穢れた炎 3
天にまで届かんばかりの巨木が燃えていた。
至る所の裂け目から黒煙が噴出していた。
信じたくない光景だった。
心の寄り処が失われていく。
誰も言葉を発することが出来なかった。
それ以前に息が出来ない。
吹き荒れる熱風のせいではない。
感情が絶望に喰われてしまったのだ。
リオンは赤子の頃からここで暮らしてきた。
オタルバは二百年以上前からここで暮らしてきた。
エルバルドとシュビナは生まれた時からここにいる。
ラグ・レとノーラは心身ともに受けた迫害の傷をここに癒された。
大勢の同じような境遇の者たちが集まり、生まれた場所も時も違えど確かに皆は家族だった。
ジウは皆の支えだった。
達観し過ぎていて噛み合わない感情に苛立ちを覚えてしまったこともある。
しかしその苛立ちはジウに甘えていたからこそ出来た事だったのかもしれない。
リオンはジウの魔力が消えたと言っていた。
高度に魔法を理解した魔法使いなら自身の魔力を操り第三者に察知できなくすることが出来る。
しかし今の状況でそれをするとは思えない。
最悪の予想はほぼ確定となっていた。
「ぎ、ぎぃーっ!」
「シュビナ、待つんだ!」
「い、い、イェメト……イェメトが!」
「あれじゃ……もう中に入れないよ……!」
「ノーラ! 離して! ぎいーっ!」
飛び立とうとしたシュビナをノーラが抑える。
ノーラの言う通りあれだけ煙が上がっていれば内部にはもう入れないだろう。
いったい何故こんな事に。
周囲を警戒し見渡したエルバルドは湿地帯に続く道の先に大きな物体が横たわっているのを見つけた。
「……ルーテルか?」
エルバルドが悪寒を感じつつ声を漏らす。
誰よりも足の速いオタルバが駆け寄り皆が後に続くが、傍でルーテルを見たオタルバは鋭い声でリオンを近づけるなと叫んだ。
隣にいたラグ・レが察してリオンを抱きしめた。
その時点でリオンは察してしまったが、実際はもっと惨たらしいものだった。
エルバルドとロブが近づく。
動かなくなったルーテルの周りには湿地帯に住まう貝や肉食昆虫がもう集まって来ていた。
何度も何度も殴打と刺突を繰り返されたのだろうか、頭蓋は砕けて脳漿がはみ出し、黒い毛皮に包まれた上からも損壊具合の酷さが目に余る。
エルバルドはきつく目を閉じ、大きく息を吐いてから遺体の状況を検分した。
「足跡だ……。ここに大勢の人間がいた。土の沈み込みが強い。武器を振るったんだ。……この傷は戦闘でついたものじゃない。倒れて動かなくなったルーテルに何度も打ち込んだ傷だ」
「……敵が外から来たのならこんな手前にいるのは不自然だな。自分から攻め込まなくてもイェメトの魔法の中にいれば誰にも破ることは出来ない」
「ロブ、あんたの予想を聞きたい。俺たちが精隷石を使った瞬間にこれだ。まるで図ったかのようじゃないか」
「……お前の思っている通りだと思う。奴だ。空間転移の魔法使いだ。大勢の兵を連れてジウの内側に転移してきたんだろう。魔法には制限がないのか……?」
「…………」
「オタルバ?」
「……なんだい、ナバフの島でさ、死んだふりなんてするから罰が当たったんだよ。……ちっとも悲しくならないねえ」
暗い瞳で吐き捨てるように言い放つオタルバ。
長く生きて多くの死を見て来た彼女なりの強がりなのかもしれない。
かけられる言葉もなく沈痛な空気に包まれた時、遠くで爆発音が聞こえた。
そういえば炎上するジウの明かりでよく分からなかったが西の方角も明るい気がする。
「なあエルバルドや。ルーテルは……自分だけ逃げようとしてここで力尽きたんじゃないね」
「当然だ。こいつは優秀な戦士だ。……そうか、何故ここに倒れているのか、そういうことか。ルーテルは外にいた。火の手が上がるのに気づいた時にはもう遅かったんだ。だから行こうとしたんだ、アルマーナに!」
よく見れば大勢の足跡は全てジウから外へ出て行ったものだ。
ラーヴァリエの者どもからすれば亜人などは人間から程遠い穢れた獣であり最も救済せねばならない存在である。
ジウで勝利を収めた彼らは勢いづいてアルマーナに攻め込んでいったのだろう。
いくら領土問題などの因縁があったとしてもそれに気づいて放っておくことなど出来なかった。
「援軍を呼びに行ったか、危機を伝えに行ったか。最も奴らと衝突していたくせに、頑固に見えて意外と柔軟だったんだねえ。見直したよルーテル。後はあたしらに任せな」
オタルバは吠えた。
怒りと涙をにじませた血を吐くような咆哮だった。
同胞にこのような屈辱を与えられて哀しくないわけがないのだ。
殺気みなぎる彼女の気迫はロブでさえも気圧されるほどだった。
「ノーラ、ラグ・レ! あんたたちはリオンとシュビナと一緒にあたしの部屋に隠れてな。今アルマーナが襲われてる。こんな糞ったれなことをした糞野郎どもを、裂き殺して来るから、いいねっ!?」
「あたしも行くよ」
悲しみに暮れ脱力するシュビナを抱えてノーラは無言で頷いた。
しかしリオンは真顔で静かに意見した。
オタルバに強く睨みつけられても動じることなくリオンは歩き出そうとする。
慌てて抱きしめるラグ・レだったがリオンは前を見据えたまま言い放つ。
「離して」
「駄目だ。これは」
「ラグ・レ、……離して」
リオンの声色はとても静かで十四歳の少女のものとは思えない重さを含んでいた。
胸に回していた手に手をそっと添えられラグ・レは拘束を解いてしまう。
恐ろしかった。
触れられることで少女の内側に秘められた感情を理解してしまったラグ・レは今一度リオンを制止することなど出来なかった。
オタルバは感じていた。
ロブにもそれが見える。
この気脈の大きな乱れはジウが死に、大樹が燃えているからだけではない。
リオンの心緒によって世界が大きく揺らいでいるのだ。
ルーテルの元にしゃがみ込み、飛び出した目を優しく戻して瞼を閉じさせる。
服の裾を破き、顔に優しく乗せる。
戦士の尊厳を守るリオンの姿にラグ・レは目に込み上げるものを感じて横を向いた。
立ち上がったリオンの表情は決意に満ち満ちていた。
「私も戦う。サイラスもいるはずだから私に任せて。みんなは他の人をお願い」
頷く一同。
オタルバがリオンを抱え、ロブ、ラグ・レ、エルバルドが後に続いた。
獣道を駆け抜け小川を越えて亜人の国アルマーナに至る。
ジウの弔い合戦の火蓋が切られた。