ありがとう 4
条件を飲み、帝国の主力艦が常に港に停泊するようになってからすぐに事件が起きた。
ある日王子が父王に呼ばれて城へ行くとそこには風変わりな民族衣装を着た見知らぬ女性たちと尊大な面構えをした騎士がいた。
満面の笑みで女性を紹介する父王の言葉に王子は青ざめる。
いつの間に連れて来たのか、その女性はアシュバルの姫君だった。
姫はアシュバル人の特徴である黒い瞳に苛立ちを募らせており、王子とは目も合わせようとせず始終不機嫌な顔をしていた。
それが王子とアルコの出会いだった。
傍らに控えるのは侍女と従者の騎士のみ。
予定を早めていきなりこんな遠くの地に連れて来られたのでは機嫌も悪くなるというものだろう。
王子はヘイデンとの密談が発覚したのかと焦ったがそれはまだ露見していないようだった。
となれば、やはりハイムマンの脅しが裏目に出たのだ。
歯噛みする王子。
その様子が姫の態度によるものと勘違いした侍女が気を使って王子の精悍な顔立ちを称えたが、姫は扇で顔を隠してしまい騎士は鼻で笑った。
父王は婚儀を執り行わないといった。
帝国に露呈するからだ。
私がアシュバルの王になった暁には必ず呼び戻しますからそれまでの辛抱ですと低頭して媚びへつらう父の姿は身勝手極まりなく浅ましかった。
そして父王はあろうことが二人にさっそく房室に入れと急かしてきた。
真名の誓約が次代の誕生を急かしているのか。
当然、姫は憤慨して寝所に閉じこもってしまった。
晴れ舞台を祝われもせずさっさと子を産めと言われて傷つかない女性はいないだろう。
不躾な父王の言動に怒ったのは従者の騎士も同じだった。
金髪碧眼のその従者はあきらかにアシュバル人ではなかったがそれもそのはずで、彼はラーヴァリエから遣わされた監視役だった。
アーバインという名のその男は王子に好意的ではない視線を投げかけると寝所の前に立ち、足元にすがる父王の弁明にも耳を貸さなかった。
一国の王ともあろう者が、たとえ大国の使いとはいえただの騎士相手に異常なへりくだりぶりを見せていた。
その鬱憤は息子に向けられ、怒った父王はお前が不甲斐ないせいだと杖で王子を打った。
それから暫くは同じ毎日が続いた。
姫は部屋に籠りきりで、業を煮やした父王は事あるごとに王子を呼びつけては暴力をふるった。
今までであれば間に入ってくれた大臣や重鎮、同情的であった衛兵たちの姿はない。
秘密が漏れることを恐れた父王が王城の深部に彼らが入ることを厳しく禁じたためだ。
代わりに王子を慰め自室にまで出向き傷の手当をしてくれたのは姫についてきた侍女だった。
どういうわけかこの女から手当てを受けると痛みがすっと和らぎ、傷の治りが早い気がした。
まじまじと見つめていると至近距離で視線が交差してしまい侍女は頬を赤らめた。
その顔がとてもいじらしく気に入ってしまい、王子はお前のその愛想が姫にあったらなと零してしまった。
「恐れながら申し上げますと、同じ性質の魔力を持つ者は惹かれ合うのです」
片付けをしながら侍女が語る。
この世にある全てのものには魔力が宿っており、その性質の違いによって惹かれたり反発したりするというのだ。
お前は魔法を使えるのか、という王子の問いに侍女は頷いた。
そして、貴方様も使えますよ、と付け加えた。
「しかも貴方様は人一倍の魔力をお持ちです。立派な魔法使いになれるでしょう」
「まさか。異能を持つものは時にその片鱗を見せると聞くぞ。そして忌み嫌われ聖地ジウへと逃げるらしいじゃないか。俺には今までそんなことはなかった」
「貴方様はお優しい人ですから。きっと今まで感情を抑えていて激情にかられたことがないのでしょう。使い方を知らない者は強く思ったり、身の危険を感じたりした時に偶然に魔法を使えてしまいます。だから余計に恐れられてしまうのです」
「………教えてくれないか。俺はどんな魔法を使えるか知らないが、今は堪える時。心折れ激情にかられそうになることばかりだから扱い方を知っておきたい」
「貴方様なら大丈夫ですよ。でも、私でよければ」
王子は侍女から魔法の成り立ちや使い方を学んだ。
初めは全く理解が出来なかったが侍女の治癒魔法に触れているうちにだんだんと感覚が掴めてきた。
王子の得意とする魔法は魔力を糸のように飛ばして操る魔法であり侍女の魔法の性質とは全く似ておらず、そのため王子はただ人として侍女に惹かれたのではないかと思った。
そして、侍女はその想いを王子と出会った時からずっと抱いていた。
アルコがやって来て既に半月が過ぎようとしていた頃だった。
一向に姫に相手にされない愚息に対し父王は気が気ではなかった。
今度はラーヴァリエからアシュバルの内乱を鎮圧するために王子を参陣させよと要請が来たのである。
アシュバルではラーヴァリエによって強制的に国の宝とも言える姫が連れ去られた事によって反乱が起きていたのだった。
王子の戦果如何によってアシュバルの統治が認められるかどうかが決まる。
当初と約束が違うが無理を言って連れてくるのを早めてしまった以上は何も言えなかった。
だが王子を戦場に出すとなるとどれくらい帰って来ないか未知数であるし、最悪の場合は戦死するかもしれない。
そうなった時、契りさえ交わしていない今の状況では世継ぎは絶望的であった。
父王はとうとう王子を呼び出し、妻と必ず毎夜契って報告するようにと厳命を下す。
理由がアシュバル出兵だと知った王子は苦悩した。
父に言われるまでもなく後継を残すのは王子としての義務である。
だが、今でさえ受け入れてくれない妻に故郷を攻めるからその前にまぐわろうなどと言えるわけがないではないか。
王子は侍女に現状を吐露した。
侍女は何か言いたげであったが自分からも頼み込んでみると約束してくれた。
夜、王子が姫の寝所へ行くと相変わらず扉はしまったままだったが従者の姿がなかった。
慎重に中にいる妻に呼びかけてみると初めて返事があった。
「アルコ殿、よろしいか」
「下郎か。端女から話は聞いたぞよ。だがな、嫌じゃ。お主はわれにふさわしゅうない。父御もよくよく申しておろう? お主ごときはわれに触れることも許されぬのじゃ。さっさと去ね」
扉の向こうから聞こえてくる辛辣な言葉。
王子は尚も懇願したが応じることはなかった。
情けなさと怒りで部屋の前を後にする王子。
廊下の隅で膝を着いていた侍女が無言で通り過ぎる王子に走り寄る。
「ゼナ様……」
「言うな。話しかけないでくれ。余計みじめな気持ちになる」
「私は知っております。ゼナ様は万民から慕われる心お優しき立派なお方です」
――下女風情に何が分かる。
振り返った王子を見て侍女は慌てて手をついた。
その表情には憎悪と憤怒が色濃く刻まれまるで別人のようだったからだ。
怯える侍女に気づいた王子は自分の態度に狼狽した。
世代交代を予感した真名の誓約が人格に一層介入してきているらしかった。
王子は暫く侍女の頭を見つめていたが何も言わず自室へ帰って行った。
その背が見えなくなるまで侍女は見送っていた。
お慕いしております。
ぽつりと呟いた侍女の目から雫が流れ落ちた。
次の日も、また次の日も姫は王子に拝謁を許さなかった。
報告を受けた父王は激怒し息子を罵った。
しかし父王も姫には何も言えず、まるで腫物を扱うかのように接していた。
出征を控え、父と妻からは尊厳を踏みにじられ、王子の心は荒んでいっていた。
ある夜、懲りずに姫の寝所を訪ねると扉の前に侍女が立っており侍女は陶器の皿を持って震えていた。
「どうした。それはなんだ」
王子が話しかけると答えたのは扉の向こうの姫だった。
「おお、性懲りもなくまた来やったな。端女から話は聞いたぞよ。お主、どこぞの戦に駆り出されたらしいの」
侍女に目線を移すと勝手に話したことを反省しているのかぎゅっと目をつむる。
その怯えぶりは姫に折檻でもされたのだろうか。
「はい。ですので心からのお願いに参りました。我が王家は私しか男子がおりません。ここで途絶えてしまっては先祖に申し訳が立たぬのです。我ら夫婦となった身、必ずや戦地から戻り祝言をあげることを約束しますので、今は世継ぎのために戸を開けてはくれませんか」
「ほほほ、死ぬ前に盛りたいとは浅ましいものよの。じゃが一度くらいは願いを聞き入れてやらねば哀れよな」
「では」
「ほれ、そこに端女を立たせておろう。その皿に種を出しやれ。気が向いたら孕んでやらぬこともないわ。ほほほ……」
王子は絶句した。
殺意が湧いた。
何故ここまで侮辱されねばならないのか。
気が付けば開かない扉を強く揺さぶっていた。
「おお、怒ったかえ。こわやこわや」
「い、いい加減にしろよ……!」
「暴力を振るう気かや。器の小さな男よの。その皿のようにの。ほほほほ……」
吐き気を催すほどに歯を食いしばり、咄嗟に魔法を使おうとした。
自分の魔法ならば例え間に壁があろうともあの雌犬の首を絞めることなど造作もないことだ。
制止する侍女を引き離して姫の魔力を探った時だった。
急に扉が開き、中から出て来た従者が先手を取った。
従者の衝撃派の魔法で吹き飛ばされ壁に激突する王子。
まだ魔法を覚えたての王子では対処ができなかった。
「よいか、小国の王子よ。我が主アルコ様はアシュバルの正当なる血統。そして俺はあの北方守護家の者であるぞ。分かるか。我らに立てつくということは神聖なるラーヴァリエに立てつくことと同義である。いいから貴様はその皿相手に粗末な物をしごいておれ。アルコ様の温情を無駄にするでないわ」
「おおバティスタン殿。やはりそもじのなんと逞しきことか……」
扉が閉まり、再び鍵がかけられる。
中からは姫と従者がひそひそと笑い合う声が聞こえていた。
王子は自室に戻った。
調度品で頭を打ったらしく触ってみると血が滲んでいた。
恐る恐る入って来た侍女がいつもの魔法の訓練のように王子に治癒魔法を当てる。
何も考えることが出来ない王子は呆然と椅子に腰かけたまま身体を戦慄かせていた。
何故自分はこんなにも従順なのだろう。
何故自分はこんなにも情けないのだろう。
立場が弱いとはこういうことなのか。
力がないとは、こういうことなのか。
渦を巻く負の感情に身を任せているとふわりと視界が遮られる。
柔らかく温かいものが頭を包んでいた。
侍女が王子を抱きしめたのだ。
王子はすぐさま侍女の肩に手を置き引き離す。
「同情はやめろ」
「違うんです。悔しいんです」
「何故お前が泣いている」
「あんなに酷いことをされているのを見て悲しまないわけないでしょう!」
再び自分を抱きとめる侍女。
王子は今度は抵抗しなかった。
暫くそのままの姿勢でいると気恥ずかしくなったのか侍女が照れ笑いを見せた。
好きな笑顔に苦笑するとそれをどう捉えたか、侍女がおずおずと唇を近づけてきたので王子は驚いて首を振った。
「駄目だ」
「何故です」
「俺の妻はアルコだ」
「好きでもないでしょうに」
「王家の倣いとはそういうものだ」
「お慕いしています」
「ならん」
「端女だからでしょうか」
「違う。それは断じて」
唇が重なる。
侍女の無礼で体から力が抜ける。
全身の血が燃えるように滾り絡めた指先からお互いの鼓動がぶつかり合う。
侍女の漏らす吐息は甘く、恍惚に潤む瞳に吸い込まれそうになった。
「これ以上は駄目だ」
「既に不貞は成されております」
流されるままに王子は間違いを犯した。
いや、これは運命だったのかもしれない。
日が昇るまで二人はお互いを確かめあった。
あくる日も、寂しさと不安を埋め合わせるかのように。
三日後、満面の笑みの父王が王子にアシュバルへの出立を下知した。