ひとりじゃない 10
ダンカレムから出航して一週間、リオン一行の航海は順調だった。
島嶼諸国にはランテヴィア共和国の大船団を止めることなど不可能だ。
逆に怖気づいて友好の使者を送ってこようとしたところもある。
蝙蝠外交が骨の髄に沁み込んでいる彼らには示威行為は効果絶大だった。
「ダンカレム海軍から連絡あり。部族、降伏、また、使者」
「またって……わざわざ送ってくる内容かよ」
先を行く戦艦からの信号を望遠鏡を覗いていたウィリーが読み上げた。
カートから舵取りを代わっていたダグが鼻で笑う。
眼前では暇を持て余したオタルバたちがロブに稽古をつけて貰っていたが前方の船からの不思議な合図が気になったのか武器を下ろして寄ってきた。
ロブは海兵隊ではないので流石に分からなかったようだ。
「ウィリー、あれはなにさね?」
「昨日と同じく敵が使者を送ってきたと言っているんですよ。またとか余計な合図が含まれたせいで別の信号かと思いきや、同じ内容です。例によって、彼らの勇気ある決断に感謝しつつ巫女のために自国を堅守してくださいと要請しますね」
「要約すっと、なにもすんなってこったな」
「ダンカレムの戦士たちも呆れているのだな。まったく、ここの奴らには戦士の誇りがないのか!」
「ええと……ムガ族だそうです」
「ムガ族か。ナバフから帰ってくる時にも聞いた名前だねえ。するとあたしたちはロブが昔いた島らへんに戻って来たわけかい」
「順調だな」
喫水の深い戦艦が通れるように別の航路を辿っているので錆びた砲台のある小島などは見えない。
前回はセイドラントを経由したので南回りだったが今回船団は直進していた。
島嶼諸国の抵抗もあるだろうと見積もっての日数だったのでこのまま行けば余裕をもってダルナレアに着きそうだ。
ダルナレアの隣国であるモサンメディシュは十余年前の大転進記念祭で完全にラーヴァリエ陣営となっているのでまさか島嶼諸国のように寝返りが許されるわけもなく、そこでは確実に戦争になるだろう。
状況は良いとは言えない。
ウェードミット諸国が次々にラーヴァリエから離反しているとはいえ彼らは信に値しないので戦力として数えられない。
ダルナレアは小国であるし今はほぼ壊滅状態である。
つまりこの船団が巫女の最大戦力だと言える。
対するラーヴァリエは装備の質こそ劣るものの大国ゆえに戦争に動員できる国民が多い。
そこへ殴り込みに行くのだから兵站は伸びきっており輜重は心もとない。
絶対に裏切らないと信頼できるナバフ族ももういない。
短期決戦が望まれるのは言うまでもなかった。
「……そういえばラグ・レさん、アナイの民って今どこにいるんでしたっけ?」
「む?」
ウィリーの何気ない質問にラグ・レはきょとんとし、オタルバが気色ばんだ。
アナイの民はその昔、ジウを目指す繋世の巫女の道案内をしたとされる部族だ。
当時は別の呼称だった彼らがそれを機に部族の名をアナイに変えたのは有名な話だ。
今も改名を誇りに思っているのなら、リオンのために立ち上がり味方になってくれるのではないかとウィリーは考えたのだ。
前線に出てくれと言っているわけではない。
ランテヴィア海軍がラーヴァリエと戦っている時に島嶼に睨みを効かせてくれれば良いのだ。
後ろ備えとして物資の供給に努めてくれるなら尚良い。
今はラーヴァリエ近海に定住しているとの噂なのでラグ・レが橋渡しをしてくれればこれほど都合の良い存在はなかった。
「あー……ウィリー、ラグ・レは物心つく前にジウに来たからそういうのは分からないさね」
「えっ、そうだったんですか?」
「すまんなウィリー・ザッカレア。だがもしもアナイの民がいたなら私に任せろ。大船に乗ったつもりでいるがいい。巫女もいるしな! 味方にならんわけがないだろう」
「おお、頼もしいですねえ!」
「…………」
オタルバが顔を曇らせるのも無理はなかった。
ラグ・レの親は彼女を守るために部族から逃げて命を失った。
かろうじてジウに辿り着いたラグ・レも当時の記憶をなくしている。
このことは後でウィリーにも話しておく必要があるだろう。
「……ダルナレア近海にはエルバルドもいる。奴の手腕に任せれば味方はすぐに集まるだろう」
「あ、ああ! ロブの言う通りさね。近くなったらシュビナに探させようさ」
「おーい」
噂をすれば頭上から声が聞こえシュビナの足に掴まったリオンとラグナが満面の笑みで降りてきていた。
シュビナはジウとの定期交信のために船団を追ってきていたのだった。
今は羽休めついでにラグナも交えて遊んでいる最中である。
初めは人見知りしてラグナを警戒していたシュビナだったが飛行できることを煽てられてすっかり気分が良くなっていた。
「おお、お前たち! あっちの船はどうだった?」
「すっごいよ! 崖の上にいるみたいに海面が遠いの! ラグ・レも行ってみたほうがいいよ!」
「めちゃくちゃかっこよかった」
「皆さん、あんまり兵隊さんに迷惑かけちゃ駄目ですよ」
「大丈夫だよ。巫女が船に乗ったっつって向こうさんも大喜びだったぜ」
「ラグナはずっとなんだこいつって顔で見られてたよね」
「ぎっぎっ」
「もう友達になったのかお前ら」
これから死地に向かうというのに無邪気なものだ。
戦争をよく知っているロブ達は苦笑する。
それでも緊張や不安で心を病むよりは余程よい。
ダンカレムで号泣したこともあり、リオンが努めて明るく振舞おうとしているのは誰もがよく分かっていた。
「それにしてもすげえよなあ。俺たち二人をぶら下げて、なんであんなに飛べるんだ?」
「しゅ、シュビナ、つよいから」
「ラーヴァリエで私を助けてくれた時なんか私を抱えてずっと飛んでくれたんだよ」
「こんなに細えのになあ……」
「ぎっ!?」
「あっ! ラグナがシュビナのおしり触った!」
「へへーん」
「待てすけべ!」
「ぎぃ!」
「がはは、なんだあいつ。おもしれえ奴だなあ。連れてきて良かったじゃねえの」
「ふむ、けつを触ると面白いのか?」
「……俺のけつ触っても面白くねえぞ、お嬢ちゃん」
束の間の平穏なのかもしれないが充分に浸っておきたいものだ。
船上が賑やかさに包まれた時だった。
「……えっ!?」
ラグナを追いかけまわしていたリオンの足が止まる。
遠くの空を見つめるその顔は一瞬前とは打って変わって真剣そのものだ。
その様子を見て一同にも緊張が走る。
武器に手をかけ周囲を警戒したのはダンカレムの襲撃が想起されたからだった。
「どうした、リオン!?」
「……あっちで沢山の魔力が消えた」
リオンが指さす方学は進行方向のやや左寄りである。
魔力、と聞いて皆は一様にロブを見たがロブも困惑していた。
ちょうどそのころ彼の地ではブロキスがアシュバルの魔法使いたちを手にかけていた。
それは気脈を揺るがすほどではない小さな喪失だったがリオンは気づいたのだった。
「また連中が何か企んでるのかねえ」
「だろうな。魔力が消えた、ということはあの空間転移の魔法使いがまた暗躍しているのかもしれん。連中は魔力を消す術も身に着けているわけだしな」
「そうかな……ううん……でも、なんだろう……なんだか怖い、怖い感じがする喪失感だった」
「リオン、ルビクと繋がっているっていう記憶はどうした?」
「あれはもう浄化したよ」
「うーむ、なんだか気になるな。ジウなら何か気づいたのではないか?」
「大賢老さんに色々知見を求めるのは私も良い判断だと思います」
「じゃあ石を使ってリオンをジウに戻すべきかねえ? あそこならイェメトの鉄壁の睡眠魔法もあるし、なんならアスカリヒトと直接対決するまで籠ってたほうがいいんじゃないかい?」
「駄目だよ。もしも使徒が急に襲ってきたらどうするの。使徒も私じゃなきゃ倒せないんだよ」
「いや、聖隷石を使ってみるという意見には俺も賛成だ。連中が切り札みたいに持っていたことやブロキスが多用しなかったところから察するにあまり連続で使えないものなのかもしれん。今のうちに一度使って性能を確かめておくべきだ。なるべく早いほうがいい」
「確かに」
「うーん」
心配そうなリオンだったが最終的には折れてジウに戻ることを承諾した。
敵の狙いはあくまでもリオンなのだからリオンにしか倒せない敵が出てくるまで安全なところにいるというのは理に適っている。
オタルバ、ラグ・レ、シュビナも帰り、ロブもオタルバに諭され里帰りすることになった。
この六日後、大賢老が殺害されジウも滅びることになるとはまだ誰も懸念すら抱いていなかった。




