ありがとう 2
大胆な男だ、と王子は感心した。
諜報員であったとしても隠して接触を試みるのが普通だろう。
素性を明かして話しかけてきた姿勢から王子は男が誠意を見せようとしているのだと感じ、秘密を共有する相手を得ようと企んでいるのだと感じた。
つまりは既に色々調べがついているということか。
「単刀直入にお伺いしますが王子、お父上様は最近心変わりなどされていらっしゃっていませんか?」
「さて、いつも通りだが」
「うちの人間がそちらの近い所でお世話になっております。それによると……失礼、お父上様はひどくご乱心とか」
「無礼だぞ!」
「御容赦ください。ですが王子、王子もこの国の行く末に御心を痛めていらっしゃるはずです。彼の国に潜伏しているうちの人間によれば向こうでお父上の御姿を拝見したと」
「それはあり得ない。父はここ暫く国を出ていない」
「見間違いだと? 失礼ながら王子、お父上は最近彼の国と何か約定を交わしませんでしたか?」
「どこの国のことを言っているのかさっぱりだ。もういい。お前との話はこれで終わりだ。聞かなかったことにしてやるから早くこの国を出て行くがいい」
思い当たる節は大ありだ。
ラーヴァリエを仲介した政略結婚はいったいどこで話が進められたのか。
一体どうやって。
ここからラーヴァリエの首都まで船で少なくとも往復三か月はかかるというのに。
「王子。貴方は真実から目を逸らし、いつまでもお父上にいいように従うだけの存在でいらっしゃるおつもりですか?」
「……なに?」
「直接的な証拠はなくとも通商や外交から心境の変化は分かります。疑われている時点で終わりなのです。いいですか、今やこの国の沖にはラーヴァリエの要衝を攻めるリンドナル方面軍がいつでも戦える状態で待機しています。そしてその砲口はこちらにも向いているのですよ。お父上が何らかの行動を起こした時、その時にはもう全ての準備は整っているのです」
リンドナル方面軍には主に兵站の面で協力している。
いわばこの国は帝国の横腹に位置しており裏切ったら士気に大きく影響するだろう。
万が一に備えておくのは当然のことだ。
そして心変わりする前に火種を消しておこうと暗躍するのも当然のことである。
「……父上の説得は出来ないぞ。最近は誰の言葉にも耳を貸さないのだ」
「そして貴方様は酷く扱われていらっしゃる。心中お察しいたします」
「ふん、お前に何が分かる」
「分かるのです。その屈辱。私には、とても」
「…………」
王子は男の顔を見た。
平静さを保ちつつも、その内側からは張り裂けんばかりの激情が伝わって来た。
どうすればこれほどまでに荒れ狂う感情を内包し、そこをかいくぐって声を発することが出来るのかと疑問に思ってしまうほどの衝撃があった。
一体この男に何があったというのか。
「失礼。また来ます。王子、よろしかったら暫くお父上の動向を注意深くご覧になっていてください。幸いにもまだこの国の未来を貴方様が担う覚悟をお決めになる時間は残されています」
深々と一礼すると男は去って行った。
王子はさっそく王の事が気になっていた。
婚儀まで日は短く、あまり知識のない王子でもあり得ない程に早急だと分かる。
色々と詰めなければならない話もあるはずであり、父王はすぐにでも行動を起こすはずだ。
さっそくその日の夜だった。
たまに感じる妙な感覚に何かを察した王子は父王の寝室へ急いだ。
もしも居た場合の言い訳は考えておらず恐ろしかったが気配の感じられない寝室の扉を開けると父はどこにもいなかった。
覚えている限りではかなり久しぶりに入る父の部屋に怖気づいていた王子だったがそこで奇妙なものを発見した。
宝石箱に入れられたいくつかの装飾品からたまに感じる妙な感覚と同じ感覚を感じたのだ。
これはいったい。
お世辞にも綺麗とは言い難いがらくたも入っている宝石箱に手を伸ばした時だった。
そこにあった剣の破片のようなものに触れた時、得体の知れない強大なものが現れた気がして王子は悲鳴を上げて尻餅をついてしまった。
見れば辺りには何もなく静かな夜が鎮座している。
幻覚にしては生々しい感覚だったが、しかし王子はその存在をいつも間近に感じていたことを思い出すのだった。
逃げるようにその場を後にする王子。
誰もいなくなった部屋で空間が歪み、父王が現れた。
父王は黙ったまま宝石箱を見、次いで部屋の扉を見つめる。
そして宝石箱を閉め、今一度消えるのだった。