90 帰宅 その一
時刻は昼頃。
探索者組合は予想通り閑散としていたが、意外にも受付前に幾人かの人影があった。
「リ、リョウさん?!」
マルティナさんがこちらに気付いて声を上げたので、それに手を上げて返す。
「どうも、ただいま戻りました」
「戻ったんですね! だ、大丈夫なんですか……?」
受付に近寄りながら声を掛けると、俺の風貌に気付いたのかいきなり心配されてしまった。
さっき兵士にも同じ反応を受けたが、まあ白竜戦から大分時間が経ってるし、服も鎧もボロボロだから然もありなんか。一応血痕とかは水で洗い流してるけど、鎧のへこみとか貫通痕とかは割と痛々しく見えるだろうしな。
ただまあ、客観的にどう見えようが俺自身はピンピンしているのである。
それを伝えると、彼女は安心したようにホッと息を付いた。
「そうですか……とにかく無事でよかったです」
「ええ、この通り。それより迷宮入り口の兵士にここに向かうよう言われたんですが……」
「え? あ、ああ、そうですね。白竜戦後の報告と関係者への情報共有をしていただきたいんですが……生存の確認もできましたので、ひとまず今日はお引き取りいただいて結構です」
どうやら俺がここに直接出向く必要があったのは、マルティナさん等の俺を知る人間が生存確認をするためだったようである。
報告自体は人を集めて時間を調整しないといけないので、少なくとも今日中は無理らしい。マルティナさん曰く、最低でも一両日は掛かるとのことだ。
「今日は戻ってゆっくりお休みになるのがよろしいでしょう。まずはリョウさんが無事に帰ってきたというだけで充分です。本当に……お疲れ様でした」
優しげな口調は、不在の間に掛けた心配の大きさを物語っているのだろう。
一か月以上も迷宮の奥で行方不明になっていたんだから、当然と言えば当然だが……言ったのがあのマルティナさんだからなあ。
はっきり言ってかなりびっくりした。困惑につい苦笑が浮かんでしまう。
「なんです?」
「いや……珍しく優しいな、と」
「いつも優しいでしょう、私は」
なにを言っとるんだこの人は。
……いや、これは彼女なりの諧謔なんだ、たぶん。
そうだよな? ちょっと耳が赤くなってるし間違いない。
とにかく、各所への連絡はマルティナさんにお任せだ。
俺は彼女に言われた通り一時帰宅である。
ところで帰る前に軽く状況を聞いてみると、俺の失踪による混乱はずいぶん前に収まっているらしい。これは使者のもたらした情報によるもので、関係者達は待ちの状況、ズーグたちも探索を再開しているとのことだ。
「ちなみに、そちらにいるのが使者の方々です」
おもむろに俺の左後ろを手で示し、マルティナさんがそう言った。
俺が最初受付に行って会話を始めた時に、さっと横にどいてくれた人達である。立ち去ったのかと思いきや後ろで待機していたようだ。使者ということなので、俺に何か話でもあるのかもしれない。
「どうも、気付きませんで。リョウと言います。ええっと、使者の方?」
「左様でございます。大地の精霊の使者として参りました、神鹿の末裔、鹿族の巫女アトラと申します」
振り返って自己紹介をすると、俺とは対照的に実に丁寧なお辞儀を見せながら、使者殿はそう名乗った。
その際に被っていたフードを取ったことで見えたのだが、名乗りの通り鹿の角らしきものが頭に生えている。袖口や裾のゆったりした服、色白で黒髪セミロング。まあ有り体に言って、和風な印象の少女であった。
「後ろに居るのは私の護衛、樹人族の戦士ホランドと言います」
紹介された後ろの人影もフードを取って頭を下げたので、俺も会釈を返した。
ホランドと言う名の彼は樹人族とのことだが、銀髪で柳葉のような耳を見るに、どうやらエルフのようである。この世界でエルフと言う名が通用するかは分からないが……まあそれはいいか。
「使者とのことですので、私の事情も知っておいででしょう。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
にっこりと互いに笑みを浮かべながら、俺たちは握手を交わす。
その後彼女からは、報告会の前に一度話をしたいとの提案があった。
大地の精霊からの情報と俺の情報で重複している部分を洗い出すためらしい。
確かにいざ集まってみて、一から全部話すのも無駄が多い。その擦り合わせに時間を取られるのも馬鹿らしいしな。関係者が集まるまでに時間があるのなら、済ませておくに越したことはないはずだ。
と言うわけで彼女たちとのミーティングは、俺の体調を見つつ明日の午後に行うことになった(場所は組合で会議室のような場所を貸りれることになった)。
「すみません、お引止めしてしまって」
「いえ、事は重大ですからね。良く協力して効率よく当たらないと」
「ええ、そうですね」
さすがに使者だけあって話が早い。
というか自分とは別の情報ソースのある人間と言うものは、これほど頼もしいものだったか。
そんな感想か浮かぶ。
邪神を話の中心に据えるなら、最も関りが深く核心に近いのはフェリシアである。そして次点が彼女自身に巻き込まれた俺だ。アーテリンデさんから情報を得た彼女たちは、その次くらいだろうか。
俺やフェリシアと比べると中心からは少し離れるかもしれないが、一から俺が説明し啓蒙しなくとも良いと言うだけでも段違いである。
まあ彼女たちがどのくらいの熱量、危機感をもってこの件に当たっているのかはまだわからないのだが。
ともかく。
フェリシアが迷宮から離れる時間は少ないほど良いだろうし、そもそも情報拡散の面ではまるで当てにならなさそうだった。アーテリンデさんも実働には向かないだろう。
そのため数日後に行う報告会では、しっかりと話をし、彼女たちのような「頼りになる」人間を増やさなければならないのだ。
俺は改めてそれを実感しながら、アトラたちとマルティナさんに別れを告げ、探索者ギルドを後にした。
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麗らかな日差しを受けながら、家路を行く。
商店の立ち並ぶ大通りを抜け、住宅地へと風景が移り変わる。
見慣れたはずの景色だが、幼少期に引っ越した街に戻ってきたような不思議な気持ちで、俺はそれを眺めていた。
迷宮を出た時もそうだったが、こんな感慨ばかり浮かぶ。これは与えられた記憶じゃなく、俺自身が蓄えてきた経験をそれとして再認識するためのプロセスなのだ。
しばらくは何をやってもこんな感じだろうが、特段悪い感覚じゃないのは幸いである。
そして俺は初めて来た街を歩くようにキョロキョロと視線を配りながら、足を進めて我が家へと辿り着いた。
「……ただいまー」
なんと声を掛けるかちょっと逡巡した後、できるだけこともなげに中に入る。
これもなんか、久しぶりかつ初めて帰省するような感じだな。自分の家なのに何故か遠慮と言うかなんというか。
と、そんなことを考えながら装備を外していると、背中側から声が掛かった。
「リョウさん!」
「旦那様! 」
声のした方に振り向けば、腹に衝撃。飛び込んで来たシータが、俺の腹にタックルをかますように抱き着いたのである。
「ホントに良かった……心配してたんです」
シータはそう言いながら涙ぐんだ。離すまいとするかのように、抱きしめる腕には目一杯力が込められている。少女の力で痛いと感じることなど無かったが、どれほど心配していたかが伝わってきて、俺の胸を締め付けた。
「ごめんな、心配かけて。長らく待たせたけど、こうして元気に帰ってきたよ」
「う、ううぅうー……」
俺の服に顔をうずめながら、唸るようにしてシータは泣いているようだった。
泣き声を上げまいとするさまがいじらしくて、俺は彼女の頭を優しく撫でた。
服はかなり汚いし臭いんじゃないかなと、ちょっと思ってしまったのは内緒である。
「よくぞご無事でお帰りくださいました」
「まあ、なんとかね。こっちは大丈夫だったか?」
シータを腹にくっつけたまま、レイアとも言葉を交わす。
「ええ、家内については問題なく。全体の状況はズーグさんたちから聞いていただければと思います」
「そうだな。あいつら今日も探索なんだろ?」
「はい。いつもと同じなら日暮れ前には戻ってくると思います。それで……それまでお休みになられますか?」
心配そうな表情でそう言われる。
これも装備と服のボロボロ具合が原因だろう。迷宮を出てから早くも三回目である。装備は外したけど、会う人みんなを心配させてるし、さっさと服も着替えた方が良さそうだ。
まあそれはそれとして、俺にはやるべきことがある。それは……。
「いや、まずはメシだな。しばらくメシ食ってなくて腹ペコなんだ。とりあえず俺は風呂入ってくるから、レイアは食事を用意しといてくれないか? ドロドロの病人食みたいなので頼む」
「わ、分かりました」
食事をしてないと聞いてレイアは驚いた様子だったが、俺を煩わせないように気を遣ってくれたのか質問は特になかった。
その後、腹のひっつき虫を優しく引き剥がして俺は風呂へと向かった。
そして体を洗い、湯船に身を沈めれば至福のひと時である。
「ふう……」
一か月ぶりだから大変な汚れが落ちると思ったが、さほどでもなかったのは意外だった。まああの時は寝たら空腹も収まるような不思議な状態だったしな。どうせフェリシアがなんかやったんだろうが、代謝とかが抑えられてたのかもしれない。
そうして考えごとをしながらしばらく風呂に浸かり、のぼせる前に風呂から上がる。
体を拭いて着替え、リビングに戻ればそこにはほの甘い匂いが立ち込めていた。
「ライネのお粥です。あとお野菜の塩漬けと、干し肉をお湯で戻したのを少し」
久方ぶりの食事の内容をレイアから教えられ、ごくりと生唾を飲み込む。
ライネは麦っぽい穀物で、蒸すとほんのりと香ばしくて甘い味がする。そのお粥に、塩味の強い野菜の浅漬けと干し肉というわけだ。なんの変哲も無い白米に沢庵みたいな組み合わせだが、味も容易に想像できて食欲をそそる。一か月の飢餓に耐えた今の俺にとってはより一層だ。
俺はリビングのソファに座り、シータと話をしながらお粥ができあがるのを待った。
聞けば彼女はこの一か月で初めての魔法行使に挑戦し、成功させたのだという。その時に喜びを共有できなかったのは残念だが、はにかみながら報告するシータが可愛かったのでよしとしよう。
そして彼女に簡単な魔法を使って見せてもらったり、それをレイアに叱られたりしつつ、しばしの時間が経ち。
俺は一か月ぶりの食事にありついた。
長い長い飢餓の果て、味わったメシの美味さと言うのは、正直想像を絶するものだった。
絶し過ぎて一杯目のお粥は食べた記憶が消滅したくらいである。
一瞬で空になった器を茫然と見つめていると、レイアがさっとおかわりを入れてくれたのは助かった。理不尽にも「もうねぇじゃねえか!」って感じでキレかけてたからな……。げに恐ろしきは食欲よ。
とにかく俺はレイアの優しさと手際に涙しながら二杯目もペロリと平らげ、ついでに三杯目もさらっと流し込み(お粥は飲み物)、四杯目も器を舐める勢いで食べ尽くして、ごちそうさまに至ったのである。
「……はあぁ、食った食った」
「お粗末様でした」
膨れた腹をポンポンと叩くと、レイアが苦笑を浮かべる。
「それで、この後はお休みになりますか? ズーグさん達が帰ってきたら起こしますよ」
「そうだな……それじゃあちょっと食休みしたら、部屋に行こうかな」
「じゃあ私、お茶淹れますね」
「では私は洗い物を」
やってもらってばっかりは気が引けるが、疲れているところを労わってくれるのは本当に助かる。
俺はソファに座ったまま、並んでキッチンに立つ二人の背中をぼんやりと眺めた。
なんと言うか、実家のような安心感がそこにはあった。
いや、俺にとってはまさしくここが我が家か。そしてそこに住む仲間たちは、俺の家族と言うわけだ。
家族……か。
彼女たちは、血のつながった家族じゃない。けれど共に生活をするならそんな関係性が良いなと常々思っていた。
奴隷を購入して家族にするなんて、傍から見たら馬鹿みたいな話かもしれないが……。自身の来歴を知った上で言えば、俺の判断は間違っていなかった。この場所が無ければ、帰ってきて迎えてくれる誰かが居なければ、俺は立ち上がれなかっただろう。
「良かった……帰ってきて。帰ってこれて……」
ソファに深く沈みこみながらそう呟く。
この家、そして仲間たちとの関係性は、俺が成してきたものだ。借り物のアイデンティティが行動原理にあったとしても、間違いなく俺の人生と言えるものだ。
それらを自覚するだけで、俺は救われた気分だった。
もう自分を薄っぺらいなんて……いやまあ少しは思うが、迷宮を出た時とは雲泥の差と言えるほど、俺は自分を取り戻せたと感じていた。
「ふぁあ……」
安堵で緊張の糸が切れ、睡魔がやって来た。
俺にとっては一か月振りの安心した眠気に、俺は抗うことが出来なかった。
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