リオン
リオンが気脈の歪みから戻る少し前。
ラーヴァリエの首都エンスパリのあった場所に一人の少年が到着した。
ラグナである。
彼は決戦に置いて行かれたことを内心では不服としてこの計画を企てていたのだった。
少年は全身の上下に装甲義肢を纏っていた。
調整技師ダロットに身体に合うように調整して貰ったのだ。
ダロットもまさかラグナが単身で乗り込んでいくとは思わなかった。
自分の技術に興味を持たれ熱心に尊敬されたことに気をよくし、リオンたちを待つ間の余興として彼に与えてしまったのである。
装甲義肢の動かし方を覚えたラグナは夜の内に小舟を盗んで神聖大陸に上陸した。
そして、ウィリーたちに何気なくを装って聞いていたエンスパリのだいたいの位置を目指して走り出した。
身体と義肢が分離しないように少し抑えめにされていた調整のせいで若干重く感じられたがそれでも馬車より速く走れる。
化身装甲よりはだいぶ改善されたとはいえ装甲義肢の弱点である稼働限界も、出力を抑えることで伸びていた。
戦闘用に調整されていない機体で敵陣に乗り込んで何が出来るかは分からないがそれでも船でじっと待っていることなど出来なかった。
自分が行けばあの繊細な友達はきっと呆れつつも笑ってくれるだろう。
夜通し走ろうとした道中で思わぬ爆風に吹き飛ばされた。
気づくと辺りは一変し、街道の凹凸が均され木々は折れていた。
嫌な予感がしたラグナは懸命に走った。
そして日が昇る頃にようやく爆心地へと辿り着いたのだった。
何もない礫地では見知った亜人の少女が一人でうずくまるように眠っていた。
他には誰もおらず、少年はシュビナを起こして事の顛末を聞く。
イェメトが敵の側についていて自分を眠らせたこと以外はシュビナも分からなかった。
リオンはきっと気脈の道という場所に行ったのだろうが、だとすると他の皆はどうしてしまったのか。
最悪を想像して泣き出すシュビナを慰めていると地平線に嫌なものが見えた。
大きな被害を免れた近隣からラーヴァリエの援兵が続々と到着しつつあったのだ。
ここでシュビナを連れて逃げることは簡単だ。
だがもしもリオンが帰って来たら敵の大軍の中に一人取り残されることになる。
梟の亜人の少女にはウィリーたちに状況を伝えるために飛んでくれと頼んだラグナ。
数千の敵に対して勝算はなかったものの、奥の手は持っていた。
「行け、シュビナ! ここは俺がなんとかするぜ!」
「で、でも……!」
「俺はお前たちがいない間にこの装甲義肢の達人になったんだぜ! たったあれぽっちの敵なんか薪割り作業よりも簡単だぜ! だから早く行って、皆に報せてこい!」
「ぎぃっ!」
シュビナが飛び立つと敵も色めき立ったようだ。
弓を構えられたらたまったもんじゃない、とラグナもさっそく切り札を出す。
火花放電の動力室を殴って破壊したラグナはその状態で出力を最大にした。
義肢の中の人差し指の先にある引き金を目いっぱい引き続けていると火花が全身に移り電流が可視化する。
非常に危険な状態だ。
この時に少しでも動いてしまえば勢い余って体が爆散してしまうだろう。
しかし敵は思惑どおり怯んだ。
もしかしたらこの地の惨状を招いたのは奇妙な鎧を着た眼前の少年かもしれず、ならばこの近距離にいる自分たちは確実に消滅する運命にあったからだ。
放電回路がずれた状態での最大出力は、かつて嵐の夜の岬にてロブ・ハースト相手にニファ・サネスが行った行為と一緒だ。
火花放電は精隷石の中に眠る精隷の魔力を解き放ち――
――それが気脈に干渉した。
ラーヴァリエ兵たちが狼狽した。
何もないところから急に少女が現れたからだ。
ラグナは背中に少女の咽び泣く声を聞いた。
だが振り向くことは出来ない。
「魔女だ!」
敵の誰かが叫んだ。
リオンは一度、教皇と一緒に救世主としてラーヴァリエの群集の前に顔を見せていることがあるので知っている者もいたらしい。
魔女を倒せば自分の死後の等級が上がる。
目の色を変えた人々はラグナの放電に対する恐怖も忘れて突っ込んできた。
これで終わりか。
まさかリオンが丁度よく戻ってくるとは思っていなかったラグナは、せめて最期にリオンの顔を見たいと思ったが制御を失った装甲義肢ではそれが出来ない。
ならば敵が最も近づいた時に動いて爆散してやろうか。
そうすれば少しは役に立てるだろうか。
少年が覚悟を決めたその時だった。
眼前の空間が歪み、現れる。
彼らの後ろ姿を見た時、ラグナは無意識に安堵の涙を流した。
戦闘経験もないのに数千の武装した群衆が狂喜乱舞して迫りくる様子に恐怖を覚えない者はいないだろう。
「あんたがここにいることは後でみっちり怒ってやるとして、時間稼ぎにはなったみたいだねえ」
「敵の初動を遅らせたんだ。おかげでリオンが無事だったと思えば大手柄さ」
「おっしゃ坊主、後は俺たちに任せな!」
「ふぁー」
「ラーヴァリエの皆さぁん、朝も早くからご苦労様でえす! というわけで、ぶっ殺し合いましょうねえ!」
「む? ロブ・ハーストとシュビナは何処だ?」
審判のオタルバ、とかげの亜人エルバルド、ダグ、ビビ、酔いどれクランツ、そしてラグ・レが現れた。
雨燕の精隷石が再び使用できるようになったのだ。
もしもラグナがいなければ彼女たちの到着はリオンやシュビナが狂信者たちによって命を奪われた後だったかもしれない。
一見して何も成さなかったように見えた彼の無謀な行動が大きく運命を変えたのだ。
そして後ろからラグナの装甲義肢の火花放電が切られた。
途端に体が重くなり膝を着くラグナだったが心は軽くなっていた。
ナバフの槍で放電回路を完全に断ち切った男が少年の肩に優しく手を置く。
男は気脈の道で倒れていたところを導祖によって世界に連れ戻されていた。
「よく頑張ったな。後は俺たちに任せろ」
ロブ・ハーストから邪悪な黒い炎雷が迸る。
世界に死を振りまく蛇神や使徒と激戦を繰り広げたことのある彼らにとって寄せ集めの人間たちなど敵ではなかった。
瞬く間に前衛が倒されていく数千のラーヴァリエ兵。
しまいには瓦解し、あまりの恐怖に振り向きもせず敗走していった。
ラグナは上半身の装甲義肢を脱ぎ捨て震えながら泣き続けるリオンを抱きしめた。
酷く憔悴していた少女は少年の肌の温もりを感じ、縋りながら泣き続けた。
ロブが見た所によると気脈の歪みに行ったせいで五感が鈍くなっているが、暫くすれば元に戻るとのことだ。
そしてロブの口から蛇神アスカリヒトの封印に成功したことが告げられた。
差し込んだ朝日が巫女と共に戦った戦士たちの顔を照らした。
リオンの周りに集った戦士たちは口々に少女を慈しみ偉業を称えた。
「泣くな、リオンよ。もう終わったぞ」
ラグ・レは優しく声をかける。
全ての者に言い聞かせるように。
「苦難の定めにあった。しかしアケノーキナが再び朝日を運んできた。お前は人々を救ったのだ。お前が邪悪なる闇を打ち払ったのだ」
視力が戻りつつあるリオンはラグ・レの背に宿る人々の祈りを見た。
それとも彼女の瞳に映った自分自身を見たのだろうか。
泣き声が空に消え、一日が始まった。
長い戦いが終わった。