ありがとう
思えば運命だったのだろう。
決断も行動も、全ては定められた流れだったのだ。
それでも後悔はしていない。
精一杯、やり遂げる事が出来たから。
小さな船着き場は国の公式の玄関口だ。
国は小さな島ながらも勤勉な国民に支えられ豊かであった。
船着き場では船乗りや漁師たちに交じって女子供や商人も一緒になって積荷の荷下ろしを行っている。
その中で端正な顔立ちの青年が一際目を引いていた。
上質な服が汚れるのも厭わず、額に汗して懸命に働く。
周りの者どもも気兼ねなく話しかけ笑い合う。
青年はこの国の王子だ。
既に国政に関与していても良い年頃だが王子は国民と共に雑務に精を出していることが殆どだった。
そこへ城から使い番がやってくる。
兵士は王の命令だと言って王子に登城を求めた。
「皆ごめん。父上が何か御用のようだ」
「毎度毎度、呼びつけられて。噂じゃただ小言を言われるだけに呼びつけられているらしいじゃないか。お労しい……」
自身の馬に跨って駆けていく王子の背を見送りながら民たちは憐れんだ。
王と王子の確執は民さえも知っていた。
城は目と鼻の先である。
小さな丘を越えた先に小さな居城がある。
隣国の帝国と比較すれば地方領主の館よりもお粗末だが島嶼の中では先進的だ。
王子は自室に戻って手早く着替えを済ますと父の元へ急ぎ向かった。
「遅い! お前はいつもそうだ。私を馬鹿にしているのか!」
「滅相もありません。私が至らなく、行動が遅いのです」
謁見の間に入った王子は頭ごなしに怒鳴られる。
出入口の両脇にいる兵士が気の毒なものを見る目で王子を見た。
今回はどのような難癖をつけられるのだろうか。
昨日は人によって千差万別な、食事の時の作法ですらない所作を指して間違ったやり方だと一日中嫌味を言われていた。
「して、何用でございますか」
「おい。お前はいつから偉くなった」
「失礼しました」
王に咎められ王子は改めて片膝をつき会えた悦びの祝辞を述べる。
外交の使節などがやる行為であり苟も王族の身分の者がやる事ではない。
だが王は王子に毎回これをやらせなければ気が済まない。
どちらが偉いのか周囲に知らしめないと気が済まないのだ。
頭を垂れる王子に、普段なら面を上げるよう促す王だがこの日は違った。
訝しんで慎重に顔を上げた王子は満面の笑みの王を見た。
最近では見たことのない程の上機嫌である。
理由が思いつかずに困惑する王子に王は命令した。
「お前の縁談が決まった。アシュバルの姫アルコ殿だ。婚儀は再来月の吉日に行う。良いな」
「お、お待ちください父上。アシュバル、アシュバルと言いましたか?」
王子は驚いた。
縁談の話など今まで全く耳にしたことがない。
確かに既に齢二十三となり、結婚自体はなくはない話どころか遅すぎるくらいだ。
それに関しては世の倣いにようやく則れたといったところだが相手が相手であった。
「お前は頭だけでなく耳も悪いのか。我が一族の祖はアシュバルの高家。家格として申し分ない相手であろうが」
「王家の倣いならば相手を知らずに婚姻を結ぶことも覚悟しております。が、父上。アシュバルは今やラーヴァリエの自治領ではありませんか。ラーヴァリエは盟主ゴドリックの仇敵です」
「それがどうした」
「父上!? ゴドリックを、旧友ヘジンボサム家をまた裏切るおつもりですか!?」
「黙れ! 政治を知らんお前が私に意見する気か! いつからお前はそんなに偉くなったのだ!」
信じられない、と王子の声は上ずった。
後ろに控えていた衛兵たちも狼狽する。
このような話は湧いて出るものではなく、必ずや人を介してのやり取りがあるものだ。
王子はよく港で働いているが王の元へ怪しげな客人が尋ねるのを一度も見たことがなかった。
ゴドリック帝国は新進気鋭の強国である。
同盟国であったリンドナル王国は併呑されてしまったがこの国に対しては帝国は国家としての付き合いを申し出てきており、悪くない条件で関係を築けてきたはずだ。
しかしこの国は十年前に帝国を裏切っている。
皇帝の死去により帝国国内が内紛状態になったことにより、混乱に乗じてラーヴァリエからの外圧を受けた父王が一方的に敵対行動を取ったのだ。
次期皇帝となったジョテル帝はたった一年で国内をまとめ上げ、この国は見せしめのためにすぐさま侵攻を受けた。
その時、幼心に覚えているが父王は二度と裏切らないと帝国の使者に跪いて約定を交わしているはずだ。
二度目はないだろうに、また同じ過ちを繰り返すというのか。
「ラーヴァリエの教皇猊下は我が苦悩をよく分かってくださる。そのラーヴァリエに対して不遜を働き、徒にこの島嶼諸国に不安を与えるゴドリックこそが争いの種なのだ。我が国は徹底して抗わねばならぬ」
「なりません」
「ああ、あとこの国はお前にやろう。忠節を証明できれば猊下は私にアシュバルをくださると仰られた。分かるか、私はついにアシュバルに還れるのだ!」
またか。
立ち上がり吠える父王を見て王子は唇を噛んだ。
ここ数年、事あるごとにアシュバルへ還ると叫ぶ父。
家の起源は彼の国にあるのかもしれないが、一度も行ったことがないだろうに何を躍起になっているのだろう。
そしてこれを言い出すようになってからは父は王子を愛称ではなく本当の名で呼ぶようになった。
何故愛称で呼ばれていたかは分からないがそれよりも王子は本当の名が嫌いだった。
本名で呼ばれると頭が痛くなるのだ。
理由は分からないが父がおかしくなったのと関係がある気がする。
それでも父は王であり、誰も異を唱えることなど出来なかった。
逃げるように退出した王子は一人になりたくて小さな岬へと馬を走らせた。
婚姻と家督の継承などという大事な話をあれほどにまで雑に扱う父王の耄碌ぶりが悲しかった。
同時に不安だったのだ。
この歳まで政から遠ざけられており、後は任せたと言われて急に責務をこなす自信がなかった。
岬で暫く海を眺めていると心落ち着いた王子の元へ誰かがやって来た。
やって来たのは見たこともない小太りの男だった。
帽子を取り、潮風に吹かれて乱れる薄くなった頭髪を懸命に抑えながら男は恭しくお辞儀する。
初めは何処かの商人かと思ったが眼光から只者ではない気配を感じた。
「お初にお目にかかります、ザニエ王子。私はショズ・ヘイデン。ゴドリックの諜報員です」
思えば運命はここから始まったのかもしれない。
決断も行動も、全ては流れによって定められているのだ。