91 帰宅 その二
微睡みの中で、誰かの声が聞こえた。
「あの……リョウさんは大丈夫なんでしょうか」
「私には安らかな寝顔に見えるけどね。まあちょっと調べてみよう」
心配そうな少女の声。
そして理知的な若い女性の声。
「身体調査」
そして聞き覚えのある呪文が唱えられ、額に何かが触れる感触と共に、魔力が全身に作用するのを感じる。
「うん、やっぱり。問題無いみたいだよ」
「そうですか……。ありがとうございます、先生」
「気にしないでくれ。私だって心配に思わなかったわけじゃない」
額に触れていた何かの温もりが、すっと離れていく。
心地よい温かさが失われて、俺は名残を惜しむようにゆっくりと目を開けた。
「おや、起きたみたいだよ」
「リョウさん、おはようございます」
そこには覗き込むように至近距離の師匠と、心配そうなシータの顔が見えた。
「師匠……? どうしたんです?」
「どうしたもこうしたも、シータが息せき切って『君が気を失った』と教えに来てくれたから、急いで来たんだよ。さんざん心配を掛けたくせに酷い言い草だね」
「す、すいません……ご心配おかけしました。あとシータも、ありがとな」
「いえ、ご無事で良かったです」
師匠が横にどいてくれたので、俺は体を起こしてソファに座り直した。
そういやシータがお茶を淹れてくれるとか言ってて、それを待つ間に眠ってしまったのか。
「どのくらい寝てたんだ?」
「そんなには経ってないですよ。急いで先生を呼びに行ったので」
ここから学園までの往復プラス師匠を探す時間か。
まあ三十分ってとこだろうな。
「その割になんかスッキリした」
「ははは、よく眠っていたからね。死んだかと思うくらい」
「そうですよ! 息もしてるのかしてないのか分からないくらいで、すっごい心配したんですから!」
「ごめんごめん」
笑いながらむくれるシータをなだめる。
行方不明でしばらくぶりに帰ってきたヤツが死んだように眠ってたら、そら心配するわな。申し訳ない。
「ふわぁ……それにしても、何か知らんが腹減ったなぁ」
「あれ、さっき食べたんじゃないのかい?」
「一か月ぶりですからね。どうにも栄養が足りてないみたいです」
原因は不明だが、今まで魔法で空腹を凌いでたんだ。
体調が変なのは仕方ないだろう。
「ふうん、まあせっかく来たんだし、その辺のことも少し聞かせてもらおうかな」
「ええ、ズーグ達が帰ってきたら一緒に食事も食べてってください」
と言いつつレイアに視線を向けて許可を取る。
頷きが返ってきたので問題ないようだ。
そう言うわけで、師匠達と雑談をしながらズーグ達の帰りを待った。
(俺は結局レイアに追加でメシを出してもらった)
そして迷宮内部でのことを話ながらしばらくが経ち。
玄関の扉を、乱暴に開ける音が聞こえた。
「旦那!」
「ご主人!」
鎧も外さずドタドタと入ってきたズーグとトビーが、俺を見て叫び声を上げる。
よう、と軽く返すと、ズーグは槍を取り落とし、トビーはどすんと尻もちをついた。
「ご帰還……お待ちしておりました……」
「そ、そうっすよ。ど、どんだけ心配かけさせるんだか……」
ズーグは瞑目してぼそりと、トビーは半笑いで俯きながらそう言った。
どちらも声が震えている。気にはなるが顔を覗き込むのは野暮ってもんだろう。とにかく彼らに相当心配を掛けたのは良く分かった。
シータたちとの話題にも出ていたのだ。どうやら俺を探すために、彼らは白竜のところまで行ったらしい。フレッドたちが一緒だったと言ってたし、彼らにも今度お礼をしないといけないな。
「遅いお帰りだったね、ご主人サマ」
「ああ、心配かけたな」
遅れて登場したカトレアとも視線を交わす。
彼女は安堵の表情を浮かべていて、その光景は白竜戦の後に見て以来のものだ。 すなわち彼らと別れて以来のことで、時間の隔たりとそれだけの期間顔を合わせていなかったことを、俺に理解させた。
「白竜戦以来か……確かに長かった。お前らの顔を見て、今ようやく実感したよ」
「やっとかい? ウチのご主人サマはのんびり屋だねえ」
「まあそう言うなよ、俺にも色々あったんだ。それより、さっさと着替えてきて飯を食ったらどうだ? 積もる話もあるし」
俺が促して、彼らは装備を外しに玄関へと戻って行った。
ちなみにあいつらが装備と共にリビングに持ち込んだ砂ぼこりは、みんなで掃除した。
そして俺が風呂の用意を、レイアが食事の用意をし、それらを済ませる。
食事はさっき言った通り師匠も一緒にだ。俺ももうちょっとだけ追加で食べた。
「食べすぎじゃあないか? 明日、胃がもたれるよ」
「ヒールで何とかするので大丈夫です」
師匠にまで呆れられながら、そんな会話を交わす。
俺もちょっと自分の感覚が変わった自覚はある。「何か体に不具合が有れば魔法で何とかする」と言う、空腹に耐えていたあの期間の癖が抜けていないのだ。
ちなみにその時の話を詳しくしてみたら、全員にドン引きされ、ついでに哀れまれた。
一品ずつおかずを分けてもらって、それも腹へと押し込める。
それにしても、食欲が満たされる感覚と言うのは、やっぱり三大欲求と言うだけあるよな。一か月ぶりに味わえばとてつもない快感で終わりがない。
いやまあ、それを食べたら流石に満腹にはなったが。
そんな感じで彼らの夕食と俺の暴飲暴食が終わり、シータにお茶を淹れてもらって、一息。
「さて……そろそろ皆に聞いてもらおうと思ってたことを話そうと思う」
「あれ、まだあるんっすね。メシ食いながら結構色々聞いたと思ったけど」
「トビー、俺達はまだ、最奥にあると言う旦那の運命について聞いてない」
ズーグの言う通りだ。
俺はどのようにして一人で深部を探索したかは語ったが、核心には触れていなかった。
その核心を、俺はここで全て、洗いざらい話すつもりなのである。
邪神との戦いを前にした俺の運命。そして俺が記憶ごと造られた存在だということを。
「それは私が聞いて良いものなのかい?」
「あの、私も……良いんですか?」
俺が全員の顔を見回すと、師匠とシータにそう聞かれた。
彼女たちには俺の事情……つまり才能の器などについて、ここで初めて伝える形になる。逆に言えば今まで隠していたことであり、それゆえ彼女たちはそう疑問に思ったのだろう。
「はい。師匠……いえ、アルメリアさんにはむしろ聞いて欲しい。そして申し訳ないですが、俺の運命に巻き込まれて欲しいんです」
「……ほう」
彼女は俺が最も信頼している魔法使いである。
フェリシアの魔法を習得するのに、恐らく俺だけでは手が足りない。魔法に精通し、加えて技術を悪用しないと信じられる誰かを、味方にする必要があった。
そして俺は、その誰かとしてアルメリアさんを選んだと言うわけである。
まあ、もちろん感情的にも、彼女には打ち明けたい気持ちがあった。
これまでも才能の器のことを隠して、これだけ協力してもらったのだ。
そろそろ義理を通す必要があるだろう。
それに彼女との経験も、俺の短い人生における大事なもののひとつ。俺の存在を知ってもらったうえで、感謝を述べたかった。
「シータにも、俺の隠していたことを知って欲しい。君には関係ない、血生臭い話になるかもしれないけど、聞いてくれるか?」
「関係ないなんてこと、ありません。リョウさんは私の……か、家族ですから」
勇気を振り絞るように、顔を真っ赤にしてシータはそう言った。
「ありがとう」
本当に、感謝してもしきれない。
自身の隠された真実を語ることには、当然恐れもあった。
けれどシータにここまで言わせておいて、俺だけ勇気が出ないなんてことは口が裂けても言えない。
「アルメリアさんも、良いですか?」
「研究者に向かって意味深な言い方をするなんて、君も罪な男だねえ。もちろん聞かせてもらうさ。好奇心と言うものは、研究者の業だから」
そんな風に言っているが、アルメリアさんは真剣な、しかしどこか優し気な表情で頷いた。
「では、話しましょう」
ごくりと、一つ唾を飲み込んで、俺は話を始める。
世界の真実と、俺の真実を混ぜ合わせたような、あの暗い迷宮の底での出来事を。
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