61 試験の日
迷宮を出た俺達は、探索者組合で魔石を精算した後、家へと戻ってきた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「リョウさん、おかえりなさい」
「ただいま二人とも」
シータとレイアに迎えられて家へと入り、入り口そばで装備を外していく。
「先にお食事にされますか? 迷宮で昼食は摂られてないのですよね」
「うん、でもまずは風呂にしようかな」
「わかりました、着替えを準備しておきます」
時間帯は昼過ぎで腹も減っているが、迷宮帰りはやっぱ風呂だよな。
とにかく汚れを落としたい。
これまでは湯を使って体を拭いていただけだが、一度入浴の心地良さを思い出してしまうと戻れる気がしないな。
ちなみに風呂の準備はそれ用の魔道具を用意してはいるが、基本的には俺の仕事である。魔道具は魔石を燃料にしているのでその節約のためだ。魔法はタダだしな。
湯舟いっぱいのお湯を溜めるのはそこそこ大変ではあるが、自動的に一番風呂に入れるので俺にとっては良いシステムである。
「ズーグ達は先にメシ食っててもいいぞ」
俺が装備を外し終わってそう言うと、
「旦那の風呂は長いですからね」
「じゃ、お言葉に甘えるとしますか」
「ご主人サマより先なんてなんだか悪いねえ」
面々からはそんな言葉が返ってきた。
言葉面の遠慮とは裏腹に淀みなく席に着いたところを見ると、余程腹が減っていたのだろう。ズーグの言った通り俺の長風呂を待ってられんという事かもしれないが。
まあそれがなくとも四人が風呂に入った後ともなれば、時刻は夕食に近くなる。
レイアの仕事の効率も考えればこれが最適解だろう。俺が風呂を短くするという選択肢は無いのであしからず。
その後、風呂から上がった俺は遅めの昼食を摂り、その日は装備の点検なんかをしながらゆっくりと過ごした。
探索で家を空けていた時の話を留守番組に聞いてみたが、特に何も無かったらしい。
逆に言えば、欠損治癒に関する連絡がクロウさんから来ていないという事である。
明日奴隷館に足を運んで状況確認をする事は決定だな。
それからシータは明日試験の日となるが、開き直ったらしくこの日はこれまでのように机にかじりついたりはしていない。食卓に歴史などの暗記科目の教本を置いて、気になった時にちょっと開いていたくらいだろうか。
勉強の追い付いてない人間は開き直る事すらできない(開き直っても足りてない自覚があって勉強を再開せざるを得ない)ものだが、それができるという事はすなわちシータの努力を物語っていると言えるだろう。後は勉強の遅れを短期間で取り戻した彼女自身の賢さもだな。
とにかく、こういう時に受験生を変につつくのは悪い影響しかない。
元の世界で受験を経験した俺もよく知るところだ。
そのためこの日は試験の事にはほとんど触れず、触れそうになったトビーを小突いて止めたりしながら、ゆったりと夜が更けていった。
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夜が明け、朝が来る。
レイアが朝食を作る音が聞こえ、朝用の濃いお茶の香りがリビングに立ち込める。
俺にとってはまだ少し慣れないが、新しい日常の一コマだ。
しかしそうじゃない者も居る。
「お、おはようございます」
昨夜は平気そうにしていたシータだが、流石に当日朝になって緊張が隠しきれなくなってきたようだ。
と言うかあまりよく眠れてないのかもしれない。目をしぱしぱとさせている。
「大丈夫か?」
「あの、いえ……大丈夫です」
問いかければ遠慮するような言葉が返ってきた。
「あんまり大丈夫そうじゃないけど……とりあえず朝メシはしっかり食べておいた方が良いぞ。頭が回らないからな。食べられないなら飴でも舐めるといい」
「そういうものなんですか?」
「うん、まあ、俺も受験の時にやってたし」
糖分が云々と言いかけて、伝わらなさそうだったのでやめておいた。
理論の話より経験者の談としておいた方がシータには信憑性があるだろう。
受験の時に休憩ごとにチョコレート一粒、なんてやっていたのは良い思い出だ。
そして食事を食べ終え、出発である。
今日はシータを学園まで送り、奴隷館に向かって状況確認をして、帰りにシータを回収して戻るというのが俺の予定である。もし師匠に会えるのなら今後の研究の予定を詳しく決めたいところだがその辺は未知数だな。
他の面々は長期探索明けでもあるので、一応休養を言い渡している。
自由行動なのでズーグとトビーは訓練所に行くようだ。カトレアも体を動かしたいとそれについていくらしい。
レイアはいつも通り家事に勤しむ感じだな。
「ほら、まごまごしてないで行くぞ」
「は、はーい……」
中々踏ん切りの付かないシータを後押しし、学園へと出発する。
少しして、俺達は学園へと辿り着いた。
事務室へと移動して試験を担当する教員を呼び出してもらい、やってきた女性教員にシータを引き渡してお別れである。
「じゃあ、昼頃に終わるって話だから迎えに来るよ」
「はい」
「ははは、緊張してんなぁ。まあ終わったら飯でも食いに行こう」
「はい」
「休憩中に飴食べるんだぞ」
「はい……」
シータは試験を目前にしてこの世の終わりみたいな顔になっていたが、その後も俺が立ち去らず何くれと会話を続けていると、少しずつ持ち直してきたようだ。
どうやらちゃんと、俺が「心配している」事を理解してくれたんだろう。
彼女はそれで心が立ち直るほど心優しく、何気に責任感の強い少女なのだ。
「それじゃ、またあとで」
「はい、ありがとうございます」
シータと女性教員は試験会場へと去っていった。
さて。
「こっちは師匠の予定確認だな」
俺は自身の予定を消化するため、まずは再び事務員に声を掛ける事にした。
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師匠は昼まで手が空かないとの事だったので、俺は奴隷館へと移動した。
いつものように扉をノックし、ハンスさんに奥へと通される。
正直「今どんな状況?」と聞くだけなので、門前で教えてもらっても俺は一向に構わないと言ったのだが、流石に大きい商会なので格式的にダメだったようである。
「それでは、欠損治癒術の予定調整の件についてお話しさせていただきます」
応接のソファに腰を落ち着け、お茶が運ばれてきた後に改まってハンスさんが言った。
話によれば、どうやら三日後か七日後であれば午後に時間が取れるらしい。
それ以降は未知数なので、再検討が必要になった場合に改めて調整する事になるようだ。
こちらの予定としては、どちらも授業が無い日だったので問題は無い。なので再調整は不要だな。先延ばしにするのもアレだし、実施する日は近い方が良いだろう。
という事で、ハンスさんには三日後に伺う事を伝えてもらう事にする。
「承知いたしました」
貴族の令嬢の欠損治癒は、マンチェスター商会としても貴族のコネを得る事に繋がる重要なイベントだ。
予定が決まった事に対するものか、ハンスさんからは丁寧なお辞儀が返ってくる。
「いよいよですね」
「……そうですね。長いようで短かった気がします」
そんな言葉を交わし、しばし二人でお茶を飲む。
初めてここで奴隷を買ってからまだ一年経っていないが、思い返せば色々あったものだ。
あの時ここで話した俺の欠損治癒魔法を商品にするという話が、ようやく実を結んだのである。
まあ、そんな大仰な約束をした訳じゃないとは言え。
貴族の令嬢を治癒したとなれば噂が広まり、神殿には本格的に睨まれ始めるだろう。
俺の立場も、一人の単なる探索者から少し変わってくるかもしれない。
そんな事を考えながら俺はハンスさんと雑談を続けた。
もっと商売の話をされるのかと思いきや、彼は連絡事項の伝達以外に仕事をする気が無いようである。一瞬サボってんじゃないのかと頭によぎったが、まあ良いだろう。
良さそうな食事処の場所も聞けたしな。
昼に学園に戻ったら師匠を誘おうと思ったのだが、探索者的な場所しか知らなかったので困っていたのだ。
そしてしばらく応接用の高級なお茶を楽しんだ後、俺は学園に戻るのであった。
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