ひとりじゃない 9
信教ラーヴァリエ自治領アシュバル。
リオンたちがいるウェードミット諸島のちょうど裏側に位置する小さな島国である。
アシュバルは単一民族国家でありその外見的特徴は黒髪黒目であることだ。
そして他の国々に比べても不思議な力を持つ者が異様に多いという特性があった。
首都ミヌワに集められたのは魔法使い達だった。
信教軍に囲まれたアシュバル人たちはこれから起こることを予見していた。
地べたに座して待つ一同の前に漆黒の鎧を纏った醜悪な容貌の男が現れる。
ザニエ・ブロキスだ。
人々は歯噛みして悲痛な目を向けた。
アシュバルの魔法使い達はブロキスやリオン、ジウのように気脈を辿って遠くの魔力を見ることが出来るほど力はないがそれでも最近の異変には気づいていた。
蛇神の復活が近くブロキスが再びこの地に現れた。
それは呪いに打ち勝つことが出来なかったという証左だった。
「久しぶりだな翁社護。もう気づいているだろうが鄙に隠していた者どもは始末したぞ」
白髪と白髭の伸び切った、翁社護と呼ばれた老人はアシュバルの最高権力者の一人である。
二人に面識があるのは十余年前にブロキスがアシュバルを訪れているからだ。
当時アシュバルではラーヴァリエの同化政策に反乱を起こした勢力がおり、鎮圧のために召集された当時のラーヴァリエ同盟国の中に若きセイドラントの王子ブロキスがいた。
そして翁社護は傀儡政権側の人間であり協力者であった。
ブロキスの第一声にアシュバル人たちは小さく声を漏らした。
彼らが召集に応じてミヌワに参集するまでの間にブロキスは純血の子らを手にかけていたというのだ。
本来ならアシュバルには魔法使いの子供はいないことになっている。
同化政策によりアシュバル人同士の交配が禁じられていたためだ。
男の魔法使いは殆どが投獄され更生教育を受けている。
女の魔法使いはリオンの母と言われている女のように他国の者に嫁がされる。
だがアシュバル人たちは国の未来のためにと更生を免れた男女で密会し新たな命を育んでいた。
そのような手引きが出来るのはラーヴァリエに心から臣従していたと思われていた翁社護たち現自治政府の人間しかいなかった。
その希望をブロキスは摘んだ。
隠し立てしても魔力の気配を消すことが出来ない幼子を探し出すことなど容易なことだった。
兵士たちが幾つかの箱を持ってくる。
箱の中身など確認しなくても分かった。
一度反乱を企てたことのあるアシュバルに二度目はない。
自死を尊ぶ彼らには見せしめも兼ねた罰として公開処刑が妥当だろう。
ミヌワの民が心配そうに見守る中、兵士たちはいつでも彼らの脳天に振り下ろせるように槍を浮かせて立てている。
箱を悲しげに見つめていた翁社護がブロキスを睨んだ。
「ゼナよ。お主、再びラーヴァリエの走狗となったか。真名の誓約には抗えるだろうに、何故このような真似をしやる」
真名の誓約とはブロキスにかけられた一族の呪いだ。
ブロキスの祖先はアシュバルを追放された落人だった。
落人は、必ずやアシュバルに還り復讐すると誓ったが当代でそれを果たすことは出来なかった。
故に誕生した孫の名づけ親となった時、真名に呪いをかけて自身の決意を代々に引き継いだのだった。
それから時代を下る事十一代目がザニエ・ブロキスである。
ブロキスは親王ダルタニエの命でアシュバル侵攻を果たし、その呪いは消えたかに見えた。
だが記憶が受け継がれる過程で曖昧になっていった復讐の定義がブロキスを解放することはなかった。
初代の望みはアシュバルに還ることではなく、アシュバル人の殲滅なのかもしれない。
「蛇神が復活する。繋世の巫女で最後かと思われた封印がまた解かれようとしているのだ。翁社護よ、これが何を意味するか分かるか」
「…………」
「始めはこの国だけで完結した話だと聞いている。だが世界は繋がってしまった。死を与えるなどと、神代の時代でしか通用しない戯言が未だ繰り返される、この意味が分かるか」
「お主が何をしようとしているかは分かる。だが理解は出来ぬ。巫女は現れた。彼の者を助ければ世界は救われる。犠牲も出るだろうがそれはわずかじゃ。そうやって時代は巡っていくものだと、お主も分かっているだろうに」
「そう言って罪を後世になすりつけ続けた。その怠惰が、怯懦が、今を招いたのだ。もう全てを終わらせよう。神の残した呪いも、復讐の連鎖も。馬鹿げた使命を無に還す。その為に血を流すことになろうとも」
「我らが負う咎ではない!」
「それが咎だというのだ」
「この魔力は……やめろゼナ! 我らは……」
翁社護の言葉を待たずして禍々しい魔力が迸った。
兵士たちが槍を振るう必要はなかった。
それは地獄の光景だった。
ブロキスの見えない糸が魔法使いたちの首を絞めたのだ。
頸動脈と気管を塞がれた人々は声も上げられないままもがき絶命していく。
のたうち回る数十人の老若男女。
遠巻きに様子を伺っていた市井から悲鳴が上がる。
後には口から泡を吹きだらしなく天を仰ぐ累々の骸だけが残った。
「……北の方にまだ魔法使いが残っている気配がする。期日までに全て片付けて戻るぞ。抵抗するなら民も問答無用で殺せ。それが救いになる。ただし……痛めつけるなよ」
救いと聞いてラーヴァリエの兵士たちは喜んだ。
今までは生かして教義を教えてやることが自身の徳を高めると言われていたので効率が悪かった。
だが殺すなら簡単だ。
罪多き準二等国民どもを屠るだけで楽園が近くなるとなれば、こんなに素晴らしいことはない。
この日から一週間、アシュバルでは大虐殺が行われた。
自治領とはいえ自国民を手にかけたとしてラーヴァリエが世界を完全に敵に回すことになった蛮行である。
そして数少ない魔法使いの殆どがこの時に歴史から姿を消すことになった。
ブロキスの思惑どおり、似たような大事件が遠く離れた地でも同時に行われたのである。