夢の終わりにみた夢 7
モサンメディシュ、迎賓館。
ヘンリエッタ・アストラヴァは窓から見える戦火に目を細めた。
あれほどにまで大艦隊を動かせるとなると帝国が滅びランテヴィア共和国なる国が成立したという情報は真実であったか。
ならばそのように動くまでだ。
「誰かいますか」
扉の外に立っていた兵士が中に入ってきた。
アストラヴァは駆け寄ってその胸に飛び込んだ。
齢八十を超える老婆と分かってはいても外見はまるで妙齢の美女であり兵士は潤んだ瞳に射抜かれて硬直してしまう。
女性独特の甘い体臭が更に兵士の脳を揺さぶった。
「い、い、如何なされましたか」
「戦の音が怖いのです! どうか、どうか強く抱きしめてはくれませんか……」
「いけません、それは」
「ああ……なんて逞しい身体。こうしていると私、落ち着きます……」
怪しげな動きで指をからめられ、硬直をなぞられ、首筋に舌を這わされて兵士の理性は飛んだ。
アストラヴァを抱えて走るように寝台へと倒れこむと男は震える手で装備を脱ぎ捨てた。
妖婦は獣を迎え入れ、辺りには嬌声が響き渡った。
だが必死に乳房を貪る男に向けられたアストラヴァの視線は甘い声色とは裏腹に氷のように冷ややかであった。
「クランツ、待て!」
ジメイネスの猛攻を避けていると血まみれのクランツが楽しそうに横やりを入れて来た。
いったん間合いが切れたので三者三様の位置でお互いを牽制し合う。
やはりジメイネスは襲って来た。
それは仕方のないことなのかもしれなかった。
十余年前、ロブは大転進記念祭で元上司のエイファ・サネスを殺害している。
エイファは諸事あってバルトスと共にショズ・ヘイデンの部隊へと編入されていたので彼にとってロブは同僚を殺した仇ということになる。
それだけではなく先のナバフ族の島の攻防でもロブは彼の隣にいた義肢使いを殺していた。
ジメイネスのロブに対する恨みは一入であることは想像に難くなかった。
兵士としては失格である。
兵士たるものは私情に流されず上官の判断に従うのが当然だ。
今回で言えば事前にアストラヴァ女史がゴドリックに救援要請を出しているので彼はロブたちを味方として迎え入れなければならない。
つまり彼の行動は軍令違反であり大罪だ。
だがダルナレア側の事情としては一応ジメイネスの行動にも大義名分が立っていた。
ゴドリック帝国が滅びランテヴィア共和国なる新国が建国させているとの話は入って来ていたが、それが事実かを確かめる術はなく何者かによる流言である可能性は捨てきれなかったのだ。
ランテヴィア共和国を名乗る反政府組織がゴドリック帝国と島嶼の関係性を完全に断つために流した嘘かもしれない。
それを証明せずに交戦してしまったのは完全にロブ達の落ち度であった。
「なあ、おっさん。そっちのおっさんが勝手に装備してやがる装甲義肢って、あいつのだよなあ」
「……ピーク准尉のものだ」
「殺したのか」
「……知っていると思うがゴドリック帝国は滅びた。ブロキスはラーヴァリエに移り、指導者のいなくなった帝国はティムリート・ブランバエシュによってランテヴィア共和国となった。……ビクトル・ピーク准尉は重傷を負って投獄中だったが脱走して今は行方不明になっている。置いていった装甲義肢は利用させてもらっている」
「はあ……だいたい噂の通りってか」
ジメイネスは大きく息を吐いて空を仰いだ。
「なあ、おっさん。世界って広いなあ。情勢ってやつはころころ変わって、社会ってのは人間がつくりあげたくせに人間を置いてどんどん進んで行っちまう。今はてめえらが味方です、なんて俺には受け入れることが出来ねえよ」
その気持ちはロブにも分かる。
自分たち旧リンドナル方面軍の仇であるブロキスが王座に就いた事を受け入れられずにラグ・レの手を取ってしまった自分がジメイネスに兵士たれと説教をする資格はない。
だが大勢の為には兵士であっても大局を見なくてはならない。
そして私情を棄てなければならないこともあり、今がその時なのだ。
ここでジメイネスが暴れたところでロブを殺害することなど無理だろう。
単にジメイネスの主であるアストラヴァが今後肩身の狭い思いをするようになるだけだ。
仇討ちも出来ずに兵士としての信頼も失うくらいならここは耐えて別の方法で訴えて欲しいものだ。
戦いが全て終わった後なら因果に甘んじることもロブは構わないと思っていた。
「そうだ、最後に一つだけ聞いておくわ。ピークと戦ったんならあいつも出しゃばってたはずだろ。……ニファはどうした?」
「……………………俺が、殺した」
「成程な」
再び火花放電が活性化しジメイネスが殺意のこもった拳を振るってきた。
ロブはそれを正面で受け流し反撃を狙った。
言葉はもう必要なかった。
クランツは顔の血泥を指で拭うと静かな目で両者の攻防を見守った。
大地が爆ぜ、風が鳴き、金属が弾かれる音が闇夜に吸い込まれていく。
骨の砕ける音が響き、血が舞い、獣のような咆哮が轟く。
攻防は暫くの間続いた。
砲撃により燃えた軍港の施設が赤々と夜空を照らしていた。
「あっち! あっちから魔力を感じる!」
一方その頃リオンたちは迎賓館に至り荘厳な階段を駆け上っていた。
迫りくるモサンメディシュ兵はオタルバとダグが次々に蹴散らしていき、遠くから銃を向けてくる者はラグ・レとビビが対処する。
ラグナは後ろから着いてくるだけだが彼なりに緊張感を持っていた。
圧倒的な布陣によりリオンに危険が及ぶことは全くなかった。
通路を走っていくと半開きになった立派な扉が目に付いた。
オタルバがリオンのほうに振り返るとリオンもその扉の先を指さしていた。
「おっしゃ、俺が先に行くぜ!」
大きな体のダグが先陣を切り扉を蹴破って部屋の中へと突入する。
すると、中から頓狂な声が上がった。
「な、なんだこりゃあっ!?」
「どうしたの、ダグ!?」
「リオンちゃんには見せるな! あと坊主にもだ! おめえらちょっと外で待ってろ!」
ラグ・レがリオンを抑え、ビビがラグナを抑える。
切迫したダグの声が一同に不安を与えた。
まさか救助が間に合わずアストラヴァは殺されてしまったのか。
後に続いたオタルバは血みどろの空間を覚悟したが、一気に襲い掛かる異様な臭いにぎゃっと小さく悲鳴を上げてしまった。
腰の砕けた全裸の男たちが抵抗も出来ずにダグに殴られて気絶する中、奥の寝台では手首を縛られ固定されたアストラヴァが汗まみれの裸体を大きく上下させて息を整えていた。
飛び散った体液が全身に粘り付き、その悪臭たるや亜人のオタルバには耐え難いものがあった。
どうやらアストラヴァは監禁され男たちの性の捌け口にされていたらしい。
なんという鬼畜の所業だろうか。
「あー……とりあえず片付いたぜ。姐さん、あっちは頼んますわ」
流石に悪いと思ったのかダグはアストラヴァに背を向けていた。
濁った粘液が体毛に付くかもしれないことを考えるとオタルバは全身の毛が逆立つ思いがしたが、自分以外に女史を解放出来る者がいないので観念して歩み寄って行った。
窓を開け放ってこもった空気を追い出し、とりあえず寝台の布で体を拭いてやるとアストラヴァは恥辱に震えて涙を流した。
オタルバは十余年前に大転進記念祭で女史を見たことがあったがその頃と全く外見が変わっていないようなので、確かに亜人の血でも入っているのかもなと思った。
「おわった? なに、なんかこの部屋くさい!」
「あっ」
アストラヴァに服を着せ、もう大丈夫だと思ったので呼んだがそれは鼻が慣れてしまっただけのようでリオンが顔をしかめた。
一方でラグナは嗅ぎなれた臭いにすぐさまここで何が行われていたかを察して赤面した。
「ほんとだ。何の臭いだ?」
「ギィ! くさい!」
「ヴぁっし!」
全員が入って来たがここだと色々集中出来ないのでとりあえず何も聞かずにすぐさま船へ戻ろうと提案するオタルバ。
撤退の時、身体に力が入らない、とダグにしなだれかかるアストラヴァを見て女性陣はなんとなく不快な何かを感じるのであった。