ひとりじゃない 4
この使徒はエーリカだ。
そう思うとどうしても魔法を唱えることが出来ない。
再生しかけて上体を起こそうとする使徒に気づいたロブが槍を突き立てリオンが叫んだ。
「やめて!」
ロブは顔をしかめてリオンの方を向く。
蛇神の分身はロブを殺しリオンを連れ去るように命令されている。
やめろということはそうなるということだ。
敵がブロキスだけならまだしもラーヴァリエ教皇などがまだ残っている状態で再びリオンを一人敵地に行かせることなど出来るわけがなかった。
黒い炎雷の力を解放し使徒が立ち上がらないよう押さえつけることに専念するロブ。
このままでは埒が明かないがリオンをこれ以上頑なにさせるわけにもいかない。
膠着状態になったことにルビクは勝機を感じた。
横のサイラスと視線を交わす。
時間を稼がなくては。
反魔法をくらったサイラスの魔力が回復するまで奴らに気取られてはいけない。
反撃とばかりにルビクが不敵に笑う。
怪訝な顔をしたリオンの視線とルビクの視線が合わさる。
「気が付いたかいリオン、それはエーリカだ。でも不思議だね。君は他の使徒たちは残酷にも殺したのに、何故エーリカにだけは躊躇するんだい?」
ルビクの言葉にリオンは息を飲んだ。
確かにルビクの言う通りだ。
教皇に命令され当人たちに意思はなかったとはいえあの仮面の少女たちもブロキスからリオンを守るために立ちはだかってくれたのに。
考えてみれば何故自分は彼女たちには葛藤もなく浄化の力を使うことが出来たのだろう。
「ころ……してない! これは浄化の力だから……」
「聞こえの良い表現を使えば自分だけは潔白のままでいられるのかい?」
「黙れ! 耳を貸すなリオン。催眠はこいつの特技だろう」
ルビクに殺気を向けることは出来ても使徒がその隙をついて攻撃してこようとするのでロブはルビクを物理的に黙らせることが出来ない。
催眠魔法も薄くかけているだけなのでリオンの意識はしっかりと残っており、それが余計にリオンを苦しめた。
完全に催眠状態になれば夢うつつでいられたのに。
答えを自分で出してしまうということは最も残酷なことなのかもしれなかった。
「リオン、君はこう思っているんだろう。もしかしたらまだエーリカに意識があるんじゃないかって。それは君の願望だ。もしもそうなら人間の姿に戻せるかもしれないって? そうだといいね。でも、だとすると君が殺した彼女たちも……意識があったってことに、なるんじゃないかなあ」
「それは……でも、あの子たちは……」
「分かる、分かるよ。元から意識なんかなかったって? 確かに、彼女たちは聖堂で奉公するために一切の意思を神にお返しした尊い存在だった。なるほど、つまり君は意識のない人間なら殺してもいいっていうのか」
「そんなこと思ってない……ちがう、ちがうわ……」
「耳を貸すなリオン! くそ……」
「思ってないんだね。じゃあ、平等にあの使徒も殺すべきじゃないのかい? そうだよね? そういうことになる。君は優しいねえ。彼女たちの命をすぐに奪ったのは彼女たちがこれ以上苦しまないようにって配慮したからだろう? じゃあ、ほら、エーリカもあんなにも苦しんでいるよ。ロブ・ハーストに胸を切り裂かれて、押さえつけられて、ああ、ああ、とても苦しそうだ! 君は知っているよね? 治癒の魔法は傷を治すことは出来ても痛みを感じないわけじゃあ、ないんだよね……!」
「エーリカ! ロブ、もうやめて!」
「ロブ・ハースト。君はリオンが完全な催眠状態になったらエーリカを切り刻んで動けなくして、その隙を突いて僕を捕まえようとしているね? でも残念だったね。今、リオンの意識ははっきりしているよ。さあ、僕の言ってる意味は分かるね? 大人しくしているんだ」
「リオン! 使徒が元の姿に戻れる保証なんかない! アスカリヒトを倒せば元に戻るのか!? そんなのは賭けでしかない! 浄化を使うんだ。こいつに意識があるなら、苦しんでいるなら、より早く殺してやることがこいつへの一番の救いになる!」
「ほら、ロブも言っているよ。さあリオン、エーリカを殺しなよ!」
「出来ないよお!」
大声を出されてリオンは泣き崩れてしまった。
まだ実質十三歳の少女だ。
罪を、重荷を背負わせていたことに気づいてロブは絶句する。
ルビクが優しく微笑んで静かにリオンに囁いた。
「友達になったんだもんね。分かる。友達は殺せないよね」
「ルビク……」
「ジウには歳の近い子供がいなかったもんね。だから君はエーリカと仲良くなりたかった。エーリカは十七か八くらいだったはずだけど。でも大人ばかりのジウにはいなかった、初めて出来た同性同世代の友達だ。大事な友達になれたはずだった。そうだろう?」
「……うん。だからお願いルビク、もう……」
「シュビナは?」
「……え?」
「君、今、僕の言葉を肯定したよね。初めて出来た……友達? おかしいなあ。シュビナも友達じゃなかったっけ」
「…………!」
「あ、そっか。亜人だもんね。亜人なんか数に数えられないよね! となると、あはは、エーリカが初めての友達で合ってるね!」
「ち……ちがう!」
「無意識だった? 言葉のあや? でもね、人はそれを本心っていうんだよ? ははは、差別しちゃった! 世界を救う巫女様が差別しちゃったよ! 世界より友達を取って、友達も化物じゃなくて人間が良いって!」
梟の亜人の少女の悲しげな顔がリオンの脳裏によぎる。
大聖堂まで単身で救いに来てくれたシュビナに辛く当たってしまった、あの時の顔だ。
ルビクに指摘されるまでもなく自分はもうやらかしてしまっていたではないか。
自失するリオンから抵抗の意思が消えたのを感じたルビクが勝ち誇った。
「リオンは連れていくよロブ・ハースト。僕のほうが早い。僕の勝ちだ!」
駆け出したルビクがリオンに手を伸ばす。
サイラスからはまだ魔力が溜まった合図が成されていないがこの好機を逃すわけにはいかない。
リオンを連れ、ブロキスから賜った奥の手を使えばサイラスに頼ることなく戦線を離脱出来る。
胸元に左手をやったルビクは、しかし違和感を覚えて立ち止まった。
その僅かな瞬間が流れを変える。
死の感覚がルビクの全身を貫いた。
見ればロブが今までに見たこともない形相で怒りを露わにしていた。
槍の穂先が煌めくと使徒の手足が切り裂かれ、ルビクは宙を舞う自分の右腕を見た。
「え……?」
「これはいけませんね」
無言を貫いていたサイラスが行動を開始する。
徐々に溜まりつつあった魔力をひた隠してロブ達に気取られないようにしていたが空間転移一回分の魔力を宿すことは出来ていた。
ルビクを引き寄せるサイラスとリオンの前に躍り出るロブ。
そのままサイラスは使徒の元へと飛び退き縮地法を作動させた。
追い討ちをかけ槍を横に薙ぐロブ。
だが空間は間一髪で閉ざされてしまった。
後には使徒のまき散らした血から発火した穢れた炎が燻るのみだ。
程なくして他方に散らばっていたオタルバやラグ・レたちが合流した。
「リオン! 無事だったかい!?」
「おいロブ・ハーストよ、ラーヴァリエの魔法使いたちはどうした?」
「……逃げられた」
「なんだと!? お前ともあろう者がどうした」
「まあまあ、とりあえずは市民含めて全員無事みてえだし、追い返せただけでもいいじゃねえの」
「リオン、立てないのかい? 力を使い過ぎちまったのかねえ」
「いや……傷つけてしまったんだ。心を。俺が……半端なことをしてしまった」
「エーリカ……」
押し潰した無念を絞り出すロブを責めることなど誰も出来なかった。
リオンの呟きでだいたいの察しがついたからだ。
オタルバたちはトゥルグト、バンクリフ親子らと話し合い、邪神復活まで日がないものの出航を延期することにした。
半ば運命に追われるように己の定めを受け入れようとしていた少女はその日一言も喋ることはなかった。