86 エピソード・ゼロ(リョウ) その三
最奥の扉は、白竜の間に入る扉と似たようなつくりをしていた。
重厚な両開き、材質は恐らく迷宮壁と同じだが、彫刻で精緻な文様が描かれている。
文様の内容は読み取れない。白竜の間の入り口と似たような印象を受けるが、意味が分からなければ同じことだ。
「この奥が最奥……俺の目的地、ってことでいいんだよな?」
ウィスパーさんに問うと首肯が返ってくる。
そしてふわりと先に行き、扉に手を触れたウィスパーさんは、そこに溶け込むようにして扉の中に吸い込まれていった。
「えっ! ちょっ!」
驚いて声を上げたが、すぐに吸い込まれた箇所から細い腕がにゅっと突き出て、こちらを手招く。
扉の表面で空間が歪んでいるのか?
そこは柔らかい粘液のように、ウィスパーさんが手招くのに合わせてたぷたぷと揺れている。
「……この中に入れってことだな、よし」
この試練に連れ去られた時と同様に、恐らく転移での移動だ。
多少の躊躇はあったが、俺は意を決してそこに飛び込む。
……ウィスパーさんの腕にぶつかるようにして入ったはずなのに、感触は無い。
上下の感覚を失う暗い空間を経て、俺の足は迷宮の地面を踏みしめた。
視界が開ける。
目の前に現れた光景に対して、最初に受けた印象は「異様」だった。
ヒカリゴケの淡く緑がかった発光とは違う、薄紫の光源。
それに照らされて妖しく浮かび上がるのは……何らかの舞台、か?
そしてその奥には、つるりとした球体。真紅の水晶体が鎮座している。
それは白竜の体から生えたものなど比べ物にならない、血の色を凝縮したような、禍々しい色をしていた。
「ごきげんよう、待っていたわ」
その光景に目を奪われていた俺に、話しかけてくる声があった。
はっとそちらを向けば、そこには白い僧服の人影がある。フードを被っていて表情は読み取りづらいが、シルエットから女だと見て取れる。
しかしそうした特徴よりも目に付くのは、その女が宙に浮かんでいるところだろう。しかもうっすらと光を纏うその体は、半透明で向こう側が見通せる。加えて言えば、足が靄に包まれて見えない。
なんというべきか、彼女はいわゆる「幽霊」のイメージそのままの姿をしていた。
「ゴースト? ……いや、なんだこれ」
このところ戦闘続きで癖になっていたせいで、俺はこの時、失礼にもいきなり看破をしてしまった。
しかしそのことよりも、ステータス画面に表れた内容の方に、俺は絶句してしまう。
【ステータス画面】
名前:フェリシア・リンクス
年齢:――
性別:――
職業:――
スキル:――
なんなのだろうか、これは。
看破を取得して以降、こんな表示は見たことが無い。
隠蔽能力を持った敵も居たし、索敵魔法を使ってもステータス画面に表示されないヤツもいた。けれど看破を行って、まるで情報が表示されなかったことは一度も無かったはずだ。
「あら? 能力を使ったのね。でも残念だけど、それは私には効果が無いわよ」
困惑する俺に、ゴーストが再び話しかけてくる。
「……分かる、のか?」
「ええもちろん。貴方をここに呼んだのは私だもの。当然ね」
何が当然かは分からないが、向こうに俺の能力は筒抜けらしい。
……いや、違うな。
現実を見るべきだ。
最奥で、俺を待っていた人物。
それが幽霊だとて、俺の運命とやらを教えてくれる者であることに変わりはないはずだ。
であれば試練を与えたのも、数々の魔物をけしかけて俺を鍛えたのも彼女だろう。あの計算された魔物達との戦闘を考えれば、俺の能力を把握されていても不思議ではない。
驚きと、真実に近づいたことへの怖れでそこから目を背けてしまっていた。
だがここは覚悟を決めないといけないな。
俺は早鐘を打つ心臓の音を聞きながら、一つ息を吐いた。
「もう、いいかしら?」
「ああ悪い。ちょっと気が動転してたみたいだ」
「無理もないわね。ここに来るのは貴方にとっては重要なことでしょうし。それにこの祭壇の間は少し特殊な空間だから、落ち着かないのも仕方がないわ」
さっきから女幽霊の言葉には、ちょいちょい重要そうな情報が含まれている。
だがそれを逐一質問するのは無しだ。とっちらかった聞き方をしても、訳が分からなくなりそうだからな。
ここは順を追って話していくべきだろう。
「まず、あんたのことを聞いてもいいか? それと俺の自己紹介は必要か?」
「自己紹介は不要よ、知っているから。私の名前はフェリシア。まあ名前はさっき能力で確認したでしょうけど、元人間で今は霊体の……魔法の研究者よ」
言いながら、フェリシアは何かを捧げ持つように右手の手のひらを上に向ける。
そして「抽出」と呟く声が聞こえたかと思うと、その手の上に青白い炎が灯った。
その炎が一体何なのか。
俺にはすぐに理解ができた。
「神聖魔法か」
ここに至るまでさんざん使ってきたからな。流石に見ただけで分かる。
魔力を呼び水に、呪文名の通り超越存在からエネルギーを抽出したのだろう。
「あんたは神聖魔法の研究者なのか?」
「まあ、そうなるわね。私の時代ではその呼び名ではなかったけど」
私の時代……か。
霊体であると認めたことから、過去に死んだ人物であることは間違いないだろう。しかしこの言い方からすると、かなり昔の人のようだ。
「私は今で言う旧魔法文明期の人間よ。そして、今の時代の人間からは聖人と呼ばれているらしいわね」
「聖人? それは……神降ろしのか?」
神降ろしによる大悪魔の封印、そしてその代償に失われた命。
それがかつて師匠に聞いた、聖人にまつわる話だ。
俺の問いにフェリシアはこくりと頷く。
「マジかよ……」
ここにきて彼女が嘘を言っていると疑う訳では無いが、正直驚きは隠せない。
話が相当に大きくなってきた気がする。
何せ彼女は、運命だ試練だと意味深な言葉と共に辿り着いた、この迷宮の最奥で出会った人物なのだ。
俺の知るべき運命と大悪魔の封印とやらが、密接に関わって来るのは間違いないだろう。
「大正解。まあそれについてはまず、私が神降ろしをした当時の話からしないといけないわね。長い話になるけれど、いいかしら?」
俺が頷くと、彼女は手のひらの上に灯していた炎を消し、話し始めた。
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……旧魔法文明。
当時隆盛した魔法技術を背景に、栄華を極めた国があった。
そこでは日進月歩の魔法的技術革新が起こり、安全で豊かな生活を人々は享受していた。
しかしある時、突如として世界に影が差し、瞬く間に世界を覆い尽くしたと言う。
それは比喩などではなく、まさしく影であったらしい。
日の光のほとんどが遮られ、得られる実りは減じ、反対に魔物が増加して人の生活圏を侵し始めた。
それから幸福の中にあった人の暮らしは、徐々に衰えていった。
人類は当初、その原因を知ることすらできなかった。
しかし影の差した世界でも人の営みは続いていた。
何年も、何年も。人は影の中で生まれ死に、少しずつ技術を発展させ知識を蓄えていったのだ。
旧魔法文明において、交信術と呼ばれる魔法があった。
これはある時観測された甚大なるエネルギー体……当時の研究者たちが「空に坐する虚神」と呼称したモノと交信し、エネルギーを抽出するための魔法であった。
つまりは、現代での神聖魔法のことだ。
この交信術(=神聖魔法)の研究者が、進めていた交信術式の研究を元に、世界に影が差した原因を突き止めたのである。
原因は、虚神と同等のエネルギー体によるもの。
しかし虚神とは違い、その存在の動きには意図があった。
人の営みを知り、それに欠かせない日の光を遮り、魔物によって人の生活圏を破壊しようと言う意図だ。
それはまぎれもなく悪意だった。
悪意を持つ神、邪なる神。
その存在を、交信術の研究者たちは邪神と呼称することにした。
そして原因を知った旧魔法文明の人々は、愚かにも邪神に戦いを挑んだのだ。
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「残念なことに、私たちは自分たちの力を疑っていなかった。術式をもって世界を解明してきた自負もあったし、邪神の影響下にあってさえ、日々魔法や魔道具の数は増えていたもの。多少増長するのは仕方のないことだったわ。……そしてその増長が、神への挑戦に拍車をかけた」
過去を語るフェリシアの横顔からは、寂しげな感情が見て取れた。
当時のことを後悔していたりするのだろうか。
「それで、そのあとは」
「無謀な行いの報いとして当然のように、私たちは邪神の勘気に触れることになったわ。そして……いとも容易く、滅ぼされた」
「滅ぼされた、のか。じゃあ、神降ろしは……」
俺の問いに、フェリシアが自嘲交じりの笑みを浮かべる。
「苦し紛れの一発、ってやつね。その結果は……邪神の封印と、封印を抑え込む迷宮の創造。成功するかも未知数だったし、使った後どうなるかもあまり分からないくらいだったから、大成功も良いところだったわ。まあ、博打に勝ったんだから、人類には天祐があったってことね。この場合の神は虚神だけど」
「……そういえば、俺は大悪魔を封印したって聞いていたんだが、違うのか?」
「ああ、それは邪神の第一の眷属のことよ。後世では邪神と混同して伝わったみたい。あいつは確か、神降ろしのついでに消し飛んだんだったかしら?同時に私の体も吹き飛んだから、ちょっとその辺、曖昧なのよね」
そう言ってくすくす笑うフェリシアだが、正直笑えない話だった。
「言っておくけど、体だけで済んだのは良い方なのよ? 実は神降ろしは私の他にもう一人、一緒に術を使った子が居たの。けれど彼女は魂ごと消し飛んだ。後には何も残ってないわ」
「それほどの術なのか……」
「まあ、跡形も無く消し飛んだのは、私に掛かる負担を一部肩代わりしたからだけどね。あのままだと共倒れになってたから、霊体だけでもどっちかが残って封印を守ろうって。あの子の使命感には、今でも畏敬の念に堪えないわ」
彼女の声色からは、彼女の代わりに死んだ人物への親しみや優しさ、尊敬がうかがい知れた。
それにしても、虚神に邪神か。話を聞く前にも思ったが壮大な感じになってきたな。
しかし同時に、不思議と面白いと感じている自分もいる。
それは恐らく謎が明らかになってきている感触があるからだろう。
彼女が俺をここに呼んだ理由は何だろうか。
推測するに、俺に邪神をどうにかさせる、あるいはどうにかする手伝いをさせると言うものではないだろうか。
それを問うと、
「察しが良いわね。正解よ」
おかしげな様子でそんな返事が返ってきた。
「あんまり正解したくなかったんだけどな。と言うか、邪神を倒せなんて言うんじゃないだろうな」
「まさか、神を斃そうなんて無謀な真似、一度だけでこりごりよ」
一度挑戦して文明ごと滅ぼされた人間の言葉には説得力がある。
自身ともう一人の術者を生贄に、得られた結果が討伐でなく封印でしかないことも、彼女がそう考える理由なのだろう。
「それじゃあ、俺にやらせようってのは?」
「邪神を……この世界から追い返すのよ」
「そんなことが可能なのか」
「虚神の力を十分に引き出せればね。エネルギーはこれまでコツコツ貯めてきたものもあるし、当てはもう一つあるわ。それらを束ね、改めて神降ろしで引き出したエネルギーとも合わせて、邪神を追い返す。これが大まかな計画よ。そして今回の神降ろしの術者……それが」
「俺ってことか」
フェリシアの言葉を継ぐように言うと、彼女はこくりと頷いた。
話の流れから薄々気づいてはいたが、神降ろしを俺が行うのか。
確かに技能レベル10に至り可能にはなっている。しかしそれは本当に大丈夫なのだろうかと、心配はあった。
なにせつい先ほど神降ろしの代償の話を聞いたところなのだ。
真実を知りたいとは思ったが、消滅したいとは全く思えない。
「不安は分かるけれど、心配は無用よ。貴方だけに責任を負わせたりしない。魔法は私が主導して一緒に行使するし、神降ろしの術式改良も十分に行ってきたわ。それに、神降ろしの本来の力を引き出すために、ここまで貴方の魂を鍛え上げる方法を取ってきたのだもの」
彼女の言葉を受けて、俺の中で「そう言うことだったのか」と、色々なことが腑に落ちていく。
「つまり、俺に才能の器が与えられたのは、神降ろしに耐えうる魂を鍛え上げるため。そして俺がこの世界に転移させられたのは……恐らく才能の器の適性が俺にあったとか、そういう理由だろ?」
俺の推測を聞き、フェリシアは深い笑みを浮かべた。
神降ろしに耐えうる魂の鍛錬。
鍛錬のための才能の器。
才能の器の適性者としての俺。
それが、俺が追い求めてきた真実。俺がこの世界に来た理由という訳か。
なぜ俺が? なぜこんな能力が? そうずっと思っていたが、ようやく得心がいった。これまでの日々は、邪神を追い返す人材を得るための、長い試練の旅だったのだ。
もちろん、これで解決、話は終わりってわけにはいかないだろう。なにせ俺が召喚され才能の器を与えられたのは、すべて邪神をこの世界から追い出すためだ。それが終わるまで、俺の「冒険」は終わりじゃない。
けれど、疑問が解消された。
次にやるべきことが明確になった。
それだけで、苦労してここに来た甲斐があったと言うものだろう。
そんな感慨に浸っていた俺だったが、目の前に佇むフェリシアの顔から、いつのまにか笑みが消えていることに気が付いた。
「どうした?」
「……一つ、いいかしら?」
俺の問いには問いかけが返ってきた。
そして俺がどうぞと続きを促す前に、彼女は次の句を続ける。
「貴方は今、転移と言ったけれど」
「あ、ああ」
「転移にも種類があるのよ。例えばアーテリンデが白竜の間から貴方を連れ出した時の転移は、相当にレベルの高い転移なの。彼女が大地の精霊だからできることね」
ウィスパーさんは名をアーテリンデと言い、大地の精霊であるらしい。
唐突な話題の転換だったが、これも知りたかったことの一つではあった。当初の俺ならばもっと詳しく聞きたいと思っただろう。
しかしそれよりも、俺は真面目な様子で語る彼女の言葉から、なぜか意識を離すことができなかった。
「貴方も使うことのできる理力魔法の転移。これは人間の扱えるレベルの転移ね。……そして貴方がさっき言った転移は、世界間移動、世界間転移と呼ばれるものよ。この転移は神にしか不可能とされている。」
「なるほど、じゃあ俺を召喚したのは神様ってことか」
神様に召喚されるなんて、どこかのライトなノベルそのものじゃないか。
そんな感想が脳裏をよぎり苦笑が浮かぶが、対するフェリシアの表情は堅いままだ。
「少し……言葉が足りなかったわね。世界間転移は、転移の為のエネルギーもその衝撃も『神レベル』だと、私は言ったの。人間に扱えるエネルギーじゃないし、神以外の存在が世界間転移をすれば、消滅するだけの結果になるでしょうね」
「そうは言っても、俺はここにいるんだが」
彼女の話は明らかに矛盾していた。
神にしか世界間転移を行使できない。
神しか世界間転移に耐えることができない。
そう説明されたところで、俺と言う存在がそれを否定しているのだ。
それとも俺が神だとでもいうのだろうか。
「貴方は……神と言うものを、どう考えているかしら?」
俺の質問をやはり無視して、再び質問が返ってきた。
俺を迎え、過去を語っていた時の彼女とはあまりに違う話し方だ。
疑問は募ったが、俺はその異様な様子に、余計な口を挟むことができなかった。
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