79 真実への道
黒い穴に吸い込まれた俺は、気づいたらどこか別の場所に立っていた。
転移の時のような、身体の内側から狭いチューブに吸い込まれていくような感覚とは違う、記憶の断絶にも思えるような一瞬のできごとだった。
「こ、ここは……?」
周囲を見渡せば、恐らく迷宮と思しき風景がそこに広がっている。
少し空間は広くなったようにも思えるが、ヒカリゴケがじわりと照らす乳白色の壁や、暗がりの先に伸びる通路は見慣れた景色だ。
ただそれだけで、ここが先ほど居たマイトリス迷宮であると、断定することはできない。
転移は空間の物理的な距離などまったく無視してしまう代物だからだ。
それはここ最近その恩恵にあずかってきた俺自身が、良く知っていることである。
「なんにせよ、理由を聞かないと始まらないか」
俺は自分の力で現在位置を判断することを諦め、あえてそう口に出しながら後ろを振り向いた。
気配を感じた通り、そこにはウィスパーさんがふわふわと浮かんでいる。
相変わらず美しい容貌だ。
男か女か判断しづらい、線の細い顔のつくりと体格。柔らかそうな淡い茶色の髪色と薄いブルーの瞳、薄紅色の唇。
「人間離れした」と表現して、決して違和感の無い姿をしている。
「……」
彼……彼女? どちらか分からないが、とにかくウィスパーさんは悩ましげに柳眉を撓ませ、こちらを見ている。
まるで何かを憂いているかのような表情だった。
「俺をこんなところに連れてきて……と言うかここはどこなんだ? 仲間のもとに返してくれ」
俺の質問に、ウィスパーさんがふるふると首を振る。
前回と同様(と言っても前に会ったのは俺の脳内的なところだが)、言葉は話さないらしい。
白竜アルテリウスも言葉を介するのは苦手と言っていたしな。
さて、どのように意思疎通を取っていくか……。
と、俺がそんな風に考えていると、聞き覚えのある柔らかな声が聞こえた。
――――先に進んでください――――
そう言えば最初も言葉をかけてもらったんだっけ。
声を聴いた俺は頭にそんな暢気な感想を浮かべ、そして次には猛烈な危機感を覚えた。
「マイン――ぐえっ!」
口早に精神系の補助魔法を唱えようとしたが、間に合わなかった。
あの時と同じく、頭に情報が叩き込まれる。
あと一秒早ければ間に合ったんだが。
いや、そもそもマインドプロテクションが効果を発揮したとは限らないか。
いつも通り第三思考ではそんな下らない考えが流れていく。
まあ逆に言えば、第一、第二思考が精神的重圧を引き受け、かつキャパシティに収まっている証左でもあるのだが。
要するに俺もちゃんと成長できているということだろう。
なにせあの時は「もう殺して」とすら考える余裕がなく、苦痛に耐え続ける羽目になったんだからな。
そして情報のインプットが終わり、頭痛が去る。
まともな思考力が戻って来て分かったのは、どうやら今回はあの時ほど大量の情報が入れられた訳ではないということだ。
すんなりと頭痛が去っていったのはそのせいもあるのだろう。
「さて」
傍らに浮かぶウィスパーさんを横目に、俺は適当な地面に腰を下ろした。
文字通り腰を落ち着けて、得た知識を整理しようと思ったのである。もちろん単に疲れたというのもあるが。
こちとら白竜戦の疲労がまだ残っているのだ。
ほんの少し前まで血まみれになって戦っていたわけだしな。
ドレインや回復魔法で持ち直したとはいえ、取り切れない疲れと言うものはあるのである。
「水作成」
手のひらを器にして水を溜め、それを一息に飲み干す。
その後俺は思考を開始し、得られた情報を一つずつ整理していくことにした。
『現在位置……マイトリス迷宮の地下十階』
マイトリス以外の迷宮、それかどこか変な場所、あるいは違う世界なんて想像もしたが、ここはマイトリス迷宮に違いは無いらしい。
少し安心した。
地下九階を飛ばして十階に来ただけでさほど距離的な乖離も無いのだが、一体この転移に何の意味があるのだろうか。
『帰還の方法……閉ざされている。目的を果たしたのちに帰還が可能となる』
どうやら転移を使っての帰還は封じられているようだ。現在位置を知らずに転移を使うのは嫌な予感がしたため、いきなり転移魔法を使うことは避けたのだが、間違いではなかったらしい。
単に使えないだけならまだしも、創作モノでたまに見る転移失敗、つまり「いしのなかにいる!」とかになっても嫌だしな。
『目的……迷宮の最奥を目指すこと。そこに真実がある』
真実とは大仰な。
と言いたいところだが、白竜の意味深な言葉やウィスパーさんの登場などから、薄々感づいていたことでもある。
転移での帰還を封じた存在がそこに居るらしいことも、得られた知識には含まれていた。
『これからの道のり……道のりは試練、道は示すが進むのは自身』
目的が最奥を「目指す」こと、となっていたので、まあ自明ではあるよな。ウィスパーさんが道案内をしてくれるようなので、死ぬほど迷宮をうろつかされることは無いのが救いか。
と言うかやはり、一人で探索をしないといけないのは確定事項のようだ。
気は進まないが、そもそも自分が転移した理由を知るために始めたことでもある。最初は一人だったし、最後も一人だとして悪いことは無いだろう。色々懸念は残るが、覚悟を決めて取り組むことにしよう。
『外界での対応……託宣を下した使者を向かわせた』
こうして俺の懸念を払うような情報も含まれているわけだしな。
この情報はウィスパーさんの気遣いだろうか。いつの間にかウィスパーさんは俺の隣にちょこんと腰を下ろしている。視線を向けても特に反応は無い。相変わらず少し憂いを帯びた表情で俺をじっと見つめている。
『道中の食事など……心配は無用』
ふわっとした回答はやめていただきたいんだが、とにかく心配はいらないらしい。
まあこの情報から推測できるのは、食事の心配をしなくてはならないくらい長引く可能性があるということだろうか。それを考えると別の意味で心配が湧き上がってくるのだが。
『魔物達の情報』
これは数が多い上に、一人で探索をするに当たっては非常に重要なので、休憩してから取り掛かることにしたい。
近接技能があまり高くない俺にとって、接敵された時の戦い方は非常に重要である。この辺はいままでズーグやトビーの守りを当てにして、そこまで厳しく鍛錬を積んでこなかったんだよな。久々の単独探索に不安を感じて、改めてそれを認識できた。
これは試練だと言われているわけだし、改善できる点は改善しないといけないだろう。
「はあ……とにもかくにも、ちょっと休憩だ。ウィスパーさん、見張り頼めるか?」
溜息を吐いてダメ元で聞いてみると、首肯が返ってきた。
どの程度信頼できるかは分からないが、それならお言葉に甘えることにしよう。
疲れの溜まっていた俺は、盾と剣を外して迷宮の地面に横になると、すぐに眠りに落ちるのであった。
==============
仮眠を取って目が覚めると、ずいぶんと気分はすっきりした。
疲れも取れ、不思議と空腹も感じない。
白竜が疲労について心配ないと言い、食事も心配しなくてもよいと予備知識が言っていたのはこのことだろうか。
良く分からないがこちらとしては好都合である。
俺は時間を使って魔物の予備知識を確認していき、戦術を考えた後、探索に乗り出した。
単独探索において肝になって来るのは、まずは索敵能力である。
これまでの経験から言えば、俺は当然そう判断しただろう。
しかしこのマイトリス迷宮地下十階において、戦闘になることが確定しているのであれば話は違ってくる。
頭に叩き込まれた知識の中には、魔法的・技能的に高い隠蔽能力を持つ魔物が含まれていた。感知能力に長けた魔物も多く、同時に出現する数も多い。と言うか単純に敵が物凄く強くなっているのか。
とにかく俺が最初にズーグを買った時の判断と同じく、なんと言っても手が足りない。そうした状況下で、最も必要になるのは殲滅力だと言えるだろう。
そして俺は直前の白竜戦での経験も踏まえて、とある戦術を試みていた。
「神息」
その戦術とは、端的に言えばブレスぶっぱのごり押しである。
目の前に現れたグリフォン五体を前に、ブレスの強化を受けた俺は、バインドを行使しながら接敵。
ドレインで消費を回復しつつ、隙を見てパーフェクトコンバージョンという流れで敵を殲滅していく。
「クエェェェッ!」
四体まで倒した後、流石に残ったグリフォンには蹴爪での攻撃を許すことになった。
しかしブレスで強化された体であれば、爪が突き立って血が流れても抉り取るには至らない。
その後体重差によって組み敷かれるような形にはなったが、手が触れる距離と言うことはつまり、ドレインが通るということである。
その弱体で得られた隙に発動できる魔法は多い。適切な魔法を選びさえすれば、魔法はコンボするように連続で決まっていき、難なく敵を倒すことができるのである。
「……治癒」
戦闘を終え、俺は魔石を回収しながら、僅かに負った傷を癒した。
「やっぱりこの方法、使えるな……」
そう独り言ちながら、俺は戦闘を反芻する。
感知に長けたグリフォンが隣の小部屋から通路を抜け、こちらを強襲してきた時は驚いたが、初手ブレスによって難なく乗り切ることができた。
ドレインとの相性もすこぶる良く、白竜戦でも初手に選択できていればと思ったほどである。
なんと言うか、白竜戦前において、俺はブレスに頼ることに忌避感を持っていたんだよな。
これが通用しなければ終わりだと、ネガティブな思考で決め手としての役割でしか考えていなかったのだ。信頼性の高い一つの呪文に頼ることへの抵抗感もあったのだろう。
こうした考えは、ひとえにブレス使用の検証を怠ったせいだろう。
消費の重さから単純に使用回数が少なかったのもあるが、重要な魔法なのだからどれだけお金や時間を費やしても、必要な回数の試行を行うべきだった。
使った時に得られる恩恵や他の呪文との連携を考慮し切れていなかった。
白竜は強かった。
確かに苦戦を強いられてしかるべき相手だった。
しかしドレインとの組み合わせが最後の決め手になったことを考えれば、そこには余計な苦戦がかなり含まれていたことは間違いない。
そしてその余計な苦労を背負う羽目になったのは、ほとんどブレスの検証不足が理由だと言って良いだろう。
「……」
魔石を拾い終え、顔を上げると目の前にウィスパーさんが浮かんでいた。
その表情は少し和らいだようにも見える。
俺が自身の力を使いこなせるようになる過程を見て、喜んでいるのだろうか。
「まったく。ズーグも言ってくれりゃあいいのになあ」
ウィスパーさんの指し示す方に進みながら、ぼやきが漏れる。
あいつはブレスを使う直前、「挑戦はここで終わり」みたいなことを言っていた。
要するにズーグは、ブレスを使わない戦いを力試しだと思っていたのだ。
俺は本気でやっていたし、師範と検討している時にもこれで良いか聞いたと思うんだが。
そこには認識のズレがあったわけだな。
よくよく考えれば師範も「まあ良いんじゃね」みたいな反応だった気もする。
戦術を知る誰もがブレス頼みで問題無いと判断していたのだ。
そしてブレスの力を不安視する俺の半端な使い方でも、関係無く勝てると思っていたのだろう。
……まあ、終わったことを悔いても仕方ないか。
ズーグのせいにするのは他力本願が過ぎるし、後悔ではなく反省をすべきだ。
今後はもう少し、メンバーとの認識をすり合わせる必要があるだろう。
仲良くやっているとは言え、俺とあいつらには奴隷と主人という立場差が、依然として存在しているのだから。
俺はそんな風に、自問を繰り返しながら探索を進めた。
孤独な戦いは寂しいものだったが、ウィスパーさんに独り言を投げかけられるだけでも、真の孤独よりはずいぶんマシだろう。
反応は相変わらずイマイチだったが、見た目が良いので見ているだけでも癒されると言うのもあるしな。
「よし、じゃあ次だ。ウィスパーさん、お願いします」
魔物を倒し、俺は迷宮の奥へと、足を進めた。
よろしければ感想・評価・ブクマをよろしくお願いいたします。