ランテヴィアの革命志士 2
リオンは歩き続けた。
ジウの周辺とは違いどこまでも遠く平野が見渡せる大地は開放感があり実に爽快だった。
大樹の昇り降りで自然と鍛えられていた少女は健脚だ。
明け方に廃墟を出発したリオンは朝には小さな漁村へと辿り着いたのだった。
漁村の入り口には簡素な堀と柵が張り巡らされており門と思わしきところには兵士がいた。
しかし兵士たちは朝っぱらだというのに門の内側で眠りについていた。
どうやら朝食のあとにそのまま酒盛りをしたらしく気持ちよさそうにいびきをかいている。
リオンはオタルバのような責任感のない門番たちに半ば呆れながらもこっそり中へと入っていった。
村の光景を見たリオンは目を輝かせた。
漁村では大樹と異なる生活が営まれていた。
人々は真っ黒に日焼けし、今朝終わったばかりの水揚げの片づけをしていた。
平屋の前には干した魚と網が広げられ天日干しにされていた。
住人にいろいろ質問したいことがあるが傍にあるもの全てが物珍しい。
歓声をあげながら道草をするリオンを住人たちは怪訝な顔で見ていた。
住人たちはリオンが近づくと自然な動きで家の中へ入っていく。
話しかけたくても話しかけられない状況だがリオンは避けられていることに気づいていなかった。
その様子を遠巻きに見ていた一人の住人が桟橋へと走った。
桟橋では幾人かの人々が船の点検をしていた。
「組頭! 組頭!」
いかにも海の男然とした逞しい中年が振り返った。
中年は漁村の漁師たちを束ねる代表だ。
「おう、どうした」
「余所者がいる。こんな朝に、女っこだ」
「なにぃ?」
指差された方を見ればふらふらと歩く少女が住人に話しかけようと近づいては逃げられてを繰り返している。
リオンの存在は小さな漁村では誰も見たことのない異質な存在であった。
「見ねえ顔だな……。昨日いたか?」
「見たことないねえ」
「あの悪餓鬼どもの新しい舎弟じゃないか?」
「だとしたら来るのが早すぎるし新参が一人だけってのは妙だ」
「まさか……奴隷?」
「逃げ出したってのかい!?」
「……ちょっくら行ってくらあ」
「ちょっと! 面倒ごとはごめんだよ!」
女たちの姦しい声を背に組頭はリオンに向かって歩を進めた。
未知数である以上それに対応するのは村の代表たる組頭の責務だからだ。
リオンは男が近づいてくるのを見て逆に警戒した。
それが伝わったか組頭は少し離れた所で腰を下ろした。
すぐに立ち上がれない姿勢となった中年を見てリオンは少し安心する。
自分に害を与えるつもりがないと分かったがいざ話せる機会となると何となく気恥ずかしくて自分からは話しかけられないリオンであった。
「よう、おはようさん」
「おはよ……」
「よく眠れたかい」
「え? あ、寝てない。ん? 寝た……かな?」
中年のほうから声をかけられリオンはもじもじしながら小さい声で答えた。
そういえば昨日は深夜に起きてから寝ていない。
眠くならないのは色々な事が起こりすぎて興奮しているからだろう。
眠くはないがとりあえずお腹はすいていた。
組頭は素知らぬ顔をしながら少女を観察した。
少女のまとっている服は簡素だが丈夫な繊維で編まれたものであり昔交流のあった島嶼の民族衣装の素材に似ていた。
少なくとも帝国で出回っているような服ではない。
心の中で苦虫を噛み潰した。
女たちの言っていた憶測が正しいのかもしれない。
恐らく少女は島嶼で身売りされた奴隷だろう。
漁村では朝に水揚げされた魚の競りが名物となっておりそれなりに来訪者がいるのだがこのご時世なので旅行者などはなく、いるのは周辺町村の料理人や軍、遠方の商人といったくらいだ。
その中でも大多数を占めるのが商人であるが中には人間を売り物にしている者たちもいた。
当然人身売買は法律で禁止されているが告発は悪手だ。
下手をすれば商人からの信を失うし面倒を嫌う治安維持隊からも煙たがられることになる。
だから奴隷商がいても知らん顔をするのが賢い選択なのだが奴隷が村の中で逃げ出したとなると厄介だ。
逃がすわけにもいかないし、非常に後味の悪い結末を見るはめになるのは目に見えていたからだ。
「自分が寝たかどうかくらいは分かるだろうによう」
「色々あったのよ」
「色々って?」
「いろいろ!」
「……何処から来たんだい」
「あ。そう、そう。それを聞きたかったの」
「なに? それも分からねえのかい」
「そうじゃなくて。私、ジウに帰りたいの。でも帰り方が分からなくて。あなた知ってる?」
「……ジウだあ?」
組頭は眉根をこれでもかと寄せた。
リオンのお腹が盛大に鳴った。
村の食堂でリオンは村人たちに囲まれながら遅めの朝ごはんを貰っていた。
出された料理はどれも絶品だった。
魚を食べる機会がなかったリオンは焼き魚をどうやって食べたらよいか分からず、それが余計に村人たちの同情を誘った。
ひととおり食べて落ち着いたところで組頭は皆を代表してリオンに質問をした。
リオンは組頭の質問に全て答えた。
自分の名前。ジウに住んでいたこと。ルビクに騙されてジウの外に連れ出されたこと。奇妙な侵入者たちの殺し合いの渦中に巻き込まれたこと。そして転移魔法で連れていかれそうになった時、何故か自分だけたった一人で見知らぬ場所に来てしまったこと。
村人たちは話に興味津々だった。
少女が嘘や妄言を吐いているとは到底思えず、真実だとすればこれほど面白い話はない。
思えばリオンにはどことなく聖域の住人らしい気品ある風情を感じる。
もっと質問したい村人たちを抑えて組頭は大事なことを再確認した。
「リオン、よく思い出してくれや。本当に船に乗った記憶はないのか?」
「うん全く。サイラスの魔法だよ。空間転移」
「……おったまげたなあ」
村人たちは嘆息の声を漏らした。
ジウが魔法使いの聖域だという噂は知っているし、自国の皇帝が不思議な力を使って様々な武勇伝を残していることも話には聞いている。
しかし実際にその力を体験した人間にお目にかかるのは初めてなので興奮を隠しきれないのだ。
ただしリオン自身は魔法を使えないと聞いて、実演してもらいたかった皆は少しがっかりした。
「私も驚いたよ。空間転移なんて魔法、私だって初めて見たんだもん。まさかあんな一瞬で海を渡っちゃうだなんて夢みたいな話だよね」
「昔あったな。ほら、うちの皇帝も似たような力を使った話がある」
「へえー。じゃあ皇帝に頼めばすぐに帰れるかな」
「とんでもねえ。そんな簡単に会えるもんじゃねえよ」
「そうなの?」
「それ以前にリオンちゃんは不法入国だ。軍の連中に知られたら不味い」
「皇帝だって魔法使いの国の子だってんで政治利用しようとするに決まってるさ」
「俺たちの船で帰してやりてえがなあ……これがなかなか難しい」
「なんで?」
「あのなリオン。ジウのあるアルマーナ島へ行くまでの海路にはサロマ島っている小島があるんだがそこには帝国の国境警備隊がいるんだ。ゴドリック帝国とジウの間にゃ国交はねえ。俺たちの漁船じゃあジウに辿り着く前に連中の高速船に拿捕されちまうってわけよ」
「私が帰るだけだって説明しても駄目?」
「駄目だろうな」
「連中に話は通じねえよ」
「悪魔みたいな奴らさ」
「あくま?」
「おいおいお嬢ちゃんに変なこと吹き込むなよ……」
堰を切ったように口々に不平不満を漏らす村人たちに引くリオンを組頭は庇う。
リオンは不思議に思った。
「警備隊ってことは外の危ないものからみんなを守る人たちでしょ? なんでそんなに嫌ってるの?」
「連中のせいで漁場が減ったのさ」
もともとサロマ島海域は島嶼との緩衝地帯ということで漁業は禁止されていたが漁民は密漁でなんとか生計を立てていた。
しかし十年ほど前に国境警備隊が置かれ監視の目が強化されて以来、今では小島に近づくことさえ出来なくなってしまったのだ。
更には島嶼との交易が盛んになるにつれて魚の値段の相場が下がっていき今では十年前の三分のニほどに下落していた。
交通の便の悪い地方の漁村で買い付けをするような物好きは少なくなり、漁民たちの生活は真綿で首を絞められるように徐々に悪化していた。
「もう漁だけじゃ食っていけねえのさ」
「ひどいね……」
「何がひどいって?」
その時食堂の入り口で威勢の良い声が響いた。
皆が驚いて声のほうを見るとそこには六人ばかりの少年たちが立っていた。
少年たちはぼろぼろの小汚い服に身を包んだ物乞いのような風体だ。
その中心に立つ少年が大股で中に入ってくる。
「ひでえのはそっちだよ。今日は誰の出迎えもないと思ったら、なんだいその女の子は?」
「おう、なんだよ。いつもより早いじゃねえか、ラグナ」
ラグナと呼ばれた少年はずかずかと歩を進めるとリオンの食卓に腰かけた。
食べ物を置く場所に煤まみれの汚れた尻を乗せられリオンは唖然として少年を見上げた。
少年は不敵に笑ってリオンの食べかけの皿から芋をくすねて口へ運んだ。
リオンとラグナ、それがニ人の初めての出会いだった。