時が満ちる前に
これは上下編の下のほうです。
上編の1話目はこちらです↓
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葡萄酒の揺れる杯に水銀と毒を注ぎ、男は静かに飲み干した。
それは十年以上も続く男の日課だった。
日除け幕を下ろした薄暗い部屋の中。
床に転がした杯が荘厳華美なる絨毯に沈み重たい音を立てた。
男は醜悪な容貌をしていた。
頬や下瞼が弛んで深い皺となり、皮膚は青みがかった灰色をしていた。
黒髪の上に乗った王冠だけが光沢を放ち、残る衣装は漆黒。
禍々しくねじれた山羊の角を肩当てにあしらった外套はまるで死神のようだった。
男は深く息を吐きながら目を閉じる。
臓腑の奥底から煮えたぎる汚泥のような不快感が全身を包む。
しかし男が眉根を寄せたのはその為ではない。
仄暗い部屋の中に在りながら、強い、強い光の気配をその身に感じるからだった。
まだ時は熟していない。
だがそろそろ行動を開始する時だ。
有象無象に水を差される前に真の目的を果たそう。
その結果がたとえ世界を滅ぼすことになろうとも。
男はゆっくりと面を上げた。
決意をもって開かれた瞳には荒々しい激情が溢れていた。