穢れた炎 5
ロブの一撃が目を穿った。
勢いで高台から落ちてしまい下にいたラーヴァリエ兵が何事かと仰ぎ見る。
体制を立て直そうとして短距離の空間転移を唱えるサイラス。
しかし魔法は発動せずに地面に叩きつけられた。
傷から広がった消えない黒炎が全身に燃え移るのには時間がかからなかった。
慌てふためく兵士たちはオタルバとエルバルドに倒される。
ロブの後ろにいたリオンの反魔法が功を奏したか、どうやらサイラスを即時撃破することに成功したようだ。
そう思ったのも束の間だった。
サイラスの腹部が膨張し巨大化した。
黒い炎雷がロブの炎を取り込み渦巻く。
現れたのは頚部を広げた毒蛇のような怪物だった。
長く伸びた尻尾が高台にいるロブに振るわれ周囲の木々が薙ぎ払われた。
咄嗟にリオンを庇って飛び退くロブ。
反魔法の効果が途切れた。
その瞬間を逃さない。
使徒サイラスが細く伸びた手足で身体の中心を自ら裂くと異次元の扉が口を開いた。
「出でよ闘者! 奴らの救済こそ楽園への最たる捷径である!」
それはサイラスの切り札だった。
まだ体内に兵力を隠していたのだ。
闘者とはラーヴァリエの大都市には必ずある闘技場にて日々命を賭けた戦いに明け暮れている罪人である。
戦闘能力の高さはもちろん、今回の作戦で結果を納めたら楽園に近づけるとの言葉で一層の執念を燃やしている危険な集団だった。
「ロブ、援護だけお願い! 自分の身くらい自分で守るから!」
リオンは立ち上がると再び反魔法を唱えた。
逃亡出来ないように魔法を封じ込めたとしても使徒と化したサイラスの巨体は質量的に脅威だ。
足元では死を恐れない狂戦士たちがオタルバとエルバルドに襲い掛かる。
そして――遠くから放たれた無数の光の矢がロブたちに襲いかかった。
アスカラストだ。
サイラスを殺されれば自身も還れなくなってしまうため参戦せざるを得なかったのだろう。
しかしこの混乱ではアルカラストの場所を特定している暇がない。
リオンを守り、矢を避け、敵と戦いつつサイラスに一撃を加える隙を狙うので手一杯だった。
だからこそ狩人だけは別行動だった。
森の闇に紛れラグ・レは光の矢の出所を探る。
魔法の弾道は変幻自在であるため飛んでくる方向にアルカラストがいるとは限らない。
気取られないように踏みしめる足音にも気を配り、ゆっくりと辺りを探っていった。
「リオン、まだかい!?」
死兵ほど手ごわいものはない。
更に闘者ごと捻り潰そうとしてくるサイラスののたうち回りが厄介である。
初めて大規模戦闘に参加したリオンは四方からの攻撃に集中力が途切れがちになってしまいなかなかサイラスを浄化することが出来ない。
ロブの魔法も同じ属性を持つ使徒には全く聞かなかった。
「ごめん! 先に動きを止めてくれる!? これじゃあ集中出来ないから!」
「くそ……! ロブ、なにやってるんだ! リオンをちゃんと守れよ!」
「こっちには矢も飛んでくるんだ、無茶いうな」
「どれか一つでも隙が出来たら……」
そう思っているのはサイラスも同様だった。
サイラスが小出しに増援を吐き出しているのはリオンたちに自分が今のところ転移の魔法で逃げるつもりがないと思わせるためだ。
先手を取られてしまった以上リオンを連れ帰るどころではない。
臨機応変に立ち回るのも生き残る上では重要なのだ。
一方でアルカラストはこれを好機とみていた。
魔法の矢を放ちつつ自身は少しずつリオンに近づいている。
精隷石を奪い取るにはこれくらいの乱戦が丁度良い。
なんならリオンは殺してもいいだろう。
ブロキスの命とはいえリオンに危害を加えないよう意識してばかりでは上手くいくこともいかない。
そもそも北方守護家などという田舎貴族にここまで忖度しなければならないのも不可解だ。
遺体を持ち帰って安全な場所で精隷石を取り返す。
これが一番の良策でありリオンの生死など報告でいくらでも取り繕えるというものだ。
魔法の矢を出現させ、一端静止させる。
少し離れてから発射させ大きく円を描きながら飛ばす。
自身は極力魔力を消して動く。
混戦状態になっている奴らが気づけるはずもないだろう。
目視でリオンを捕らえたアルカラスト。
次の矢ではロブではなくリオンを狙う。
アルカラストは飛び出す体制を整えた。
その動きの変化が合図となった。
矢が放たれた。
魔法の矢ではない。
葦の茎を用いた矢柄がしなり牙狼の歯を加工した鏃がアルカラストのこめかみを捉える。
ラグ・レが機先を制したのだ。
「いたぞ! ここだ!」
短刀と火打石を打ち付け叫ぶアナイの戦士。
森の中で火花が飛んだ。
オタルバの俊足が倒れる途中のアルカラストを補足する。
振るわれた鋭利な爪が神官の首を飛ばした。
だがオタルバは気づいていた。
これでは意味がない。
サイラスが使徒になっていたということはこの男もその可能性が高い。
であるならば浄化以外で倒すことは出来ない。
黒い雷が迸った。
舌打ちをしてオタルバが下がる。
炎の中から四対の腕を生やした怪物が出現する。
落とされたはずの頭も蛇のように長い首で繋がりその醜悪さはジウを倒した時以上となっていた。
「あれも使徒なのか!?」
今まで見て来た使徒の中で最も蛇神の姿から遠い異形にリオンたちは反応してしまった。
その隙をサイラスは逃さなかった。
増幅する魔力は三度増援を出すためのものではない。
空間が歪み、転移の魔法使いは一人だけ戦線を離脱していった。
「リオン!」
エルバルドが叫んだ時にはもう遅かった。
驚いたのはアルカラストも同じだった。
まさか一等国民である自分が囮に使われるとは露ほども思わなかった。
怒りが雷炎を増幅させ四方に飛び火していく。
「サイラァス! この裏切り者めがぁ!」
「なんだ……仲間割れか?」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! 逃がしちゃった……!」
「リオン、切り替えな! こいつはもう逃げられない」
「奴だけでも倒すぞ!」
「おのれぇ! こうなったら戦うまでよ! 偉大なる主よ、我、主に還らん!」
四倍に増えた魔法の矢が人間だった時の魔法の数倍の強度と速さを伴いオタルバたちに襲い掛かる。
体制を立て直したリオンが魔法を封じると戦場は森から再び下の集落に移った。
兵士や戦者たちの死骸のそばに転がっていた武器を八本の手に取ったアルカラストの斬撃は一振りでもくらったら即死だ。
意外な強さでリオンを狙うアルカラストに四人がかりで翻弄されたロブたちであったが勝敗は決した。
「ごめんみんな……おまたせ」
アルカラストの魔力の流れを掴んだリオンが反魔法を唱える。
万物の源であり生き物にとっては活力である魔力が相殺され怪物の動きが止まった。
ゆっくりと膝から崩れ落ち瓦解する使徒の身体。
蛇神の分身が抜け落ちたアルカラストは声もなく倒れ形を残すことなく消えた。
「倒した……のか?」
「うん、もうアルカラストの魔力は感じないよ。でもごめん……サイラスが……」
「そりゃあ言いっこなしさね。あたしらだって何にも出来なかったんだからね」
「よくやった」
「それにしても……ダンカレムで戦った使徒とは比べ物にならないほど厄介だったな!」
「魔力の質が影響しているのかねえ」
「おいあんたら、安心するのはまだ早いぞ。敵の残党が残っている」
事態に気づいていないラーヴァリエ兵はまだ集落の奥で亜人と戦闘中だ。
森に燃え移った穢れた炎はリオンに反魔法で消してもらう他に消火する手立てはない。
リオンとラグ・レはここに残り他の者たちは残党を倒しに行くことに決めた。
ロブ達はアルマーナの王テユカガ以下残存する亜人たちを助け、ようやく長い夜が明けた。