62 貴族の館へ
学園へ戻った俺は、ひとまず試験を終えたシータと合流した。
「どうだった? 試験は」
「全部埋めることができました。本当に良かったです」
本番とあって流石に疲れた様子で、シータはそう言った。
俺も受験経験者としてその緊張、その疲労は理解できるので、今日は労わってあげたいところだ。
「リョウさんがやってくださった模擬試験に意味があったって、今日ほど実感した日は無いです」
師匠の部屋に向かいながらシータがそんな感想を漏らす。
俺がやったのは本番に近い環境(と思われるもの)を再現するというものだ。
要するに会話禁止、中座は原則禁止、時間を計り俺が試験監督役をして、雰囲気作りをしたのである。
場所は家の中だが、ウチには余っている部屋があるので、そこに机と椅子を運び込んで簡易試験会場とした。
余計な物が何も無い部屋に押し込められ、試験官が作るピリピリムードの中で問題を解く。これは意外と精神的疲労が溜まる作業で、彼女に慣れてもらうために実施したのである。
「最初にやった時とか半泣きだったもんな。点数もズタボロだったし」
「も、もう! 言わないでくださいよ!」
シータは頬を赤く染めながら口を尖らせた。
彼女にとっては恥ずかしい思い出になったようだが、今日効果があったらしいので終わり良ければ、という事にしてもらおう。俺としては元の世界の試験の感覚で行ったトレーニングなので、功を奏して密かに胸を撫で下ろしていたりする。
さて、そんな会話をしながら師匠の部屋に行き、俺達は書類に埋もれてむーむー唸っている師匠を連れ出してランチへと出かけた。
どうやら学会誌に載せる記事の原稿に悩まされていたようで、部屋を出て書類が視界に入らなくなった瞬間に急に元気になったのは非常に面白かった。
多分昼食から帰ってきた時には、師匠の部屋の扉は(彼女の心理的に)開かずの扉並みに重くなるんだろう。そうは思ったが、楽しいランチに水を差すのもアレなのでそれは言わないでおく事にした。
ランチの場所は先程ハンスさんから教えてもらった食事処である。
行ってみて驚いたのは、そこが所謂パンケーキっぽいモノを出す店だった事だ。
この世界にもあるのかと、元の世界との類似性に驚いたのはこれで何度目だろうか。
当然俺が普通に生活できている以上、ディティールを見ればいくらでも類似性は見つかるだろう。しかしこうして特徴的な文化(今回は食文化)が似通っているのを見ると、非常に不思議な気分になるのである。
まあ、そんな考察はさておいて。
パンケーキなるモノの女性への威力というものは凄まじいものがある。
いや探せば嫌いな人も居るかもだが、少なくとも元の世界で俺の周りには居なかったし、この世界でも同じのようだ。
パンケーキを食べるシータと師匠は終始ニッコニコで、俺もそれにつられるように笑顔になる。いつもむさくるしい(最近はカトレアが加入したが)連中と閉塞感のある迷宮に籠っているので、たまにはこういう時間があっても良いだろう。そう考えさせられる非常に良い時間となった。
訓練所で汗を流している面々やレイアには少し申し訳ない気持ちにもなったが。
そして俺達は満足して学園へと戻り、入り口で師匠と別れた。
午後はシータの魔法適性の試験だったので、俺は試験会場へと入っていく彼女を見送り、待つ事しばし。
問題無くこれをパスし、明日の筆記試験の合格発表を待つだけとなった。
俺達は家へと戻り、そわそわしながら待つ夜を経て、翌朝。
果たして試験の結果は……、
「シータ・ステインさん、貴方はマイトリス魔法学園の普通課程に合格されました。おめでとうございます」
トビー、シータと連れ立って事務室に向かうと、事務員から淡々とした口調でそう告げられた。
「に、兄さん! やりました!」
「お、おう! 偉いぞ! よくやったな!」
シータがトビーに抱き着き、トビーはその頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
久々に見た兄妹愛の光景だ。事務員さんは目を細めてそれを眺めているし、俺も同じような表情になっているだろう。
「じゃあトビー、後は頼んだからな」
「へい」
試験の事は分からんとこれまでの付き添いを俺に任せていたトビーだが、今日は入学手続きとか今後の予定とかの話になる。俺はこれから授業があるので、ここからはトビーが本来の役割通りシータに付き添う事になっていた。
「あの、リョウさん、本当に……ありがとうございました」
俺が踵を返そうとしたところで、シータが改まった様子で深々と頭を下げ、併せてトビーも頭を下げる。
本当に、感謝してもしきれないといった様子のお辞儀だ。
勉強も試験も合格も入学も、少し前までのシータには無かった未来である。俺が呪いを解いた事によって生まれたそれに対する礼なのだろう。俺としては礼はもう貰っているし対価も貰っているので、別にいいとは思うんだが。こういうのは本人たちの気持ちの問題なので好きにしてもらえれば良いと思う。
まあそれとは別にして、こうして感謝の情を真正面からぶつけられると物凄く気恥ずかしいのは事実な訳で。
俺はその気恥ずかしさを隠すようにして、何も答えずそのまま踵を返し、授業が行われる講義室へと向かうのであった。
なお後で聞いた話だが、その様子を不思議に思った事務員に色々質問され、話を濁すのに難儀したとの事である。
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三日が経った。
その間の出来事としては俺とシータの学園生活のスタートがあるが、俺の方は別に振り返るほどでもないだろう。授業とはああも退屈なものだったかと思い出したくらいだ。
シータの方は流石に授業にいきなりついていける、なんて事は無さそうだが、当初の説明通りフォローはちゃんとあるらしい。友達もできたようだし、こちらも問題は無さそうである。
迷宮探索は貴族のアポがあるので長期での探索は行わず、日帰りで行った。
地下七階第二フロア以降の探索開始という事だな。
ただ第二第三フロアは、上下動を繰り返さないと先に進めない複雑な構造になっているようである。
探索進度の遅延を余儀なくされる事になるが、まあ少しずつ進めるしかないだろう。こういうのはジタバタしたって始まらないのだ。
後、やった事と言えば服の購入だろうか。
流石に貴族に会いに行くのに探索者ルックではよろしくない。
奴隷館でハンスさんに紹介してもらった服屋で一揃い、フォーマルな服を購入した。
ピカピカの革のブーツに黒のスラックス、白のシャツと黒のジャケット。そして刺繍入りの紺のローブである。
ローブは魔法軍の士官が着るようなもので、魔法を実用している事をアピールできるらしい。戦う装備ではないので何か付加効果がある訳ではないが、これまでのパっと見戦士な装備とは全く趣が異なる。それに少し不安を感じはするが、今後の俺の立場……つまり魔法三技能の使い手として知られる事を想定しての選択である。
ちなみにこの服装に関する反応は、皆口を揃えて似合っていると言っていた。
俺としてはまだ服に着られている感じがするのだが、まあ周囲の反応が良いならそれで良いのだろう。
貴族の相手をする事もあるクロウさんにも太鼓判を押してもらったので、少なくとも欠損治癒を行う時に支障がある事はないだろうしな。
……さて。
そうした日々を経て今日に至った訳だが。
本日の俺の予定は貴族の館で欠損治癒、他のメンツは探索組は地下六階までで鍛錬、シータは授業、レイアはいつも通り家事となる。
朝食の席でミーティングっぽい事をして解散し、各々家を出ていくのを見送った後で、俺も奴隷館へと出発した。
で、所変わって奴隷館。
ハンスさんに出迎えられ、これからクロウさんと共に貴族の館へと向かう事になるのである。
「では、向かいましょうか」
二人で馬車に乗り込んで移動を開始する。
馬車の中ではカトレアの様子や、今後の取引き(直近で言えば奴隷への治癒と家賃の納入)の話をして過ごした。
俺も最近やる事が増えて時間が無くなってきたし、クロウさんは当然商会のトップという事で忙しいので、割と有意義な時間だったと思う。
ほどなくして馬車が停まり、馭者をしていた青年が先触れに行って戻ってきた後、俺達は馬車を降りた。
「おお、大きいですね」
「そりゃあ、公爵閣下の別邸ですからね。流石に他の貴族の本邸宅と比べるとやや小さいですが、それでもかなりの大きさはありますよ」
館を見た俺の素朴な感想にクロウさんが説明を返してくれた。
公爵というのはこのオーフェリア王国建国時における、王弟の家系であるらしい。
公爵位を持つのはこの一つの家のみであり、任ぜられている領地は西部……港湾都市デンタールを中心都市とした領域である。海運を用いた交易の中心地があるだけあって非常に経済的に豊かな地域で、領土自体も広い。建国王と王弟の仲が良かった事もあってか、歴代公爵家と王家の仲は非常に良好で、政治的にもかなりの発言力を持つ家との事だ。
政治的な権勢としては宰相が居るため貴族のトップとは言い切れないが、少なくとも最上位の一つである事は間違いない。
と言うか、どの家からの依頼かを今の今まで全く聞かされてなかった理由が判明したな。俺が怯むと思われたのか、単なる守秘義務かは知らないが、正直心拍数が急上昇中である。
「公爵……令嬢ですか」
「そうなりますね、リョウさんに治癒してもらう相手は」
事も無げな答えに、思わずハハハと乾いた笑いを上げてしまった。
ははは、こやつめ。
「な、なるほど。しかしそんな相手に良くこちらに来てもらえましたね。本拠地は港湾都市でしょう」
港湾都市デンタールは王都の西、マイトリスからは北西に当たる。
距離的には馬車で一か月近く掛かるのではないだろうか。と言うかそれだと、俺がこっちに戻ってきてから呼びつけていると間に合わないんだが。
「事前にお話を通した時に、すぐにこちらに寄こすとおっしゃっておられましたので。あとはまあ、魂魄魔法使いですから」
魂魄魔法使いの悪評か。
まあそれなら納得できなくはない。俺自身、魂魄魔法使いに相対した事がある訳ではないが、話はクロウさんからしこたま聞かされているしな。
しかし公爵にすら気を使わせる魂魄魔法使いってどんなんだよ。
俺にとっては人格面のハードルがクソほど下がっているので、普通にしているだけで評価が高くなるからいいんだけど。いや、買い被られるからいかんのか。分からん。
俺が急な情報に混乱しているうちに、館の中へと通され、続いて応接室へと案内される。
そしてソファに腰を落ち着け、置かれたお茶に口を付けながらしばし待つ事になった。
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