ランテヴィアの革命志士 5
リオン。
どこにいる、リオン。
君を救いたいんだ。
僕の目を見てくれ、リオン!
はっとして目が覚める。
リオンの額には玉のような汗が浮かんでいた。
そこは深夜の寝室。
お世話になることになった食堂の空き部屋だ。
夢の中でおぼろげな影が自分の名前を呼んでいた。
姿は見えずとも声で分かった。
あれはルビクだ。
ルビクが自分を探していた。
答えなかったのは本能か、それとも外から聞こえた微かな異音に起こされたせいか。
雨戸の向こうからは大勢の人間の気配がした。
「リオンちゃんや……!」
声と共に扉を開けて入って来たのは食堂の老夫婦だった。
婦人はリオンの元に駆け寄るとリオンを抱きしめた。
亭主は雨戸を少し開けて慎重に外を覗う。
突然のことに状況の掴めていないリオンは婦人を抱きしめ返しその背をさすった。
「おばあちゃんなに? どうしたの?」
「ごめんね……ごめんね……!」
婦人は謝りながらさめざめと泣くばかりだ。
リオンが困惑していると亭主がリオンの外着を渡してきた。
夜中に出立の支度をするなどニ日連続の異常事態である。
また良からぬことが起きているのだとリオンは理解した。
「おじいちゃん……」
「リオンちゃんや、よく聞くんだ。いま外に駐屯兵……帝国の怖い兵隊たちが来ておる。逃げなくてはならん。いいね?」
リオンは神妙に頷いた。
さっき歓迎の宴が終わったばかりだというのにもう危機が迫っているというのか。
緊張で鼓動が早くなる。
兵士が自分を捕らえに来たということは状況が嫌でも教えてくれた。
「トリエラ、時間が惜しい。リオンちゃんに支度をさせておくれ」
婦人に着替えを手伝ってもらったリオンは食堂に出た。
食堂では真っ暗な中で数人の村人が食卓の小さな灯りを頼りに外の様子を窺っていた。
組頭の姿もある。
空間に漂う食べ物の残り香が無性に悲しさをくすぐった。
「組頭、リオンちゃんの支度が整ったぞ。様子はどうだ?」
「おお。まだ大丈夫そうだ。治安維持隊の連中が抑えてる。連中め、自分らに責任が及ぶかもしれねえと思って異常なしだと言い張ってるぜ」
「たまには役に立つもんだ」
「にしてもよ誰だ、密告した野郎は……」
「ラグナたちじゃねえか。昼間のがよっぽど堪えて告げ口しやがったんだ」
「あの餓鬼どもただじゃおかねえ。次会ったら鮫の餌にしてやろうぜ」
「んな話は今を切り抜けてからだ。リオン、ついてこい。とりあえず浜を伝って秘密の浜辺まで逃げるぞ」
「みんな……」
会ったばかりの素性もよく知らない少女ではあるがいったん預かると決めたからには家族だ。
村人たちは協力して海までの逃走経路を確保していた。
密告者が誰だか分からない状況で行き先を決めるのは危険だが村にいるよりはよほどましだ。
女たちから抱きしめられ荷物に非常食を突っ込まれ、リオンは組頭の後に続いて裏口から食堂を出た。
カヌークの漁村は狭い湾が複雑に入り組んだ沈水海岸の中で比較的大きな湾口に居を構える村だ。
海岸線には大小の入り江が無数にある。
他の入り江は漁の最中に休息などを取る際に使われる程度で普段はまるで人気がない。
視界の悪い暗闇の中では現地の人間でさえ行くのが難しく外部の人間を撒くには最適だった。
リオンは組頭に手を引かれ漁師たちと共に夜の浜辺を走った。
砂で足を取られる上に漂流物が落ちていて躓きやすく先に何があるのか分からないので怖い。
少女の歩幅に合わせているので思うように進めず苦労していると村の外の灯りが動くのが見えた。
灯りは明らかにリオンたちに回り込もうと浜辺の外を駆けていた。
「畜生……見つかったか!?」
「食堂にいねえことがばれたんだ……!」
「速え……馬に乗ってやがるのか!」
「なんで浜に逃げるって分かったんだよ!? 戻るか!?」
「駄目だ後ろからも来てる! どうする!?」
「もう誤魔化せねえな! 野郎ども腹くくれ! 突っ切るぞ!」
リオンを秘密の浜辺に逃がした後は素知らぬ顔でやり過ごすつもりだった村人たちは既に自分たちが不法入国者の片棒を担いでいると軍から認識されていることを察して覚悟を決めた。
お互いを鼓舞して戦闘態勢に入る皆の中心で走りながらリオンは思わず涙した。
もはや手遅れだが、食堂にいた時点で自分を軍に引き渡せば村の安全は守られただろうに何故ここまでしてくれるのだろうか。
照明を持った兵士たちに前後を挟まれ一同は立ち往生した。
「カヌークの住人たちよ! 我は東北戦線エキトワ領方面軍属下、ナッシュ軍集団属下、カロイネン師団属下、ギズモンド連隊属下、ファーラン大隊属下、マーロウ中隊の長、アイザック・マーロウ大尉である! こんな夜更けに集団で何をしておるか?」
先頭で手綱を取る兵士が照明で村人たちを照らす。
組頭は咄嗟に自身の体でリオンを隠したがその行動は意味を成さなかった。
マーロウ大尉と名乗った男は明らかに分かっていて聞いている。
それでも組頭は嘯いてみせた。
「……夜の漁を始めるところでしてね」
「下賤が。我の前では頭を垂れよ」
鞭が組頭の顔を打った。
組頭は短く叫び鮮血の飛び散った顔を抑えうずくまった。
村人たちは咄嗟に膝をつきリオンだけがぽかんと立ち尽くす。
村人が慌ててリオンを座らせたがすでに遅かった。
マーロウ大尉は狐のような目をもっと細くしてリオンを見下ろした。
その顔は下から灯りに照らされて冷酷さが増していた。
もっとも西海岸の貴族の出である大尉が民ごときに温情をかけるわけがない。
マーロウは任務を見事こなしたとばかりに鼻高々であった。
「娘よ、貴様が不法入国者か。一人でどうやって来たのかは知らんが貴様には礼を言わねばなるまい。陛下の勅命などそうそう賜れるものではない故な。……ふふふ、この程度の任で、大手柄だ! 曹長、貴君らは村人たちを拘束し尋問するのだ。この娘は我自ら帝都に連行しよう!」
「大尉殿、本営への報告が先では……」
「黙れ!」
包囲を詰める兵士に海の男たちは顔を上げて不服を申し立てたが銃を向けられてまで動ける者はいなかった。
「やだっ! 離せ! みんなに酷いことするな!」
リオンも例外ではなく村人たち同様に組み伏せられて後ろ手に縛られそうになったその時だった。
浜辺に顔を押し付けられながら少女は外の暗がりから走ってくる人影を見た。
その人物が灯りの届く範囲へ入るとリオンはぞっとした。
満面の笑みを湛えた乱入者は振り返った兵士の顔面になんの躊躇もなく金槌をめり込ませた。
「こーんばーんわーーーーーっ!」
元気いっぱいの声が空に突き抜ける。
紙のようにくしゃくしゃになった顔面の兵士が傍に倒れこんでリオンは悲鳴を上げた。
騒然となる一同。
兵士たちは一度距離を取り乱入者に備えた。
「なんだ貴様……!? いや貴様は……どこかで……?」
「……いってえ~。やっぱ添え木しててもさ、折れてると手って全力で振れないね! てなわけでいきなり夜分に失礼こきます。あたくし、酔いどれさん家のクランツおじさんと申します。あ、どうもどうも」
リオンの前にアルバス・クランツが立った。




