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決戦 10

 無だ。


 何も感じない、感じられない。


 時の流れから切り離された虚空。


 そこは気脈の歪みと呼ばれている。


 リオンの意識はおぼろげだった。


 音もなく何も見えないこの空間では自己が希薄となる。


 悲しみも焦りもなく、ただただ無に溶け込んでいく。


 まるで覚めない夢の始まりのように。


 ここやいどこ。たれかある。


 ここやいどこ。たれかある。


 アスカリヒトの声がしてリオンは自分がそこにいることを思い出した。


 すると手が見え、足が見えた。


 己の体の感覚が戻っていくのを感じながらぼんやりとしていたリオン。


 同時に恐怖が湧き起こる。


 今、自分は消え去ろうとしていたのか。


 なんの自覚もないままに。


 何もないこの世界では自分を証明できないからだろうか。


 自分を証明できなくなれば訪れるのは存在の崩壊であり、すなわちそれは死を意味するのである。


 辛いこともあったが頑張って今日という日を迎えた。


 気脈の歪にアスカリヒトを閉じ込めることが出来た。


 歴代の巫女が出来なかったことを、誰もが出来ないことをやってのけた。


 その結果がこれか。


 覚悟していたつもりだが途方もない虚しさを感じる。


 これが自分を犠牲にしてまで得たかった未来なのか。


 皆の所に帰りたい。


 しかし脱出する(すべ)が思いつかない。


 外から助けると言っていた者は既にいない。


 自分をこの場所から連れ出してくれるはずの存在は、いない。


 ここで朽ちていくのを待つしかないのか。


 なんて理不尽なのだろう。


 目の前の闇が蠢き光を放った。


 光源もないこの世界で発光するということは既に顕在(けんざい)は概念となっているのだろう。


 (にじ)み出るようにして現れたのは視界を覆いつくさんばかりの大蛇だった。


 死を司る蛇神、アスカリヒトである。


 白蛇の表皮には呼吸に合わせて青白く(いにしえ)の文字が浮かんでは消えを繰り返していた。


 高温の全身から放たれる熱気は黒の世界を揺らめかせる。


 背中の雄大な翼は羽ばたく度に一枚、また一枚と抜けて穢れた炎へと変わる。


 しかし上下のないこの場所では降り注ぐこともなくその場にとどまり、それはまるで星空のように(きら)めくのだった。


 この空間でこれほどにまで強く存在出来るとは流石、神と呼ばれるだけのことはある。


 だが(あが)(おそ)れる者がいなければ神とて存在出来ないものだ。


 よく見ればアスカリヒトも少しずつではあるが崩壊が始まっていた。


 ただし蛇神よりも先に消え去るのは自分だろう。


『鞘の巫女、珠の巫女よ。ここやいどこぞ』


「ここは気脈の(ひずみ)だよ。あなたも来るの初めてなんだね。昔の巫女たちって気脈の道までしか辿り着くことが出来なかったのね」


『死こそ定めぞ。など、かくも(うと)ましきものとて(へだ)つべき』


「だって、誰だって死にたくないもの。おばあちゃんになるまで生きて、ああ生きたなあって思って死ぬならいいよ。でも命を管理されるなんて嫌。あなたはなんでそんなことするの?」


『それが吾が役なれば』


「役目……役目なんだ。そっか。じゃあ……やるしかないよね」


 リオンはアスカリヒトに自分の姿を重ねながら呟いた。


 蛇神でさえも大きな流れに飲まれ役を演じていただけだったのだ。


 蛇神と巫女という名の神々の置き土産。


 時代にそぐわなくなっても延々と繰り返されて来た演劇の舞台に自分たちは立っているのか。


「でもね、もう神様はいないよ。管理されなければ死なないような人も、あの世界にはもういないんだよ。その最後の一人がうちのおじいちゃんだったのかもしれないけど。あとはみんなね、生きたくても生きることが出来ない人ばかりなんだ、あの世界は。みんなで傷つけあって、寿命を迎える前に死んじゃう人ばかりで。だからさ、分かる? あなたの役目はもうないよ。私の役目もね、もう、おしまい」


 なぜかこの場所ではアスカリヒトが何を言っているのか分かった。


 だからきっと向こうも理解できているだろうから伝える。


 もう解放されても良いはずだ。


 死を(いと)う人々からの怨嗟(えんさ)をその身に浴びて、穢れで身を焦がしてもずっと続けざるを得なかった使命など、もう。


 アスカリヒトは沈黙した。


 まるでそんなことは分かっているとでも言いたげな様子だった。


 分かっていてもそれが役目なのだからやるしかないのだ。


 とぐろを巻き、蛇腹がこすれる音が地鳴りのように響く。


「不満そうだね。でももうなにも出来ないよ。ここはそういうところ」


 認めない。我は死を司る者、主より(たまわ)りし明日刈人(アスカリヒト)の真名の如く、我の存在意義は生者(せいじゃ)に死を与えること。昇った日は必ず暮れる。満ちた月は必ず欠ける。そうやって命は(めぐ)るのだ。気脈を流れる魔力が慈有(じう)からやがて虚空(こくう)へと流れつき、新珠(あらたま)の泉にて清められ再び慈有へと運ばれるように。これが世の不文律である。そして我は在る。在り続ける限り我は定めに従うまでぞ。


「じゃあいいよ。もう、どうでも」


 蛇神の全身が発光する。


 定めに従い、妨げとなる巫女を倒さんとして魔力を高める。


 気脈の流れていない歪では魔力は自然回復しない。


 魔法を使えばそれだけ消滅が早くなることなど分かっているだろうに。


 最期にリオンを殺して自己満足に浸りたいのか。


 抗う気力も失せていたリオンは成すがままに任せることにした。


 しかしアスカリヒトの穢れた炎は放たれることはなかった。


 いぶかしんで見上げたリオンと蛇の目が交差した。


 死のうなどと思うな。


 脳に直接聞こえた声にリオンは目を丸くした。


 その声はもう聞くことがないと思っていたというのに。


 炎が迫る。


 無抵抗の姿勢でいたリオンは無意識のうちに反魔法を唱えていた。


 浄化の力によってアスカリヒトの攻撃がかき消されていく。


 押し返される形で反魔法に飲まれたアスカリヒトは自身の身体が瞬く間に消滅していき悲鳴をあげた。


 すると背後で魔力の気配がした。


 振り向くと遥か遠くに光が見えるではないか。


 歪みの外で誰かが気脈に乱れを生じさせるほどの魔法を使っているというのか。


 一体誰が。


 それよりもリオンは再びアスカリヒトに向きなおる。


 アスカリヒトに一瞬の隙が生じ、自分に反撃の意志が宿ったのは確かにあの声のおかげであった。


 そして今一度聞こえた声で確信する。


 依代(よりしろ)はそのままアスカリヒトと共にあったのだ。


「ブロキス、なの?」


 さあ早く、ここから脱出してください。


「エーリカ!?」


 呼びかけに答えた別の声は治癒の魔法使いのものだった。


 二人の気配が(もだ)えるアスカリヒトの中から感じられる。


 そういえばエーリカは他の使徒たちとは違いその力を()がされることなく蛇神の復活を迎えていた。


 取り込まれて同化していたということなのか。


「二人とも……」

 

 リオン様、こんなところで死んでは駄目ですよ。


 反魔法も魔法であることには変わりありませんからもう使わないでください。


 大丈夫、私たちが足止めしますから。


 これが私にできる最後のことです。


「待って、エーリカ!」


 行け。


 あの光は俺も予想していなかった奇跡だ。


 もたもたするな。


 俺たちを無駄死にさせるつもりか?


「ブロキス……」


 アスカリヒトから魔法が放たれた。


 咄嗟に身構えてしまったがそれは穢れた炎ではなく治癒の魔法だった。


 回復したのは蛇神ではなかった。


 リオンの身体の内側に熱く活力が溢れた。


 魔力を使い果たしたエーリカの気配が消えていき、一方でブロキスの禍々しさが溢れる。


 糸の魔法が可視化し光の拘束具となってアスカリヒトを包み込んだ。


 邪神の内部でせめぎ合いが始まった。


 唖然としているリオンに叱咤の声が手向けられた。


 行け!


 リオンは弾かれるように(きびす)を返して走った。


 邪神の炎がブロキスの炎によって相殺され、振るわれた巨大な尾は糸の魔法で繋ぎ止められる。


 この機を逃せば次はないと言わんばかりの苛烈な猛攻だったがリオンは決して振り返らなかった。


 前を向き、溢れる涙も拭わずにただひたすら光を目指して走った。


 さようならリオン様。


 どうかお元気で。


 リオン。


 幸せになれ。


「ありがとう、エーリカ! ありがとう、()()()()()!」


 光に包まれていくリオン。


 最後に巫女を呼ぶアスカリヒトの絶叫が響いた。


 気が付くとリオンは気脈の道を飛ばしてラーヴァリエの首都エンスパリの離宮跡地にいた。


 (ひずみ)から生還したのである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 息をも継がせぬ展開。 ブロキス男前やった! エーリカにも見せ場があった!
[一言] 明日狩人だったんですか!ドイツ語っぽい響きだったので意外でした!
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