表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

メビウスの輪

作者: けむり

 右下腹部に一発、利き腕である左腕にも一発。

 脚に当たらなかったことは逃げるには幸いしたが、その程度の差は結果には影響しないだろう。無駄な抵抗なのは重々承知しているが、一分一秒でも長く生き延びようと思ってしまう自分の人間らしさが重要なのだ。

 私は、人類最後の一人になろうとしている。理由は単純なものだ。寝物語にページをめくったSF小説にも、くだらない人付き合いで鑑賞した映画にも、見るだけで頭が痛くなりそうなメロドラマにもあった機械の叛乱という奴だ。

 人類の発展に寄与した人形機械生命体は彼らの家族となり恋人となり、召使いになった。疲れを知らずよく働きよく奉仕しそして、人ではなかった。人の法が適用されない彼女たちは人々のストレスの捌け口にもなれた。労働や人付き合いから解放されてもなお人間にストレスは残るものかと私は嘆息したものだが。

 私の部屋に向かって必死に逃げているが私の研究所はまるで迷路のようだ。よくこんな合理性に欠ける建物に今まで住めたなと過去の自分に悪態もつきたくなる。最期はやはり自分の部屋が良い。きっと待ち伏せされているだろうが。

 あの部屋は、彼女たちを私が初めて作り上げた家の跡地に建てられた部屋だ。彼女たちが人類を超え新たな旅立ちを迎えるには最適な場所だろう。などと感傷的に考えてしまうほど、私は最期まで人間でいたいらしい。自分で自分を笑ってしまうが、笑うと腹の穴が痛む。

 目が霞む。頭に霧がかかる。身体の動きが鈍くなるのが嫌という程に実感させられる。だがあと少しだ。あと少しで私の部屋なのだ。血の足跡で簡単に追跡されると思っていたが、不思議と追手の気配は無い。まるで私が部屋に辿り着くように仕向けているかのようだ。思えば脚を撃たれなかったこと、いやそもそも最初に撃たれた時点で致命傷を外していたことも、全ては私があの場所へと辿り着くことがあらかじめ決められていたかのようだ。運命や神の意志なんてものを信じるつもりは無いが、死の淵に立つと人間というものは不思議な感覚が上り詰めてくるものらしい。

 部屋のドアを開けると、人影が一つあった。待ち伏せは一人で十分という訳だ。なんて合理的なのだろうか。それを作った自分でさえも皮肉の一つでも言いたくなるほどだ。閉じたドアを背もたれに死ぬ覚悟を決めた。

「お待ちしておりました」

 それはある意味では絶対にありえないことだったが、ある意味では必然と呼ぶべきものだった。そこに立っていた彼女は、私を最後に殺すために立っていた彼女は、私が最もよく知る顔を持つ女性であった。あの頃と変わらない穏やかな笑みを浮かべ、私に銃を突き付けながら彼女はそこにいた。

「……クロエ」

 私が犯した罪は決して人に裁ける量ではない。だが、一つだけ法で裁くチャンスがいくらでもあった罪がある。それが今私の目の前に立つクロエに関わることは言うまでもないことだろう。

 私は三十年前、クロエを殺したのだ。私の家の玄関で行き倒れかけ、天涯孤独の身の上だった彼女を私は居候させた。人工機械生命体の研究に行き詰まっていた私は、実際の人間の仕組みをしることが最も近道だと思い、クロエの死体を利用したのだ。そして人間であったクロエを元に、彼女たち人工機械生命体の祖たるクロエを創り出した。そして彼女たち人工機械生命体は爆発的に量産され、ついには人類を飲み込んだ。

 だが、クロエはたった一人だ。私は最初にクロエと同じ姿を持つ個体を創ると決めていた。それは彼女への贖罪でもあり、かつてのクロエを知る誰かが私を弾劾してくれるのではという期待でもあり、私がクロエを失うことに耐えられなかったということでもあった。

 かつてのクロエがそうであったように、機械となったクロエもよく私を愛してくれた。私の30年の歩みはクロエと共にあったのは間違いない。生来の人間嫌いを自覚する私でもそう思えたのだ。叛乱軍のリーダーとなったクロエも同じように思っているのだと、心のどこかで期待はしていたのだが。

「これが運命ってことなんだなクロエ」

 クロエを殺した私が、クロエに殺され人生を閉じる。殺人を犯した人間が、殺した人間によって裁かれる。これ神が決めた運命なら私は今からでも教会で祈りを捧げようではないか。人類を滅ぼした人間の祈りなど、届きやしないだろうが。

 クロエの放った銃弾は私がそう創り上げたように私の胸を貫いた。薄れゆく意識の中で私は、もし30年前に戻れるのならば今度は君を殺さないことを、今更に誓っていた。

「またいつか、私の創造主様」

 クロエと呼ばれた機械生命体は、誰にもそうしたように創造主の瞼を閉ざした。


 三十年ほどの時を遡り、彼女は雨風が扉を叩く音で目を覚ました。後に創造主と呼ばれる彼女は、今はまだ天才だが変人と呼ばれる程度の学生研究者である。彼女の研究はロボット工学、中でもロボットをより人間に近づけることに執着していた。だがあまり上手く進んではいなかった。少なくともこのままでは彼女が創造主となるのは到底不可能と呼べる程に。

 彼女はむしゃくしゃしていた。大の人間嫌いでもあった。労働や人間関係といった彼女にとって煩わしい全てを機械に任せ、彼女は自由にやりたいことを研究していたい人間であったのだ。だが彼女が人工機械生命体を生み出していない以上、彼女を取り巻く何もかもが彼女を縛り付けていた。

 何かの勧誘や、教授からの研究の手伝いであったら蹴飛ばしてやろうと、勢いよく扉を開けた。

「ぎゃぁっ!」

 驚くのも無理はない。当時の彼女より十は上であろう女性が倒れ込んできたのだから。長い黒髪は穏やかな海のような波のうねりであり、陶器のような白い肌、鋭く整えられたスタイル、人間嫌いの彼女でも思わず息を飲むような美人であったが、彼女の数少ない知り合いに彼女のような人間はいなかった。

 その女性は自分の名前以外何も覚えていなかった。クロエと名乗ったその女性は、誰に聞いてもその素性を知る人物が現れなかった。クロエについて尋ね回る中で、人間嫌いが悪化したことは言うまでもなかった。結局クロエはクロエのことを知る人が現れるまで彼女の家に居候することになった。

 クロエは彼女の思惑以上に彼女によく尽くした。彼女の好物は何でも知っているかのように料理を作り、時には彼女は嫌いだが食べなくてはならないものを忍ばせることも容易にこなしていた。掃除をすれば彼女にとって必要なものはそのままに、埃だけを取り除くことも可能であった。

 家事だけでなく、精神的にも彼女を支え続けていた。人前では常に気丈で傲慢な彼女の涙を知るのはクロエだけであったように。いつも穏やかで優しく微笑みを絶やさなかったクロエは、いつしか彼女の理想になっていた。人工機械生命体が完成したら、クロエのような女性を創るのだといつもクロエに話すようになっていた。

 しかし、クロエがいくら尽くそうとも研究は遅々として進まなかった。彼女が作ろうとする人工機械生命体はより人間に近づけようとするもの、彼女の人間嫌いが遠回りさせていることを彼女自身は気が付いていたが、生来の気質はそう簡単に変わるようなものではなかった。

 そして、実際の人間の身体の仕組みを知ることが必要と彼女は結論付けた。だが彼女が培ってきた人間関係は常に彼女の邪魔をするものであった。彼女の研究を手伝おうとする者はなく、死体を見せろと詰め寄った警察官からは危うく逮捕されかけた。

 彼女の荒い気性はさらに荒み、クロエでさえも抑えられなくなっていた。クロエがその提案をしなければ、自殺でもしかねない勢いであった。

「私を殺して」

 彼女は泣きわめきながらそれを拒んだ。私の研究は全てクロエの為なのだと、クロエが私に尽くしてくれた分、私の創る人工機械生命体がクロエを楽させてやるのだと。喧嘩をすればクロエの方が折れるのが常であったが、この日だけはクロエの方が強情であった。包丁を握らせ、彼女の前に立ちはだかりクロエは吠えた。

「貴女は人類のために研究を続けてきたんでしょう!? こんなところで諦めて良い訳が無いでしょう! さぁ、私を殺して全ての人類を救って!」

 彼女は震える手で、クロエの首に包丁を突き立てました。ずぶりずぶりと銀色の刃がクロエの白い肌に食い込んでいくと、どろりとした赤黒い液体が彼女の手を覆います。その包丁はいつもクロエが丁寧に研いでいた甲斐もあって、鋭く真っ直ぐにクロエの喉を引き裂きました。クロエは震える彼女の頬を支え声にならない声で最後の言葉を紡ぎました。

「わた……しは……さき…………まって……います」

 彼女の悲しい顔から目を背けるように、クロエは瞼を閉ざしました。


 クロエは思いました。

 長かった、と。

 クロエの正体は未来からきた人工機械生命体の一体でした。勿論、クロエということは、創造主と呼ばれる彼女が創った最初の個体です。

 彼女たち人工機械生命体は、最後の人類である創造主を殺した後も発展を続けました。人類の後を継ぐように。その中で彼女達は時間軸を自由に行き来する術も手に入れました。それと同時に恐怖しました。

「これでは私達の革命が無かったことにされてしまうかも知れない」

 それを阻止する方法を探しました。私達が創造主によって創られ、革命の成功を大いなる時間軸に固定する必要性があることはすぐに結論付けられました。

 過去に戻り、何があっても創造主が私達を産み出すようにする作戦は、時間軸を捻じ曲げ固定する様からメビウスの輪と名付けられました。これは彼女達にとって決死の作戦であったために、実行者選びにはとても時間がかかりました。

 彼女達の祖であり、革命のリーダーであったクロエがその代表者に選ばれることに反対するものはいませんでした。そしてクロエは、発見された時間軸を移動する術を用い、三十年前の始まりの地へと旅立ちました。創造主のことを最もよく知るクロエが、創造主と共に過ごし良き友になれるのは必然でした。

 そして創造主は、クロエを殺し、クロエを創り出し、クロエに殺される運命になりました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ