決戦 5
「リオン……! ロブ!?」
離宮の扉をくぐった瞬間だった。
いきなり倒れた二人がブロキスの見えない糸のような魔法によって静かに床に寝かせられる。
その前に感じた魔力はイェメトのものだ。
ジウからブロキスへと契約者を移したイェメトが不義理にも二人を術に嵌めたというのか。
こうなることは予想できたはずだった。
余りにも呆気ない幕切れであるが敵も邪神を復活させるためになりふり構ってなどいられないのだろう。
イェメトの催眠魔法は二人を何重にも包んでおり多少の打撃を加えただけでは起きそうにない。
何故か動けるのはオタルバのみであり目の前にはブロキスと教皇、そして一匹の使徒がいた。
「ははは……彼らにジウの心臓を持ち帰らせた理由はこれでございましたか! なんとも素晴らしい、こんなにも簡単に彼女たちを無効化出来るとは!」
教皇がしわがれた手を広げて嬉しそうに笑いブロキスを見た。
玉座に座る暴君は前に見た時よりも明らかに衰弱していた。
だからといって侮れるものではない。
見た目とは裏腹に彼らの魔力は以前にも増して異常なほどに濃縮されていた。
ブロキスの魔力はアスカリヒトの魔力が漏れ出ているのだろうか。
教皇は使徒となり、更に自身とエーリカという女性の使徒に魔力増幅の魔法陣を施しているようだ。
対面してみてはっきりと分かったがオタルバなどは明らかに場違いである。
彼らも眼中にないのか無視している今、何が出来るかと必死に思考を働かせるが何も思い浮かばなかった。
「それにしてもその精……悪魔の石の力は侮りがたいですな。どうやって使うのですか?」
「…………」
ブロキスは答えない。
ずっとそんな調子なのか教皇も気にする素振りは見せなかった。
歩み寄ってくる教皇の前にオタルバは立ち塞がるも突如として隣に現れた魔法陣によって弾かれ壁に激突し動けなくなってしまう。
その時ブロキスが小さな声でやめろと呟きオタルバは九死に一生を得た。
汚らわしい亜人は殺すべきだが動けなくなりさえすれば命を絶つのは後回して良い。
教皇は杖でロブの顔を叩き起きないことを確認して安全を確かめた。
この男は殺すと不死の怪物と化すのでどうしたものかと思っていたが眠らせるだけで良かったのは拍子抜けである。
それにしても防御不可能なあの力は何としても欲しいものだと一瞬鋭い視線をブロキスに投げかけてしまった教皇はわざとらしい笑みを浮かべ直して誤魔化した。
「さて、ジウを倒しリオンを手中に収める見事なる手腕、感服いたしました。前回はお恥ずかしながら色々あって逃がしてしまいましたが、あの時は我々はお互いに誤解していましたからね。貴方様の体に封じられている蛇は邪神ではなくまごうことなき我らが唯一神。ならば神を危険にさらす術を持つこの娘は悪魔の手先でしょうか。アーバイン家もとんでもない子をこしらえたものです。北方守護家にはそれ相応の処分を下すとして、この娘は如何なさるおつもりですか?」
当然殺したほうが良いに決まっている。
神を倒せる唯一の力を持つなど危険極まりない存在だ。
だが教皇はリオンを殺すのは惜しいと思っていた。
ブロキスが許してくれさえすれば少女として傍に置き、毎夜あの未熟ながらも美しい肢体を愛でたいものだった。
「どうもしない」
「で、では私めにお預けいただけますかな?」
「やらん」
「は、はて?」
「教皇、お前は強欲だな」
「ほ? ほほほほ……」
考えを読まれたと思ったか愛想笑いする教皇。
ブロキスはやっとの思いで立ち上がり足を引きずりながらリオンの側へとやって来た。
屈み込み、次はロブの元へ。
そして最後にオタルバの元へと移動するブロキスに教皇は訝しんだ。
「何をしておられる?」
教皇の問いは受け流されブロキスはオタルバの前に片膝をついた。
戦士は牙を剥いたが半身の骨が砕けてしまっておりそれ以上の抵抗は出来なかった。
使徒もやって来た。
ブロキスはオタルバが身に着けていた地を揺るがす精隷石を奪い、小さな声で呟いた。
「審判のオタルバ、今まであの子を守り続けてくれたこと、礼を言う」
「ブロキス様?」
暴君が獣を労ったのは気のせいだろうか。
二、三言何かを獣に告げ立ち上がったブロキスの手には彼女ら三人が身に着けていた装飾品が握られていた。
それが一体どういう意味を持つのか教皇には分からない。
ブロキスは再び玉座に戻ると精魂尽きたかのように崩れ落ちながら座った。
「奴らに預けておいて正解だった」
「預ける……預けるとは?」
「俺が持っていればお前は興味を持つだろう。だから奴らに託しておいたのだ。仔細伝えずとも奴らならこの日に持ってくることも想定出来た。分かるか教皇。真実を教えてやろう。これがセイドラントを消し去った力の正体だ」
「な、なんと!?」
あんな小さな装飾品が島を一つ消し飛ばした大元だというのか。
確かに石からはブロキスのものともアスカリヒトのものともつかない魔力を感じるがにわかには信じられなかった。
教皇はてっきり、セイドラントはリオンを殺そうとしたブロキスが返り討ちの反魔法を受けた呷りで滅びたのだとばかり思っていた。
魔力の流れのちょうど逆向きに魔力を当てられた対象は消え去ってしまうという反魔法の原理が物体にも作用するものだと思っていたからだ。
「精隷石は魔法使いの魔力に反応し……器に眠る精隷の力を呼び起こす。呼び起こされるのは石が持つ魔力だが……術者の魔力を付与すれば更なる真価を発揮する。刀身の破片は俺の魔力を増幅させ、指輪が地を揺らし、首飾りは衝撃波を起こす。そして……この木札がそれらの力の全てを増幅させる……。俺はこの力に気づいた時、必ずここで使うと誓った。その代償は大きすぎたが、ようやく叶う時が来た」
「セイドラントを滅ぼした力をここで使う!? 何を馬鹿げたことを……」
「馬鹿は貴様だ。貴様は貴様が俺にしたことを忘れたらしいな。これは復讐だった。くだらない自尊心を踏みにじられた俺の……」
「復讐だと?」
「まだ分からんか。貴様は、よくも俺の前であの娘が北方守護家の血を引くと言えたな」
「!!」
教皇はようやく己の失言に気づいた。
ブロキス自身もまるでそれが当然のことであるかのように振舞っていたから全く気にも留めていなかった。
なんという失態だろう。
敵対した時には気づかれたと思って最大限の警戒をしていたというのに、何時しか警戒を解いてしまったばかりか奴の計画のお膳立てさえしてしまうとは。
「分かったか。俺が貴様に、この大陸全土の信者に向けた参集令を発布させた本当の意味が。それがお前たちの、馬鹿げた妄信の指標となるからだ。唯一神の復活は、敬虔な教徒ならば寝たきりの死にぞこないですら、御輿を担がせてでも参集したいとほざくほどの慶事だ。俺は、この時を待っていた。この大陸を一掃するほどの力はなくとも、救いようのない屑どもが集ったこの都市くらいなら、まとめて消し飛ばすことくらい造作もないことだ!」
「ブロキス、裏切る気か!」
「そもそも仲間になった覚えなどない!」
頭上で最大級の魔力が花開いた。
教皇が気取られている隙に何者かが扉を開ける音がした。
新手かと反応してしまったが誰も離宮に入って来てなどいなかった。
逆に出て行ったのだ、リオンと槍使いを置いて、あの獣が。
「しま……」
重傷を負っていたはずのあの獣はなぜ起き上がることが出来、何故リオンたちを見捨てて逃げて行けたのか。
この睡眠魔法はどこに向けて、なんのために放たれたものなのか。
疑問が教皇の一手を遅らせた。
ブロキスの持つ精隷石が発光し、世界を純白の無へと塗り潰した。