決戦 7
自分を呼ぶ声が聞こえた気がして目を覚ますと蛇の顔をした怪物がのぞき込んでいた。
そして周囲は見渡す限りが何もない荒れ地と化していた。
自分のいる地面に少しだけ離宮の美しい床の痕跡が残っているが後は荒れるに任せている。
夜の闇に全てが飲まれてしまったかのようで、人々は一体どこへ消えてしまったのだろう。
「あなたが守ってくれたの……エーリカ?」
リオンは起き上がり使徒の顔に触れる。
エーリカの無機質な瞳からは何も伝わってはこなかったが状況が問いを肯定した。
足元には尋常ではない量の血だまりが広がっている。
身体に描かれた魔法陣によって回復魔法が強化されているおかげなのか傷は既に修復されて見当たらないが、彼女が周囲をこのような惨状にした大きな力をその背中で受け止めリオンたちを守ってくれたのだった。
隣で眠っていたロブもリオンの声で目を覚ました。
目の見えないロブも周囲からほとんどの魔力が消えてしまったことで周囲の状況を察したようだった。
この光景に似た景色を見たことがある。
エーリカの背中の向こうからしわがれた男の声がした。
「時間だ」
ブロキスが幽鬼のように立っていた。
一抹の不安として、この荒れようは既に邪神が目覚めてしまった後なのではないかという危惧があったがそうではなかったようだ。
眠っていたのも僅かな時間だったらしい。
まだ日は跨いでおらず間に合ったのだ、邪神アスカリヒトの復活の瞬間に。
「教皇は……?」
「俺が倒した」
平然と言ってのけるブロキス。
衣装が破け、乱れていることから直前に大きな戦いがあったことが伺い知れた。
ラーヴァリエ信教と敵対していたとされるブロキスが教皇たちの首領になったことは不可解でしかなかったが、リオンは理解した。
それは敵の中心深くに潜り込むためだったのだ。
気づけば身に着けていた精隷石は再びブロキスの手に移っている。
この状況、そしてセイドラントの荒廃は精隷石の魔法を使ってのことだったか。
組み合わせと使い方によっては恐ろしい力を持っていたようだがラーヴァリエ全土を灰塵に帰させるには範囲が足りないと判断したのだろう。
より信心深い者を集めたのは一網打尽にするためだったのか。
「そう……。これがあなたがやりたかったことだったんだね。……みんなはどこ?」
「お前たちの仲間なら安心しろ。審判のオタルバが安全な場所に連れて行ったはずだ」
「殺さないんだ?」
「お前たちと敵対する道理はない。お前たちはラーヴァリエどもの目を欺く良い手駒だった」
「全てはあなたの思う通りだったってことね」
「そうだ。そしてお前が俺の中に眠る邪神を封印して、俺の計画は完遂する」
「なにが、そうだ、よ!」
リオンは怒った。
「あなただってずっと苦しい思いをしてきたんでしょ!? アスカリヒトを封印したいって、その思いはみんな一緒だったはずじゃない! おじいちゃんに相談したり、その力があるならもっと上手く出来たはずじゃないの!? こんなことして、たくさんの人を殺して……それも計画通りだっていうわけ!?」
「そうだ。邪神が封印されれば俺は奴を封じ込めるために毒をあおる必要がなくなる。俺の足を引っ張る存在がいなくなる。ラーヴァリエも滅ぼした。……世界は俺のものだ」
「なによそれ……ばっかみたい!」
「リオン、信じるな。奴もまた蛇神の炎に焼かれた身だ。蛇神の加護がなくなれば他の使徒と同じ、魔力は戻らず死を待つだけの存在となる。世界征服なんて陳腐な目的が奴のやりたかったことじゃない」
ロブが制する。
ブロキスの思惑を、ロブは知っている。
「お前も見ただろう。お前の反魔法を受けた使徒たちの最期を。反魔法をくらっただけでは普通は死にはしない。魔力は全ての源だ。この世界に在り続ける以上は己の内から、または気脈から魔力を受けて枯れることはない。だが蛇の炎に焼かれた者は違う」
「じゃあ、やっぱり意味がないじゃない。こんなこと。死んじゃうんでしょ? 道連れのつもり? 沢山の人に憎まれて死ぬって、それは悲しいことだわ。死んじゃうから後のことはどうでもいいって思っているのかもしれないけど」
「違うんだリオン。奴はもっと先を……」
「余計なことを言うなロブ・ハースト。話をしている時間はない」
ブロキスは無意識のうちに前に出した手を握り拳に変えた。
「話すことなど何もない。俺は……俺の思うままに生きた」
気脈の流れが変わっていくのが分かる。
やはりリオンが巫女の力を得た時と同じか。
日付が変わろうとしているのだ。
邪神の封印の効力が切れようとしている。
「いいのか、ブロキス! 最後なんじゃないのか!?」
「貴様が余計なことを考える必要はない。貴様は貴様に課せられた義務を果たせ」
「なにこれ……すごい魔力……!」
ブロキスの身体から凄まじい力が吹きこぼれる。
リオンは咄嗟に浄化の魔法を発動させた。
二つの大きな力がぶつかり合い、目に見えないはずの魔力が可視化する。
様々な色が入り乱れる嵐が渦を巻き轟音を立てた。
そしてブロキスは最後にリオンの雄姿を見た。
あの小さかった赤子が今や立派に巫女の力を使いこなしているではないか。
語る言葉などいらず、情景を胸に焼き付ける。
もう充分、得るものを得た。
荒れ狂う魔力の中でリオンはブロキスが微笑むのを見た気がした。
大いなる気脈の道が開かれリオンたちを飲み込んでいった。