82 エピソード・ゼロ(トビー)
マイトリスへと帰還し、一週間が経った。
まだ使者はやってこない。
ご主人を捜索する諸々の計画は、オレたちの持ち帰った情報により中止されることになった。
例えば各地への協力要請は、魔導列車を用いて計画中止の手紙を発送済み。
軍からの人員調達もグラウマンさんからの連絡で中止となった。
ただキンケイルからは、すでに魔導列車でエイトさんたちが来ちまってたりしたんだけどな。
行動派のアルセイド公爵とクロウさんも転移ですぐに戻ってきたらしいし。
まあ彼らが来てくれただけで凄く心強い。と、みんなはそう言っていた。
色々予定とか(特に公爵閣下は)大丈夫なのかとも思ったが、それは当人たちの問題だし、彼らが大丈夫っつったら大丈夫なんだろう。
エイトさんたちも公爵もしばらくマイトリスに残ってくれるらしいので、なんかあった時は頼らせてもらう、ってことになった。
「ふう……」
鎧の手入れを終えて、オレは一つ息を吐いた。
オレたちは訓練でやってた時と同じように、ズーグ・カトレアと三人で浅い階層の探索を行って日銭を稼ぎ、使者を待つ日々を過ごしている。
今日も日帰りの探索を行い、今は帰宅して各自片づけを行っているところだった。
「どうしたトビー、疲れたか」
オレの溜息を聞きつけたか、ズーグから声を掛けられた。
「いや、なんでもねえっすよ。ただ一息ついちまっただけで」
「……旦那が心配か?」
ひねりもなく問われて、苦笑が浮かぶ。
言い当てられちまったか。
けどそういう雰囲気なのは何もオレだけじゃないし、分かるのも当然か。
分かりやすいのがオレだってだけで。
「まあ、宙ぶらりんでどうにもね」
「仕方あるまい。俺も白竜の前で偉そうなことを言っておいて、似たようなものだからな」
肩を竦めて返すと、ズーグも苦笑しながら言った。
「だが、俺は今は待つべき時だと考えている。旦那の力はお前も良く知っているだろう」
「そりゃあ、もちろん」
そう返すと、ズーグは「ならばいい」と言って装備を仕舞い、オレの肩をポンと叩いて部屋へと去って行った。
あいつの言うことはもっともだと、思う。
ご主人は自分自身のために、試練を独力で突破しなくちゃいけない。
その後に知らされるらしい運命とやらを知ることが、あの人が口を酸っぱくして言ってきた探索の最終目的だからだ。
助けに行きたい気持ちは当然ある。それはみんなも同じなんだって知っている。
けど助けに行けたとして、それでは試練を突破できてない、運命を教えられないなんて言われたら、本末転倒だろう。
ズーグは白竜の元から帰る道中、そして帰って組合や色々なところに説明する時も、ずうっとそう言ってきた。
そしてそれはみんなからの賛同を得て、オレたちは今使者を待つだけの日々を過ごしているのだ。
だからそれは……ただ待つだけの日々は、正しいことなのだ。
「ホントに、そうなのかねえ……」
思わず、オレはそうこぼした。
オレの中にくすぶるものが漏れ出した呟きだった。
はっとして、周囲に誰もいないかを確認する。
……大丈夫、誰も居ない。
人気のない玄関先でキョロキョロと、我ながら滑稽な振る舞いだった。
でもそうせざるを得ないくらい、オレはオレの考えが危いものだと自覚があった。
オレはご主人を助けに行きたいと思っている。
ズーグの語った論理は正しいと理解できていても、である。
そもそもオレたちは白竜のことを信用し過ぎではないのか。
ズーグは竜人だから、竜への敬意はオレたち人間の比じゃないんだ。
判断を誤ってるってことは無いのか?
そんな風に否定的な考えが、帰ってからずっと頭をぐるぐる回っている。
そりゃオレだって、ご主人を信用してない訳じゃない。
むしろあの人を信用せずに誰を信用するんだ。
けど……あの人だって不死身じゃない。
凄すぎてみんな忘れちまってるんだよ。
白竜の時だって死にかけたんだ。あの時はブレスって切り札があったし、オレたちが盾になることもできたから生き延びられた。
あの時オレは改めて思ったんだ。ホントになんかちょっとやらかしたら、ご主人だって死んじまうんだ、って。
オレはあの人を万が一にも失いたくない。
もし試練に途中で割り込んで「運命は教えられない」ってなっても構わない。
それでご主人にキレられたって、それで済むならいくらでも怒られてやるさ。
死ぬ危険があるくらいなら、オレは時間がかかっても安全な方法で目的を達成してほしい。
……あの人を、絶対に死なせちゃいけないんだ。
みんなの為にも。
そして何より、オレ自身の為にも。
オレがそんなにご主人に執着してるって、誰も思っちゃいないだろう。
そりゃそうだ。オレは周囲から見たら、ご主人に妹を助けられた単なる奴隷のひとりだろうさ。
でも違う。オレはオレなりに、シータを助けてもらったことだけじゃなく、ご主人に恩義を感じていることがあるんだ。それはオレの人生に関わることだから、誰にも言ったことがなかったってだけで……。
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……オレの半生は、常にシータのために費やされてきた。
きっかけは両親の死。
そこからオレは妹のために生きることになった。
妹は大切な家族だ。オレは妹のことを愛してる。
だけどシータを重荷に感じたことは、実のところ一度や二度じゃなかった。
愛情があっても、表面上ヘラヘラしてても、それは事実だった。
最初にそう感じたのはいつだっただろう。
両親の遺産を食いつぶしながら、ぜんぜん仕事が見つからなくて、不安に苛まれていた時だろうか。
当時クソガキのオレが仕事をちゃんとできず、仕事先のおやじに棒でしこたま殴られていた時だったか。
あるいは戦う力を得た後に、遠征に行って戻り、何故かシータが呪いに侵された時だったか。
その辺りはもう、あんまり覚えちゃいない。
とにかくいつのころからか、妹を大事に思うことも、妹を背負う責任を重く感じることも普通のことになっていた。
それらは半分半分で、常にオレの心を支配していた。
オレは強がりでそのことを妹に隠し、生きてきたつもりだけど……聡いあいつのことだ。
簡単に見破っちまってたかもしれねえな。
そのことはまあ、良いんだ。
バレちまっててもそうじゃなくても。
とにかくそうやって過ごしてきて、シータが呪いに侵された。
結局のところ本当にオレが呪いを連れて来ちまったのか、それは分からないことだった。
だけど、その時オレが思ったのは「なんでオレじゃなくシータだったのか」ってことだ。
呪いがオレの方に来てたなら、責任を背負う辛さから解放されたのに、と。
もちろんそれは責任に伴う辛さから、呪いに体を侵食される辛さに変わるだけだ。
それでもそんな風に思っちまうほど、その責任の重さに、オレはやられちまってたんだ。
今だから思えるけど、本当に人の親ってのは凄いよな。
オレには人間を背負う責任なんて、ぜんぜんダメだった。
シータが呪いに侵された後も、なんだかんだでオレはあくせく働いた。
もう無理だって思ってた責任が、オレを突き動かしていた。
まあシータはいつまで経っても良くならなかったし、稼いでも稼いでも解呪の為のお金は貯まらなかったんだけど。
そしてしばらくの時が経ち、シータの容態が急変する。
余命を宣告されて愕然としながらも、その時もやっぱり責任がオレを動かした。
解呪のお金をオレが奴隷になって工面する。そんな話になった。
そのことで、何度もシータと喧嘩した。
シータは自分の治癒のためなのだから、自分が奴隷になると言い張った。
けれどそれは絶対に嫌だった。
妹は、不格好でもオレが背負い続けてきた責任の、その結果だったからだ。それに重荷に思って、それを辛いとか苦しいとか考えていても、あいつは大事な妹なんだ。大変な未来が見えてるのに、それを許せるわけがない。
まあ、オレの汚い心の内には、とにかくシータから逃げ出したくて仕方がない気持ちも、あったと思うけどな。
そんな経緯で、奴隷落ちでお金を得るという案をオレは絶対に譲らなかった。
家長であるオレが許可しなければ、シータが勝手に奴隷落ちすることはできない。奴隷館で働いているからそれは良く知っていた。
オレは奴隷館の上司に話を通し、最終的にはシータに内緒で、オレが奴隷落ちをすることになった。
結果としては上司に説得されて、色々とお金の工面のために動きながら、条件付きの奴隷として解呪のコネを探す、という方法に落ち着いたわけだけど……。
その後に出会ったのが、そう、あれだ。
……ご主人。リョウさん。
この人と出会えたおかげで、オレの人生は一気に様変わりした。
彼はシータの解呪をしてくれた。
シータが回復する手伝いをしてくれた。
シータと一緒に暮らせるよう配慮してくれた。
オレに……もう一度ちゃんと、妹を愛する機会をくれた。
ご主人は目的も与えてくれた。
探索に引きずり回されて大変だったけど、戦いは前よりずっと上手くなった。
戦友扱いしてくれて、あの人の前を守るっていう役割をもらった時は嬉しかった。
そしてオレを……あの責任から解放してくれた。
ご主人はシータのことを一緒に考えてくれたんだ。
動けるようになったら見聞のために王都に連れて行こうとか、学校に通わせようかとか。
ご主人の都合もあるとはいえ、市民権を持ってるシータに家の名義を渡すってのは、ちょっともらい過ぎだと思ったけど。
オレはとにかく嬉しかった。これからは重く考え過ぎることなく、シータを素直に愛せると思った。
そんな風に、たくさんのものをオレはもらったんだ。
与えてもらうだけなんて嫌だった。なんとか返せないかと、ずっと考えていた。
だからご主人が黒い穴に吸い込まれて行方不明になった時、俺は絶対にあの人のことを諦めないと、心に誓った。
そして今、誰もがご主人を信用し使者を待つ中でも、オレは行動を開始するつもりでいた。
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翌朝のまだ暗い時間帯。
みんなが寝静まる中、オレはひとり目を覚ました。
音を立てないように注意しながら手早く身支度をし、装備を整える。
その時あることに気が付いたが、努めて無視しオレは家を出た。
ウチの家は結構大きいつくりなので、ちゃんと門があり塀が敷地を囲っている。
門から玄関までは大股で三、四歩ってところか。
この家に住むって決まった時は、クロウさんのコネがあったとは言え、よくこんなとこ買えたなって思ったものだ。
そんな大きい家の、門のところに人影があった。
そいつはオレを認めても微動だにせず、槍を手に持ち、門に背を預けて立っていた。
「……よう、良い朝だな」
「……」
そこ立っていたのはズーグだった。
まあ、あいつがいるってことは予想できてたことだ。装備を取り出す時にあいつのが無いって嫌でも気付いたからな。
でも、それに気付いた程度で取りやめるくらいなら、最初から行動を起こしちゃいねえ。
オレはズーグと対峙することも覚悟のうえで家を出たのだ。
「ちょっと、移動すっか」
「そうだな、騒がせて皆を起こすのは忍びない」
静かにそう交わして歩き始める。
無言で進み、オレたちは早立ちの商人たちに混じってマイトリスを出た。
そしてキンケイルに伸びていく街道から外れるように、少し先へ。
わざわざそんなところに移動したのは、もし武器を振り回すようなことになっても、他の人に迷惑を掛けないようにとの配慮だった。
「……それで」
足を止めてズーグに向き直る。
「それであんたを倒しゃあ、行ってもいいのか?」
「……今日止めたところで、いつか目を盗んでお前は行くだろう。だから逆に問おう。どうやったら考え直す?」
流石に良く分かっている。
理解されていることに少し嬉しくなるが、それとこれとは話が別だ。
オレにだって譲れないものはある。
「残念だけど、どうやってもオレは行くぜ。別にズーグの考えが悪いって言ってるわけじゃない。馬鹿なオレがどうにも我慢できないってだけだ。それで勘弁してもらえねぇか?」
「駄目だ。俺は……旦那を信用し待つと決めた。旦那が帰ってきた時に、誰かが欠けているなんてことは看過できない」
「死にに行くつもりはねぇよ」
「死ぬと言っているんだ!」
肩を竦めて言ったら怒鳴り返されちまった。
ズーグは落ち着いてていつも冷静だけど、熱いモノを持ってないわけじゃない。
むしろ戦いでアツくなってくりゃあデカい声なんていくらでも出す。
模擬戦でズーグにデカい声を出させるのに、オレがどんだけ苦労したことか……。
オレがそんなことを考えている内にも、ズーグの話は続いている。
十中八九死ぬぞ。ひとりでなんて無茶だ。白竜はどう突破するつもりなのだ。
そんな声が聞こえる。どれも正論だった。
けどな。
「だからって、誰も救助に行かねえのはおかしかねえか?」
「なに?」
「オレだってご主人のことは信用してるさ。だから一度は帰ってきちまった。でも帰ってきて落ち着いたらこうも思ったんだよ。……ご主人は不死身の英雄じゃねえ、ただの人間なんだってな」
オレは反論し、説明した。
白竜との戦いを思い出せ、万が一を考える必要がある。使者の話を聞くために待つやつがいたっていい。けど助けに行く人間がひとりくらいいてもいいじゃないか。
そんな風に。
「もし合流できたら、試練を手伝わずに後ろで見てるだけになってもいい。試練で死にかけたら介入して、介入したら試練は最初から、そんな風にすりゃあいい。一か八かなんて馬鹿げてる。何度でも挑戦できるようにすりゃいいじゃねえかよ」
「それでは……試練にならん」
「はっ、そうかい。そりゃ見解の相違ってやつだな。死んじまったら終わりなんだぜ? 死んじまったら……今の生活も終わりになるんだ」
ズーグはオレの言葉を受けて黙り込む。
考え込むように視線を下げ、その後顔を上げて再び視線がぶつかった。
「お前の考えは分かった。だが現実問題、白竜を突破することは不可能だろう」
一瞬、話をすり替えるつもりかと思ったが、多分違う。
ズーグは口が達者ってわけじゃねえからな。
おそらくオレの言葉を聞いて、問題点を解決できるなら、協力しようと思えたからの言葉だろう。
その言葉からは説得の手ごたえが感じられた。
……ていうかそれより、こういうところがかなわねえんだよな。
器がでけぇっていうか、勝手な行動を起こそうとしたオレを理解しようとするなんて。
少し嬉しくなりながら、オレは解決策の説明を始める。
「再突入の時、確認したことがある」
「ほう、なんだ?」
「前に討伐した時は疲れ果ててたしあんま見てなかったけど、次の階に続く階段は特に無さそうだったよな?」
その問いにズーグが頷きを返す。
オレは不思議に思ってたんだ。
あの時オレたちは間違いなく白竜を倒したのに、次に続く道は開けなかった。
ご主人が行方不明になるっていう異常事態が原因かと思っていた。
だけど再突入でカトレアやズーグが話している間、オレはずっと広間を観察してたんだ。
そして分かったことがある。
別に次の階への階段が無いってわけじゃなかったのだ。
注視している内に、オレは壁の一部に不自然なところがあるのを見つけた。突起が立ち並んでて巧妙に隠蔽されていたけど、隠し扉があったのだ。
「入り口があんな仰々しい扉だから先入観があったけど、間違いねえ。だから白竜とは戦闘になるかもしれねえが、一気に扉を開けて次の階に逃げる、それが作戦だ」
「お前、あの時そんなことを……いや! それならば、俺たちも共に行こう。旦那抜きで白竜の討伐は不可能だが、逃げるだけなら……」
「だめだ。相手はあの白竜だぜ? オレだって、何人も連れて抜けれるかどうかなんて分からねえ。挑戦できんのは一回だけだろうし、オレだけで行く」
「しかしな……」
食い下がる様な声を出し、ズーグがううむと考え込む。
もう戦ってオレを止めるとかそういう考えは頭に無さそうだ。
無理矢理止められるって思ってたけど、こんなことなら最初からちゃんと説得をすればよかったな。
そんなことを考えながら、オレはズーグとこの策を確実にするための案を出し合った。
本当に良かった。
模擬戦以外でズーグに武器を向ける羽目にならなくて。
そう安堵してオレは内心ほっと息をついた。
その時である。
一切気配を感じていなかった横合いから、声が掛かったのは。
「お二人とも、お待ちください」
柔らかな口調。耳心地の良い美しい声音。
驚いて視線を向けると、そこに居たのはマント姿の二人組だった。
声を掛けてきたのは恐らく前に居る小柄な方だろう。
フードで顔が見えにくいが恐らくは少女、後ろに控えるのは背格好から見るに男だろうか。
「な、何もんだ? あんたら」
そう言うと、手前の少女はフードを上げて顔を晒した。
艶やかな黒髪の、整った容姿の少女だった。しかし何より目に付いたのは、頭に生えている角である。
「大地の精霊の使者として罷り越しました。神鹿の末裔、鹿族の巫女アトラと申します」
そう言って、少女はにっこりと美しく微笑んだ。
次回、エピソード・ゼロ(ズーグ)