74 白竜討伐へ向けて その五
強い風が吹いている。
風を受けたマントが抵抗を生んで、自分がまるで帆船のマストにでもなったように感じる。
「すっげえなあ」
小高い丘の上から港湾都市デンタールを見下ろしながら、ついつい感嘆の声が漏れてしまう。
でもそれくらい、大海原を背景にした港湾都市を臨む風景には心動かされるものがあった。
俺自身この異世界で初めて目にした、海岸線の景色ということもあっただろう。
また高所から見下ろすことで建物の立ち並ぶさまが一望でき、そこに生きる人々の暮らしが容易に想像できることも感動の一因である。
更に言えば、そんな想像ができるようになるほど異世界で月日が過ぎたことを自覚して、感動はより深まるのである。
ひとしきり景色を眺めた後、俺は丘を駆け降りるようにして進み、街道へと入った。
その際少し通行人から注目を集めたが、用を足すために道を外れる者もいるので問題は無い。
ちょっと恥ずかしく感じるのは俺が旅慣れていないだけである。
港湾都市デンタールの門をくぐり、商人達に混じって中へ。
目指すは公爵閣下のお屋敷である。
公爵との約束は、現状俺と公爵(とクロウさん)の私的な話であるため、港湾局とかいう仕事場に行くわけにもいかないからな。
手紙は準備済みなのでとりあえず行ってみて、家人に手紙を渡すことにしよう。
と、いうわけで公爵邸である。
「リョウ様ですね、ご案内いたします。こちらへ」
入口で素性を述べて手紙を……と思ったのだが、何故か奥へと案内されることになった。
状況に困惑して途中引き継いだ執事さん(治癒をした時にいた人とは別の人)に聞いてみると、どうやら公爵家では俺のことは有名らしい。
「お嬢様を治癒していただいた恩人ですから。我々家人一同も貴方には感謝しているのです」
とまあそんな感じだ。
レイチェル嬢は非常に愛されているようである。
こんな感じで話があったので、やはりと言うか俺を応接してくれたのはレイチェル嬢であった。
「リョウ! 久しぶりね!」
「お久しぶりです、レイチェル様。その後、お加減はいかがですか?」
飛び跳ねんばかりのテンションで「問題無いわ!」と言う彼女は、前とはちょっと印象が違う感じだ。
この年で遠乗りに付いていくくらいだし、元々はこういう性格だったのだろう。
元気を取り戻せたようで、俺も治癒を行った甲斐があるというものだ。
「それで、今日はどのようなご用件かしら?」
「公爵閣下にお手紙を渡していただきたいのです。できれば急ぎで面会をお願いしたいと考えておりまして」
「そうなのね、分かったわ。私からお父様に頼んでおいてあげる」
当初は手紙を用いてアポを取る予定だったが、公爵自身に手紙が渡るまでどの程度時間が掛かるのかは懸念点ではあった。しかし娘から直接となればかなり話は早くなるだろう。
俺が直接来たということも、面識のあるレイチェル嬢が保障してくれるだろうから、偽物とかそういう疑念も消してくれるだろうしな。
何故わざわざ港湾都市まで足を運んだのか、どうやってここまで来たのかについては、直接会って話せば良いだろう。手紙にもそう書いているし。
俺はその後しばし、レイチェル嬢との世間話を楽しんだ。
完全に予定外ではあるが、幼い少女との他愛ない会話に心洗われたので、プラマイで言ったらプラスである。
ちなみに彼女は最近また馬に乗りはじめたようで、その事を楽しそうに語っていた。
両足を失うほどの事があっても乗ると言うのだから大したメンタルである。
そんな彼女でも社交界のあれやこれやにはちょっと参っているらしく、その愚痴を聞かされたりもした。
そうして時間は経っていったが、結局夕食までに公爵は帰ってこなかった。
レイチェル嬢からは夕食のお誘いを受けたが、流石にこれは丁重にお断りし、俺は公爵邸を出るのであった。
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白竜戦への準備は着々と進んでいく。
公爵との面会は恙なく、こちらのタイミングで白竜討伐に行って良いとお墨付きをもらった。
転移で来た点についてはドン引きされたが、次からは公爵邸のそれ用の場所に飛んでくるよう諫められたくらいなので、あまり問題は無さそうだ。物凄く深い溜息をついてはいたが、それは努めて無視したので問題無いといったら無いのである。
それと、王都やキンケイルへの転移も渋い顔をされた。
白竜討伐用の道具を揃えるためと言ったら今回限りで許しをもらったが、極力回数は減らすようにとのことである。
白竜討伐後は俺の存在と能力を公にするので、それと同時に国で管理している転移専用の場所を使えるよう、手配してくれるらしい。
しがらみは当然増えるだろうが、いちいちコソコソしなくて良いのはありがたいことだ。
回復薬や装備の調達も順調である。
クロウさんに相談しに行ったところ、彼の方もそのつもりでかなりの奴隷(身体欠損して引退直後の剣闘奴隷が主)を調達しており、欠損治癒で多くのお金を稼ぎ出すことができたのが大きいだろう。
神殿にはじきに、と言うか既に目を付けられ始めているようだが、俺にはあんまり関係ない。
何と言ってもこれからしばらく迷宮に潜るわけだからな。
無事に白竜を討伐して出てくれば、状況も大きく変わっているだろうし。
街に残って神殿から圧力が掛かる可能性のあるクロウさんには申し訳ないが、そう伝えると「こっちのことは任せておいて下さい」と頼もしい言葉が返ってきた。
彼に報いるためにもまずは、白竜討伐を確実に達成しなくてはいけないな。
揃えた道具類だが、まず魔力ポーションは二十本、回復ポーションは五十本ほど用意した。
数が多いように見えるが、瓶はベルトや専用のホルダーなどに装着できる試験管みたいな形状で、個々の重さはさほどでもない。とは言え全てをカトレアが持つのは無理なので、魔力ポーションは殆どを俺が、回復ポーションは各人十本ずつくらいを持ち歩くことになる。
このポーションだが、これまで買ったことのあるフラスコ状の瓶とは違い、戦闘中に片手で栓を外して飲める形になっている。兜や鎧にも装着でき、ダメージを食らう⇒瓶が割れる⇒回復薬が傷口にかかる、という感じでも使われる。
多少値は張ったが、強敵との戦いには非常に役に立ってくれるだろう。
装備については、予定通り王都で調達することになった。
新調したのはズーグの兜と胸甲、トビーの盾、そしてカトレアの盾である。
武器の新調もできれば良かったのだが、揃えた防具はすべて耐魔装備であるため、流石にお金が足りなかった。
エンチャントを付与すれば、魔装術ほどではないが魔法に干渉することはできるので、それで何とか凌ぐしかないだろう。
それと王都ではエイト達にも今後の事について伝えておいた。
白竜討伐に伴い、マイトリスでの王立探索隊の発足、ないしは探索入門の施策が動き始めるということである。
全体としては白竜討伐の話ばっかりしていたが、まあまあ興味を持ってくれたようである。
じきにこちらから話が行くと思うと伝え、楽しみにしているぜと返事をもらい、俺達は王都を後にしたのであった。
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そんな風に準備を進めていたある日。
俺は師匠の元を訪れていた。
彼女にお願いしていた、迷宮内で見た文様の解析の結果について聞くためである。
「さ、座り給え、講義を始めようじゃないか」
師匠はおどけたようにそう言っているが、実際のところは単なる報告である。
聞けばどうやらあの文様は時空間魔法に近い記述が含まれているらしい。
ただし既存の魔法とは異なる様式で書かれた術式であり、該当する魔法は無いらしいが、空間からエネルギーを取り出すような術式のように見えるとのことだ。
「エネルギー体を用いた魔法と言えばエナジージャベリンとかそういう系ですか?」
「いや、そう言った具体的なものには見えないな。私では読み解けないだけという可能性も十分あるが」
師匠で読み解けなかったら大体の人は無理だと思う。
そうすると完全に未知の術式か……あるいは神聖魔法や魂魄魔法といった、師匠があまり知らない魔法ということも考えられるか。
術式と言うのは旧魔法文明の頃から受け継がれたものだが、それが迷宮にあるとなると、迷宮は人為的に作られたものであるということになるが……。
「まあ、その辺りはすぐに分かることでもあるまい。それに神聖魔法については専門家に聞くのが良いだろうな。ヘックス教授がこちらに来ると文を寄こしていたから、少ししたら進展が見られるかもしれない。君も神聖魔法の術式の書き起こしをやってくれると言うしね」
ヘックス教授か。神威事件以来だな。
神聖魔法にご執心のかの御仁なら、何か良い知恵を持っているかもしれない。
「でも白竜に挑むまでには難しそうですね」
「そうだな、文を出してすぐこちらに向かったとしても、まだ着かんだろうよ」
王都からマイトリスまでは馬車で二週間以上かかるからな。
最近の俺は転移ばかりしていてあまり実感が湧かないのだが。
ちなみにヘックス教授を転移で迎えにいくというのも案としてはボツである。
移動中とかだったら探すのに難儀するからな。
今の時点でどうしても必要な情報ではないわけだし、全ては白竜討伐後の話だ。
「そういえば手紙には君に何か伝えたいと書かれていたね」
「え? 俺にですか? 何でしょう」
「さあね、明言はされていなかった。でもぜひとも会いたいとさ」
なんかいやな予感がするなあ。
まあ今はそれはいいか。
「さて、今日の用件はこれくらいですが、このままウチに来られます?」
今日は俺の家で二回目の宴会を行う日なのである。
第八位階魔法習得おめでとう・師匠ありがとうの会、そして白竜討伐の壮行会でもある。
「そうしようかな」
「ではお仕事が終わるまで待たせてもらいますよ。後ほどエスコートいたします」
「何を言ってるんだい、連れ立って君の家に向かうだけだろうに」
「ははは、まあそうですけど」
そんな会話を交わしてしばらく後、俺は師匠と共に家へと戻った。
玄関から入ったところで師匠の案内をレイアに任せ、俺は荷物や上着を自室に置きに行く。
戻って来ると、さっそくウェルカムドリンクを片手に師匠がソファでくつろいでいた。
「ちょっと来ないうちにまた家具が増えたね」
「前はテーブルのところに座りっぱなしでしたから」
以前の宴会の時は食卓のテーブルの席に着いたまま、食事や酒を楽しんだ。
まあそれでも良いのだがやはりリラックスするならソファとかが良いよな。
ということで、みんなが座れるだけのソファと低いテーブルを揃えたのである。
スペースは十全ではないので、今日は食卓を脇に寄せて、そこを料理・飲料置き場にしている。
食卓から料理を取って皿に盛り、ソファのところで酒を飲みながら食べていく感じになるわけだ。
「お、ご主人帰ったんっすね。じゃあ酒が飲める!」
俺の帰宅を知って部屋に引っ込んでいた連中が顔を見せ始める。
全員揃ってから食事開始だ。
乾杯とかはさらっと済ませ(変に長引かせるとトビーとカトレアから野次が飛び始めるので)、酒に口を付ける。
今日の一杯目は蒸留酒の水割りにレモン(のような果実)を絞ったものだ。
非常に口当たりは爽やか、かつ喉にぐっとくるアルコールの感じが非常によろしい。ちなみに水や酒を冷やす氷は師匠の供出(魔法)である。
「いっぱい食べてくださいね、シータさんと沢山作ったので」
「シータもかい? なんだか女なのに私だけ料理を手伝わないの、ちょっと気兼ねするね」
「おやあ、お師匠さんはアタシを女扱いしないつもりかい?」
「そんなこと言って、カトレアだってどうせ手伝いをしたんだろう?」
カトレアは師匠の問いに「ひき肉だけはアタシがね! 文字通りひき肉にしてやったよ!」と返す。
全然悪びれないその様子に師匠は楽し気な笑い声を上げた。
こんな感じで、師匠とウチのメンバー達は以前の飲み会で非常に打ち解けているのである。
その後も色々な話題で和やかな酒宴は続いた。
迷宮での話やシータの学園生活、師匠とシータたちの女子会やレイアの奥様ネットワークからのゴシップ情報とか。
俺の席は両手に花で、右では師匠と酒杯を交わし、左からはシータが料理を食えと皿を差し出してくる。
皿に乗っているのはシータ自身が作った料理ばかりだったが、食べてもらいたがるその様子が可愛いかったので、おいしいおいしいといって褒めちぎった。実際旨かったしな。
「いやあ、みんな料理が上手いねえ」
しばらく盛り上がり、料理を取りに席を離れていた師匠が、俺の横にどさりと腰を下ろす。
だいぶ酒を飲んでいるのか、パーソナルスペースが減っていてめちゃくちゃ近い。
肩が触れ合いそうな距離で体温がうっすらと感じられる。あとついでに何か良い匂いもする。
一瞬鼻の下が伸びそうになるが、横からのシータの視線を感じて踏みとどまる。 そちらの方を見てもいないのにすごい圧力が感じられる。
他のやつらはニヤニヤしながら、わざとらしく料理を取りに席を立った。
一緒にシータも連れていかれ、俺と師匠の座るソファの周りにぽっかりと人の居ない空間ができあがる。
まあ空白の席があるだけで人はすぐそこにいるんだが。
「そういえばリョウには聞きたいと思っていたことがあるんだよ」
「なんです?」
「きみは……きみはなぜ、迷宮探索にこだわるんだい?」
酒精で赤らんだ顔をこちらに向け、師匠がそんな質問を投げかけてきた。
「迷宮へのこだわりですか……」
中々難しい質問である。
この世界に来て最初にそう決めた通り、自分の手で足でこの世界に来た手掛かりを得ることが、俺が自分を鍛え仲間を揃えて探索を続ける理由だ。
でも、時折思い出したかのように「何故なんだろう」と言う思いが去来することも、確かにあったりする。
例えば朝日に目がくらんで立ち止った時、靴に入った小石をため息をつきながら取り出す時、迷宮でヒカリゴケの生え方に規則性を見出せないかぼんやり眺めている時。
そんな思考の空白に滑り込むようにしてその疑問は主張を始め、一時俺の心を支配する。
もちろんいつも「自分で手がかりを探すんだ」と言うお決まりの結論で、その疑問は一蹴されるのだが。
「自分の目で、迷宮の奥を見てみたいんですよ。できれば踏破しちゃったりなんかして?」
だからこの時も同じようにそんな答えを返した。
俺の能力を知らない人に向けた言葉で、そして茶化した言葉も交えて。
「……そうか。君にとってはそれが重要なんだな。私には真似できないよ。君がどれだけの労力を迷宮探索に費やしているか、良く知っているから」
薄っぺらい理由だと思われただろうか。
けれど、今俺が言えるのはこれが精一杯だし、全部さらけ出したとしても印象は似たようなものだろう。
「君には何か、言えないことがあるんだろう? 今は話せなくても、いつか私にも話してくれたら嬉しいな」
師匠からの真摯なまなざしが突き刺さる。
本当は俺も全部話してしまいたい。ぶちまけて、相談に乗って欲しい。けれど。
「はい、いつか必ず」
俺は言わなかった。
才能の器……不思議な能力だがそれ以上に、ずるい力だと思う。
ウチのメンバーは何も言わないし持ち上げてくれるけど、俺は内心ずっと負い目に思っていた。
わずか一年ほどの期間に、俺はどれだけの技能を得たのだろう。
普通の人間が一生をかけて培っていくような能力を、いくつもいくつも……。
もしかするとその負い目が俺を突き動かしているのかもしれない。
特別な力を与えられた何かがあるのだと、そう思い込み、そしてそれが事実であって欲しいと。
「そんなに見つめられると少し照れるね」
「あ、すみません……」
考えごとをしながらぼーっと師匠の顔を見ていたようだ。
これは失敬。ちょっと俺も酔っているのかもしれない。
その酔った頭で難しいことを考え過ぎたか?
「少し酒が回ってきてるかも、です。水取ってきますけどいりますか?」
「そうだね、いただこう」
立ち上がる時、集まっている面々すべてに注目されていることに気が付いた。
気を遣われている?
……いや、皆気になるのか。
俺がどういう意思をもって迷宮に挑むのか、この機により深く知れると思ったのかもしれない。
才能の器について知っている面々にも、あっさりとした理由しか語ってないからな。
俺だって最初に決めた「自分の力で真実を知る」という目標を、ここまで寄り道もなく進めてこられた理由は良く分からないのだ。
師匠の言うように客観的に見て特別強い動機ってわけでもないからな。
それくらいは、俺にも自覚できている。
ただ、それでも俺は進むのだ。
それだけが自身の動機を根拠づけてくれるのだと信じて。
「……よーっし! 飲むぞおおぉっ!」
迷いを振り払うように大きく宣言する。
トビーが歓声を上げ、カトレアが酒の瓶を持って近寄って来る。
俺は皆と意味も無く乾杯を繰り返し、どんどん酒を腹に収めていく。
師匠もヘロヘロになりながら付き合ってくれようとするがそれは止めつつ、その夜俺は文字通り浴びるほど酒を飲んだのであった。
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