83 エピソード・ゼロ(ズーグ)
目の前に立つ少女は、大地の精霊の使者だと名乗った。
大地の精霊とは、名のごとくこの大地を司る精霊のことだ。
そしてこの精霊を祀る精霊信仰は、数ある獣人族の中でも鹿族において根強く残っていると聞いたことがある。まあ竜人との関わりは無かったため、あくまで伝聞ではあるが。
それを考えれば、少女の名乗りにおかしいはところはない。
ただ一つ「使者」という文言だけが異質だった。
もちろん、俺も流石にそこまでの鈍感ではない。
このタイミングで、このマイトリスに訪れ、俺たちに話しかけてきた「使者」と名乗る者だ。
白竜の言っていた使者だと考えて相違ないだろう。
「あの……いかがされましたか? 恐らく『器を持つ者』の関係者の方と思い、お声を掛けさせていただいたのですが」
「アトラ様、竜人殿は困惑しておられるのですよ。たぶんアトラ様がいきなり仰々しい口上を述べたせいでしょうね」
「ホランド、黙りなさい」
鹿族の巫女アトラにぴしゃりと言われ、ホランドと呼ばれた男は口をつぐんだ。
軽口を言うくらいには打ち解けた間柄のようだが、どうやら少女と男は主従のような関係らしい。
「申し訳ない、突然のことで呆けておりました」
「いえ、こちらこそ失礼いたしました。それで……」
「ええ、貴方の予想で間違いないでしょう。我らが主は門番より『器を持つ者』と呼ばれておりました。それに、門番より使者が訪れるとも聞いております」
向こうに合わせて堅い口調でそう返すと、少女は顔をほころばせる。
「それはようございました。私たちは、貴方がたに会いに来たのです」
「我々ですか? 主……リョウ・サイトウではなく?」
「リョウ様とおっしゃるのですね。……ええ、そのリョウ様ではなく貴方がたにです。では少し、私の受けた託宣についてお話いたしましょう」
そう言って彼女は、耳心地の良い声で説明を始めた。
彼女らがここに訪れる理由となった託宣の一節に曰く、
第三の迷宮において試練が執り行われる。
何人も器を持つ者の試練を妨げることなかれ。
試練を経て、器を持つ者は力を得る。
試練は我が元で行われ、終わる。
「そして『試練は滅びを導くものではない』……と」
「つまり貴方がたは試練の妨げを止めるためにここに?」
「それが目的の一つです。大地の精霊がそうせよとおっしゃられた訳ではありませんが、我が一族はそれが必要と判断しました。そしてこのホランドを護衛に私は森を出てこちらに伺った次第でございます」
そうしてやって来たマイトリスの、門の前で門番を出し抜くだの迷宮の奥へ向かうだの話している俺たちを見かけ、声を掛けたということか。
「ひとつ、聞いても良いっすか」
「なんでしょう」
トビーの質問の声を受け、アトラがそちら(俺の右斜め後ろ)に視線を向ける。
「さっき言った最後の『試練は滅びを導くものではない』ってのは、どういう意味なんです?」
「それは試練によって死に至ることはない、と言う意味と私は捉えております」
「それは……確証はない?」
「精霊の託宣と言うものは、大量の思念や情報を与えられ、その中から絵のように浮かび上がるものなのです。その絵から理解できる文脈を読み取ることが、巫女の役割になります」
苦笑したような表情でアトラが言った。
どうやら身も蓋も無い言い方をするならば、彼女らも厳密に正確な意図は読み取れていないらしい。
しかし鹿族が受け継いできた巫女術(多量の情報から託宣を読み取る方法)は、これまでも相当正確に託宣を読み解いてきたようである。アトラも間違いないと胸を張っていたし、俺も鹿族の精霊信仰への執着は知っている。
恐らく信用しても問題はないはずだ。
もちろん、託宣は今しがた聞いたもので全てではないとのことだ。
その内容次第では、やはり助けは必要で、トビーの案を再検討する必要がでてくるかもしれない。
しかし即座に行動に移す理由は失ってしまったと感じる。
「……」
トビーの方はどうかと、俺は視線を向けた。
やつは目を瞑りむっつりと押し黙っている。
人間の精霊信仰への考え方は詳しく知らないが、これまで関わった人間から察するに、さほど根付いているとは思えない。
トビーは使者を待つ理屈を理解していた。しかしそれでも独断専行を選択し、危険を顧みずに迷宮に潜ろうとしたのだ。アトラの託宣を信用できなければ、方針を変えるとは思えないが……。
トビーはしばらく考え込んでいたが、最後には深い溜息を吐いた。
「はぁ……分かったっすよ。使者さんも来られたことだし、オレも話を聞くことを優先する。これでいいか?」
俺が安堵したのを感じ取ったのか、トビーは最後に苦笑を浮かべながらそう言った。
「ああ、無論だ。ではお二方、旅の疲れもあるでしょうし、まずは我々の家へお越しください」
「まあ、ありがとうございます」
俺の言葉に、アトラは笑みを浮かべる。
自宅に案内することにしたのは、この時間に組合に行っても意味が無いからだ。
事情を説明してほしい関係者が居ない訳だからな。
連絡をやって、調整をするなり呼んでもらうなりの対応が必要になるだろう。
「突然連れてったら、レイアさんに怒られそうっすね」
「……ああ、そうだな」
家を出た時とは打って変わった安穏としたやり取りをしながら、巫女たちを連れて自宅へと向かったのであった。
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俺はやはり、まとめ役には向いてないのだろう。
トビーの独断専行を止めることができて、胸を撫で下ろしながらそう思った。
使者を待つ日々の中で、あいつの様子がおかしいのはすぐに気付いた。
旦那を助けに行きたくてソワソワしているのが良く分かった。
これでも長くあいつを鍛えてきたし、訓練を共にしてきたのだ。見ていれば分かる。もちろんあいつが分かりやすいというのもあるが。
そしてトビーが決意を固めたのを感じ取った日の翌日、俺は早朝に網を張った。
トビーは優秀な斥候戦士だ。
もし俺が直接声を掛けて、警戒心を持たれてしまえば、恐らくあいつを止めることはできないだろうと分かっていた。
一度はぐらかした後、俺に見つからないように出発すればよいのだからな。
あいつになら簡単なことだろう。
だからトビーが一人旅立つ時に不意打ちで、二人で話せる時間を取ろうと考えたのだ。
万が一があれば、足の一本でも折るつもりで武器を準備して。
……こんな方法でしか、仲間を止められないのだ。俺は。
情けないにもほどがある。
やはりまとめ役など荷が勝ちすぎている。
旦那が俺をそう買い被っているから、他の仲間にもそう思われているし、俺もそれに応えようとした。
旦那は孤独な人だ。この世界に突然放り出されて、一人迷宮探索に挑むことになった。なのに同じ目線で成長する者も、強さを語り合える者もいない。
その旦那が俺を頼ってくれているのだ。張り合いを感じない方がおかしいだろう。
それに、一番年かさの俺がやらなくてはという気持ちもあった。
旦那の期待に応えたくて、これまでやってきた。
そしてこれまではなんとか上手くやってこれたと思っている。
だが、その旦那が消えた後はどうだろう。
俺は上手くやれていただろうか?
そんなことは全くない。
むしろカトレアやトビーの方が精力的に声を掛け合い、旦那を助けようと努力していた。
俺はどうだ。
白竜の意見に、悩みつつも納得した。鹿族の巫女の託宣にも少し逡巡したとは言え、納得した。
俺は流されていただけではなかったか。今になってそう思う。
俺は何も成すことができていなかった。
トビーなど、白竜の隙をついて隠し扉を見つけてのけたというのに。
あの抜け目の無さはなんとなく、旦那のやり方に通じるものがある気がする。
思えばあの二人はとても仲が良かった。
トビーと旦那は一歳違いだし、親近感もあったのだろうが、二人の気の置けない仲は羨ましくもあった。
……俺は、なぜもう三十年遅く生まれてこなかったのだろう。
俺もトビーのように、旦那と一緒にバカをやり合い成長し、何かを成し遂げたかった。
俺にはもうほとんど成長の余地は残されていないだろう。
鍛錬は続けているが、先は見えない。
だから迷いがあったのだろうか。
身の丈に合わないまとめ役などをやろうとして。
それで助けに行きたいと思っていても動けず、トビーに先を越された。
今、俺たちは探索者組合で巫女から話を聞き終えた。
旦那の背負う運命のあらましを、そしてこの先に待ち受ける戦いを。
今後の身の振り方を俺たちはそれぞれ考えさせられることになった。
公爵は王に謁見しなければと言った。
バーランドは今度こそ最後の奉公だなと笑った。
マルティナが決意を込めて手伝いをすると言った。
クロウも商売度外視で協力すると腕まくりをした。
仲間たちも、視線を合わせ頷き合った。
そんな中で、俺は心の中で、自分自身にひとつの結論を出した。
俺は……もっと単純に考えるべきなのだ。
戦士とはそうあるべきだった。戦士に戻るのだと決意した。
そして帰ってきた旦那の横に戦士として立ち、戦い抜くのだ。
今度こそ何も迷わず、間違えることなく。
その一週間後、マイトリス迷宮探索者組合に、探索者リョウの帰還の報がもたらされた。
次回、エピソード・ゼロ(リョウ)
遂にリョウと迷宮の真相が明かされていきます。