当たりながら海の向こうを見つめる。
その目は魔力の恩恵を無くし何も映していなかった。
だがはっきりと良く見えていた。
ロブの瞳にはラーヴァリエ兵が改修を行うイムリント要塞と、それに騒ぐプロツェット小隊の戦友たちが、よく見えていた。
「クランツ特務曹長」
「どしたー?」
「色々ありましたね」
「そうだねえ」
「見えますか?」
「何が?」
「リオンがやってくれたおかげで隊の皆は無駄死にじゃなくなりましたよ」
「そだねえ」
「クランツ」
「なあによ」
ロブの後ろに立ち空を眺めていたクランツは視界の端に舞うものを見た。
風に乗り、ロブが身に着けていた両目を隠す布が飛んでいった。
潮の匂いがやけに強く感じる。
ただ一人で立ち尽くす大男の両目から大粒の涙が溢れた。
「……先に地獄で陣取り合戦しててくれや。俺ぁとりあえず面子揃えるからさ」
溜め息をついて首を鳴らし大きく伸びをするクランツ。
「はあーあ。さて、と。これからどうしよっかなー」
ザッカレア商会に在籍していることなどまったくお構いなしだ。
歩き出した先には遠浅の島々が続く。
浜辺に落ちた衣服がそよぎ男の背中を見守っていた。
アルバス・クランツ。
酔いどれクランツの異名を持つ荒唐無稽な男の消息は不明である。
旧リンドナル方面軍の撤退経路である島々の森で目撃情報があったが接触を果たした者はいなかった。
その代わり、回収不能かと思われた兵士たちの遺品が島民の元に匿名で届けられるという現象が頻発した。
数年後にその現象はぱったりと止むが彼が目的を果たしたのか死亡したのかは誰にも分からない。
ロブ・ハースト。
ブロキス帝政に抗い重要機密を盗み出し、聖域ジウの協力を得てランテヴィア解放戦線と共に戦い、政変後は鞘の巫女の従者としてアスカリヒトの封印に貢献するなど波瀾万丈の生涯を駆け抜けた彼は最強の兵士と呼ぶにふさわしい男だった。
後にリオンは偉大なる伯父と評する彼の為に立派な墓を作らせている。
墓所のあるウェードミット諸島の小島には今も錆びついた大砲がそびえたっている。
それはまさに彼の生き様を表しているかのようだった。