決戦 8
暗闇の中で魔力の光が一つの方向へ飛び行く空間だった。
足元があるのかさえ分からず、ないと思えば奈落の底へ落ちて行ってしまうのではないかと思ってしまうような場所だった。
リオンはここに見覚えがある。
ここは生きとし生ける者の持つ魔力が流れ着き、また流れゆく場所だ。
「ここが……気脈の歪みなのか?」
「ううん、ここは気脈の道。虚ろなる山に続く魔力の還る場所だよ」
「気脈の道……。む、あの使徒は?」
「エーリカね。いないみたい。でもそれが当たり前なんだよ。ここはおじいちゃんですら来ることが出来なかった場所なんだから」
エーリカが持つ使徒の力はアスカリヒト本体に返っていったのかもしれない。
そうなると倒した他の使徒たちのように、一瞬だけは元の姿に戻れただろうか。
リオンはあの不遇な友人の魂が解放されたことを願った。
使徒と邪神の関係性が終ぞ分からなかったため憶測でしかないが、どうせ分からないなら良い推論を信じたほうが良いに決まっていた。
「そんな場所に……魔法使いになって日の浅い俺が来てしまうとは皮肉なものだな」
「ブロキスがロブも必要だって残したのは、ロブもアスカリヒトの力が使えるから?」
「だろうな。ある意味で俺は同族だ。リオン、お前が奴の魔力の流れを探っている間、俺が時間稼ぎをすることが出来る」
「大丈夫?」
「問題ない。……くるぞ」
ロブが構える。
リオンも気づいていた。
気脈の道に流れる魔力に乱れが生じ、奴もリオンたちを補足する。
それは霧のように現れた。
「ブロキス……」
外見こそ黒い甲冑に外套を纏った暴君だが中に流れる魔力は別の何者かのそれだ。
入れ替わり、ブロキスは消えてしまった。
顔を上げた男の目は穏やかそうに見えて冷たい憎しみを湛えていた。
邪神アスカリヒトは復活したのだ。
『いささか微睡みたる夢に、玉響なる浮世を見て思い染む。死こそ無道の今生に、等し並なる理とてありしものをと』
「本当にいなくなっちゃったんだね。ブロキス」
最後の微笑みが脳裏をよぎる。
あの男は望んで邪神の依り代となったわけではない。
言うなれば世界の誰しもと同じく脅威を被る者の一人にすぎなかったのだ。
そして救世主が最も救うべきは、あのような存在だったのかもしれない。
『鞘の巫女、珠の巫女。闇女上の走狗。汝が縁も甚し。然れば参れ。禍を正さん』
アスカリヒトはブロキスの体を出ようとはしなかった。
リオンの反魔法に本体が再び封印されてしまうのを警戒してのことだろう。
だがそれは人間という粗末な器に自身を閉じ込めたまま戦うということだ。
何度も封印されてきただろうに、その状態でも勝てると思っているのは慢心だろうか。
確かにブロキスは依り代としては申し分ないのかもしれない。
並の人間なら強力な魔力を持つブロキスに太刀打ち出来ないだろう。
並の人間ならば、である。
相対するのが邪神の力を身に宿した最強の兵士ということはアスカリヒトにとっての誤算だっただろう。
確かにロブ自身が保有する本来の魔力は少ないのかもしれない。
そして、アスカリヒトは自身の魔力が周囲に満ちているので同調する魔力に気づいていないのかもしれない。
ロブが力を解放する。
黒い炎雷が全身から迸り、蛇神は目を見開いた。
『こはいかに。四肢ことごとく返したりに』
ロブの穢れた炎の魔力は十余年前に偶然移ってしまった力だ。
嵐の夜、ランテヴィア大陸東部の断崖にてニファ・サネスと戦った時に授かった呪いである。
ニファの化身装甲が動力としていた精隷石は剣の破片だ。
それは蛇神の依り代となる人間が剣の神子と呼ばれ邪神を封印した剣を携えていた頃の遺物だったのだ。
ある時から邪神は剣ではなく神子そのものに封じられるようになり剣はその役目を終えた。
しかしアスカリヒトを永らく封印していたことで剣は呪われてしまっていたのだ。
本来ならば然るべき所で厳重に保管されなければならないような危険物は動乱の中で行方が分からなくなっていた。
行きついた先がセイドラントであったのは運命と呼べるのかもしれなかった。
「悪いがさっきから何を言っているのかいまいちわからん。時代遅れなんだ、お前は。まあこんなものをこの時代に使ってる俺が言うのもおかしな話かもしれないがな」
この世界に必要のない者同士、仲良くやろうじゃないか。
鋭く振るわれた槍が済んだ音を立て穂先がアスカリヒトへ向けられる。
取るに足らない生き物からの敵対行動に蛇神は眉根を寄せた。
「リオン、行くぞ!」
「うん! ……アスカリヒト! あなたを、もう一度封印する!」
『あいなし』
神と呼ぶにふさわしい、純粋なまでに圧倒的な力が気脈の道を震わせた。