ひとりじゃない 3
使徒。
それは蛇神アスカリヒトが遥か昔に捨て去った人間性の残滓である。
強靭な生命力と残酷さを併せ持つ怪物。
蛇のようにしなやかではないものの屈強な体躯に燃えるような体温と粘着性の高い穢れた血液を持ち合わせる性質はまさに邪神の分身であった。
使徒の次に異空間から出て来たのは涼やかな顔立ちの紳士だ。
空間転移の魔法使いである。
サイラスは両手を広げるとダンカレムの町の一角を思い浮かべて魔法を放った。
他の二か所にも使徒を出現させたのだ。
「失敗ですな」
「邪教徒に情けをかけた僕が間違いだったよ! 争いは望んでいなかったのに! 君のせいで大勢の人たちが無意味に死ぬことになった! 君は裁きを受けるがいい!」
ラグナの行為を挑発だと受け取ったルビクは怒り心頭だ。
呆然とする不良少年に巨大な影が覆いかぶさる。
見上げれば鋭い眼光を放つ恐ろしい蛇の目にしっかりと自分が映っているではないか。
その姿は亜人のようにも見えなくはないが、違うのは明らかにその眼には殺意以外の感情が宿っていないという点だった。
「ば……ばけもんじゃないか」
腰を抜かしそうになるラグナ。
だが尻餅をついている暇などない。
全身が逃げろと警告している。
反応が一瞬でも遅ければ命はなかっただろう。
蛇人間のほうへと飛ぶ。
今までいた場所に使徒の腕が振るわれ地面が穿たれた。
喧嘩の得意なラグナは恐れて後ろに退くことこそ最も自らを危険にさらす行為だとよく知っていた。
巨体の股の間を潜り抜け木材の立てかけられた壁際に逃げ込む。
追撃の手は止まらない。
薙ぎ払われて粉々になった木片が少年の頭上に降り注ぐ。
さながら追い詰められた鼠だ。
やってしまえとルビクが叫んだ。
空気を引き裂く叫び声があがる。
しかしそれはラグナのものではない。
蛇の肩に飛び移り鋭い爪を耳の空洞に突き立てた者がいたのだ。
豹の亜人、審判のオタルバだ。
「なんだと!?」
ルビクとサイラスは驚いた。
使徒が痛みの感情を見せるとは思わなかったからだ。
だが睨みつけた先にいる獣人の纏う魔力に気づく。
以前会った時よりも段違いに魔力が上がっていたのだ。
使徒は通常の攻撃では死なない。
異常な再生能力があるからだ。
だが魔法での攻撃なら別だ。
魔法の力を纏った爪で三半規管をやられた使徒は再生できずに地面をのたうち回った。
「オタルバ! この短期間でそれほどまでに魔力が上がるとは思えない。何をした!?」
「教えるわけがないだろう。あんたに教えてやれるのは人を騙した奴がどんな制裁を受けるのかってことさね、ルビク」
素性を隠してジウに入り、数か月も欺き続け、しまいには自分に催眠をかけたことをオタルバは今でも根に持っていた。
鼻に皺をよせ牙を向きだし威嚇するオタルバの気迫に気圧されるルビク。
身の危険を感じたルビクが目線でサイラスに合図を送ると再び空間が歪んだ。
二人は何処かへ転移してしまい、オタルバの爪は虚しく空を切った。
「逃げられたか……でもまあ、連中の目的はリオンだ。まだどこかに隠れているんだろうね」
「お、オタルバ。助かったぜ」
「あんたにゃ計画は話してなかったはずだよ。盗み聞きしてたね?」
「言ったろ? 俺だって役に立ちてえんだよ!」
「生意気言ってんじゃないよ! 本当ならあんたを守ってやる義理なんかないけどね、奴らに顔を覚えられちまったかもしれないからとりあえずあたしと一緒にいな! ……ん?」
「な、なんだよ」
「あんたその魔力……どうしたんだい」
「え?」
困惑するラグナ以上にオタルバが困惑していた。
少し前までは少年に感じなかったはずの魔力が感じられるのだ。
確認しようとするも使徒が再生を終え立ち上がってしまう。
オタルバはやれやれと嘆息しラグナの前に立って拳を構えた。
強大な力を持つ使徒たちはその異形ゆえに緒戦こそ優勢かと思われたが瞬く間に崩れ始めた。
各地に散った鞘の巫女の従者たちが力を合わせてこれを抑えたからだ。
既に民間人は退避させているため心置きなく戦うことが出来るという点が大きい。
勝敗はすでに決していた。
港にほど近い場所ではオタルバが善戦し、離れた市街地ではダグとビビが突如として現れた怪異を迎え撃つ。
この二人は魔力がないもののダグが爆薬や銃で使徒の動きを止め、ビビが素早く舞って手足の腱を削ぎ落し堅実に使徒の機動力を奪った。
一方で大通りではラグ・レが蛇の目を射抜いて応戦していた。
だが詰めの一手が足りなかった。
そこでリオンの出番である。
ロブに警護されながらリオンは邪悪な魔力の元へ走った。
まずは一番近いオタルバの場所だ。
リオンが浄化の反魔法を唱えると光に包まれた使徒は一瞬だけ元の少女の姿となってから消滅していった。
かくしてリオンは三方の使徒を討ち果たした。
いつかは隙が出来るだろうと様子を窺っていたルビクたちにとってリオンたちの連携はあまりにも完成されており全くの誤算だった。
リオンも完全に力を使いこなしている。
歯噛みしているとリオンが振り向き、目が合った。
「しまった!? サイラ……」
魔力を消していたはずなのに居場所を捉えられルビクは度肝を抜かれた。
だがリオンにとっては彼らを見つけることは造作もないことだった。
魔力を消すという事は気脈に不自然な穴が生じるということだ。
リオンが指を差し、ロブが槍を構えて悠然と向かってくる。
「サイラス! 早くしろ!」
「ルビク様申し訳ありません、転移が発動しません!?」
わけがわからないと言った顔でサイラスが必死に空間転移を唱える。
だが一向に発動する気配がない。
それもそのはずだった。
リオンが反魔法でサイラスの魔力を打ち消してしまったのだから。
「くそっ、逃げるぞサイラス! 隠れてもう一度魔力の再生に努めるんだ!」
「そうはさせんぞ」
ロブが捕縛せんと走り出した時だった。
巨大な影がロブを襲った。
当然、近くにいると知っていたロブは四体目の使徒の攻撃を躱し逆に一撃を放つ。
使徒の胸が大きく切り裂かれ迸った血が炎を伴って地面を燃やした。
「リオン! 今だ!」
ロブが叫ぶ。
リオンは反魔法を唱えるために使徒の魔力を探った。
だがリオンの手が止まってしまう。
一体一体を倒していく過程でどんどん積み重なっていった憶測が確信に変わってしまったのだ。
「気が付いたかい、リオン? 無慈悲にも次々に殺していくから気づいていないのかと思ってたよ」
「リオン、どうした!?」
「ごめんロブ……わたし、出来ない……!」
目の前の怪物に治癒の魔法使いの魔力を感じたリオンは手が震え、どうしても反魔法を唱えることが出来なかった。