ひとりじゃない
――リオン。リオン……。
呼びかける声が聞こえる。
暗闇、ここは夢の中だ。
声はすれども姿は見えない。
しかしそれが誰なのかは分かっていた。
「ルビク」
「ああ、良かった。僕の催眠魔法はまだ君の中に残っていたんだね」
「すっかり忘れていたわ。消しておかなきゃ」
「待ちなよ。それが巫女の力かい? やっぱり、巫女って本当にいるんだね」
実に久しぶりのルビクの声。
リオンを攫うために素性を隠してジウに潜入し、オタルバを傷つけ、到底理解できない価値観をぶつけてきた青年はどこか寂しそうに呟いた。
リオンが巫女になったことよりも信じたくないのは巫女の存在そのもののほうらしい。
今までは信仰する唯一神に似た蛇神アスカリヒトを滅ぼすことが出来る有用な存在として認識していた巫女が途端に最大の敵となってしまったのだから無理もないのかもしれなかった。
「なによ今まで音沙汰なかったくせに。何のようなわけ?」
「ごめんよ。言い訳になってしまうけど、自分に罪を償わせていたんだ。偉大なる主のことを愚かしくも偽りの蛇神だと思い込んでいたことの罪をね。それでも間にあった。これは主の思し召しに違いない」
「間に合った? なにが」
「君は今ダンカレムにいるんだろう? 昨日着いたことは知っている。でもそこは以前の船の上なのかな。町には降りないのかい?」
記憶の一部が繋がっていることで居場所が筒抜けになっていることをリオンは思い出した。
先ほどまでヘジンボサムらと晩餐をしていたが寝るのは危機管理を徹底するために沖に泊めたウィリーの船の上だった。
でもそんなことはルビクには関係のないことだ。
探りを入れられているようでリオンは不愉快になった。
「ねえルビク。はっきり答えないならもう話すことなんかないわよ」
「じゃあ本題に入ろうか。実はね、もうすぐ君を迎えに行けそうなんだよ」
「むか? 何言ってるのよ。あなたたちは私にそっちに行かれたら不味いんじゃないの?」
「君が偉大なる主に抗うままならね。でも僕は知っている。君は周りの邪教徒に洗脳されているだけだから、本当は分かり合えるはずなんだ」
「私、洗脳なんかされてない」
「大丈夫。今から使徒を連れて君を迎えに行くから。だから抵抗しないって約束して欲しいんだ」
「使徒?」
「知っているはずだよ。偉大なる主の化身のことさ。エーリカも昇華した。なんであいつらごときがって感じだけどね」
リオンは理解した。
使徒とは教皇の傍仕えをしていた少女がアスカリヒトの炎に焼かれて変貌した化物のことだ。
そして治癒の魔法使い・エーリカも。
思い出して目頭が熱くなるリオンの心の動揺を感じたルビクの魔力が高まった。
「使徒の力は絶大だ。抗おうとすれば君の周りがどうなるか分からないよ。君はまた仲間を失いたいのかい?」
「いや。いやよそんなの」
「だったら素直に僕に従うんだ。余計な手間をかけさせなければ君の仲間たちを準二等国民にしてもいいって教皇様も言っている」
「なによ、それ」
「嬉しいだろ? 邪教徒として死ぬのと準二等国民として死ぬのじゃ大違いだ。もしかしたら来世は二等国民になれるかもしれないんだからね」
「ルビク、あなたの言っていることが全く理解できない」
「君は本当に強情だな。分かっているくせに。いいからオタルバとか、あの覆面の魔法使いとかと離れて一人だけになる時間を作るんだ。そうすれば全てが上手くいく。明日の昼まで待つよ。君が賢い選択をすることを願っている」
「そう。教えてくれてありがとう、ルビク。でも私はあなたの所になんか死んでも行かないわ。あなたこそ目を覚ましなさいよ」
僅かな苛立ちを残しつつルビクの気配が消えた。
目を覚ますと無機質な船室の天井が見えた。
隣ではオタルバが平和な寝息を立てており、その向こうではラグ・レが座ったまま寝ている。
心を介した魔法だった故かオタルバでさえルビクの魔力を察知できなかったということか。
リオンはオタルバの胸部に顔を埋めながら耳を触った。
干し藁のような良い香りがして、耳は触り心地が良くて安心する。
船室は他にもあるが護衛も兼ねて女性陣は一緒の部屋に寝泊まりするという選択は正解だった。
リオンは大きく深呼吸をして嫌な夢を振り払うとオタルバの頬をわしゃわしゃと擦った。
「オタルバ、起きて! ラグ・レ、みんなーっ!」
リオンは皆を叩き起こすと夢の内容を伝えた。
戦力を削げるので敵から来るのはありがたいことだとロブが淡々と呟く。
いくら邪神の化身が強くても浄化の力を発動する時間さえ稼げれば敵なしだ。
ただリオンには、その僅かな間でどれだけの人が犠牲になるか分からないことが不安だった。
それに使徒の中にはもしかしたらエーリカもいるかもしれない。
魔力を活動源にしている相手には即死の効果があるともとれる浄化の魔法を彼女に使うのはどうしても憚られた。
ルビクたちもそれを知っていて使徒となったエーリカを連れてくるに違いない。
戦う覚悟が出来ていたとばかり思っていたのに心は簡単に揺らいでしまうものなのだった。